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祖母が居なくなった何度目か、母は途方に暮れて、妹(叔母)たちに「もう見つからないかもしれない」と詫びを入れていた。今の私と同じ年頃であったが随分窶れていた。その日を思い出すたびに胸がキリキリと痛む。

バアちゃんの「可哀そう」に流されてはいけない。
例え周りに冷たく思われようが。

義父の認定が更新されて要介護5となる。正直驚いた。母が祖母を看た時の経験よりどれほどサポートが要るかはイメージできるが、どこか正常性バイアスが掛かっていたらしい。最近はバアちゃんの希望どおり自宅介護も可能ではないかと思い始めていた。祖母は徘徊で行方不明になったことが度々あった。

母は長く、自分らの骨など一纏めにして弔う必要はないと極端な考えであった。祖父は亡くなる少し前に鞄を新調していたらしい。初孫(私)の挙式を楽しみにしていた。母との和解も望んでいたのではないか。整理できたら祖父の都会暮らしを考えたい。つまり分骨してこちらに連れてきたいと私は思っている

朝の匂いが湿っぽい。じきに梅雨入りの模様。先月、自分の誕生日に契約をした納骨壇の承諾証が届いた。私の母方の墓は祖父の代で婿養子の父が設けていたが、猪が出る大分の山中なので弟を安置させる場所を探していた。祖父との確執で母は「用意するな」というがいつまでもそういうわけにはいかない。続

これまでメダカの餌をハンズマンまで買いに行っていた父。片道2.5キロをよく歩くものだなと感心していたのだが初めてネットで買いたいと言ってきた。それなら父の日の贈り物で箱で送るからとこちらで注文。早速届いたようで有難いと喜んでいた。今日は時の記念日だとも言っていた。そうか忘れてた。

夫が実家の賞味切れの卵を調理してみーさん(嫁御)に食べさせるので「やめてくれ」と懇願。食中毒の時季であるし母乳への影響を考えた。夫婦そろっての出先での初デイサービスは義父が入浴を拒否してしまった。又バアちゃんが飴玉をあたえるなどをしたらしくこちらもヒヤヒヤした。うまく続くのかな…

「包み隠さず」が目標なので書いておくが息子の会社でコロナ罹患が複数発生したそうだ。わが家は十数年前に建てた際災害は意識したものの(水害と停電)二世帯は想定しておらず昨夜は各部屋に分かれて就寝。水場消毒。抗原キットの在庫があり本人は朝を待って陰性を確認した。会社はリモートとなった。

嫁御とは娘のように接してる。私の前ではおパンツ姿も見せる「将来も同居したい」と言ってくれる。今は気を使っている面もあるだろうが。
苦手な家事は分担してるのでとても助かる。ふと私は「嫁」としてどうだったかなと振り返る。可愛げがなかったろうなとこれでいて反省もするのだよ。ちょっとは。

今期の担当者会議は夫が出席した。バアちゃんの要望が毎会変わるので夫も客観視できなくなっているのか返す言葉が強くなりがちな様子(と感じられる分距離を置いて正解だった)。
「本心はどこにあると思う?」と夫に訊く。「明確にはない。だから定まらない」との返事。確かにそうなのかもしれない。

朝の支度中派手に茶碗を割った。すかさず夫が「ほら一つの事故には幾つもの要因…」云云かんぬんと言い出す。聞いたばかりの法則らしい。知らあんてか今それ云う? と苦笑しながら沸々。夜茶碗の持ち主の息子に謝ったところ「それで怪我はなかったの?」と返ってきた。良かった息子に思いやりあって。

乳児の初散歩中(お宮参り除き)車いすの高齢者とすれ違う。介助の方が押していらして気持ちよさそう。義父も散歩に連れだしたいなと思う。昨夜は施設より尻もちをついたと連絡があったばかり(怪我はないが連絡有難い)あれこれ手を差し伸べたい時ほど用心しないと一番弱い立場の者へ無理がいくだろう

ヘルシーなイメージがある高野豆腐。戻しおくのが面倒というのと煮物に加えても彩りが映えないなどの理由から食卓に滅多にあげていなかったら、この頃はカットされた「旨味だし付」で売られているんですね。嫁御から「もう5年位前からありましたよ」といわれて、えっ? 売り場のどこ見ていたんだろ。

本日は亡き弟の誕生日であり、三ヶ月に一度の母の検診日。病院は市内にあり太宰府へ迎えに行く二往復を3年近く続けてきた。通院も前ほどは嫌がらなくなり事前の行こう行かないのやりとりが少なくなっている。大病以前の生活習慣が復活していて感心しきり、全くこちらの都合であるが今は助かっている。

校区総会前の決算確認で集った(役立たない監査であったことよ)区分けにより十年以上務めた組長を解任。ここでも高齢化が急速に進んでいる。町内のしくみ/制度を考えなおす時に来ていると改善の道をさぐり合う。約2年半携わらせてもらった市施設のサポーター活動もいったん休止申請を届けた。