なりたい自分が分からなかった思い出

皆様こんにちは👋😃
ご訪問賜りありがとう存じます。



ふと懐かしくなった。
タイトル通り、『なりたい自分』が
分からなかった時期。


そもそも28歳でうつ病を克服するまで
『なりたい自分』なんて
考えたことすらなかった。


頭にあったのはただ1つ。

『わたしは何者なのか、
 誰か教えて』


そんなわたしがなりたい自分なんて
考えられるハズもなく・・


何も見えない真っ暗闇のトンネルの中に居て
前にも後ろにも進めないし
ここにずっと居たって何も変わらない
そんな感じだった。


そんなわたしを
トンネルの先に導いてくれたのは
大東亜戦争で戦死した大叔父と
同じく大東亜戦争で被ばくした祖母の
存在だった。


トンネルの真ん中で動けなくなっていても
生きていくことができたのは
暖かく見守ってくれていた両親のおかげ。


この人たちの存在なしに
今のわたしはいないのだ。


で、うつ病を克服した後
『なりたい自分になっていいしなれる』
ということが分かったので
多分生まれて初めて『なりたい自分』を
頑張って想像して試行錯誤しながら
いろいろな方向へ行ってみた。


うつ病を克服したのが28歳ぐらい。
そこから育児に追われながらも
いろいろ試行錯誤すること8年。


36歳にして
やっと思い描く『なりたい自分』が
しっくりきたように感じる。


その証拠に
他人と比べることも
コンプレックスを抱くこともなくなり
明らかに心に余裕が生まれている。


この8年間
できるだけ自分の氣持ちに従ってきた。
今思うとあれは違ったなと
後悔してしまうこともたくさんある。


だがその失敗も含めた小さな1つ1つが
今に繋がっていることも分かる。
後悔はしてしまうが
無駄にはしなかったとも感じる。


多くの女性とは多分違う
わたしの『なりたい自分』


周りにそういう人がいない中
なかなか頑張ってきた方だと思う。


わたしは人とは違った特別な人
ということではない。
人はそれぞれみんな違っている。
その中でわたしの担当がこっちだっただけ。


わたしは『武士道』『強さ』に憧れていて
そこに向かって生きることが
『なりたい自分』だったのだ。
それはわたしの軸であり芯の部分だ。


わたしは女性で
男性に比べたら力はないし背も手も小さい。
身長はギリギリ160㎝あるものの
それでもわたしにとっては低すぎて
それがコンプレックスだった。
(だからヒールと
 インヒールスニーカーは手放せない)


男性のようにかっこよくなれないことも
コンプレックスだった。
女性であることが嫌ではないのだが
たまに違和感が出てくるのだ。


普通「あの男性かっこいい!」ってなると
その後に女性が思うことは
「好き!」かもしれないが
わたしの場合は違った。


「わたしもあんな風になりたい!」と思って
かっこいいと思った部分はどこか
どうすればそれを取り入れられるのかと
研究し始めるのだ(笑)
そもそも体格が違うから真似したって
同じかっこよさは得られないのに(笑)


そんなわたしは居合道と合気道に出会い
武士道のもと
強さを求めて向かっていくことができる
ということに氣付いたとき本当に嬉しかった。


わたしは前世で武士だったりして(笑)
松陰先生だったらいいな♪
(絶対違う)


わたしの大好きな銀魂の銀さんやヅラは
吉田松陰のパロディーである
吉田松陽の弟子だ。


そんな松陽先生には女性の弟子もいる。
今井信女というキャラクターだ。
この人は女性だが武士だ。
(史実では男性)


松陽先生の弟子として
銀さんたちとともに並んでいる姿は
最高にかっこよかった。


史実の松陰先生もかっこいいし
その弟子たちもかっこいい。
憧れの存在だ。


多くの女性の価値観と違っていようが
時代を逆行していようが
それでもわたしはかまわない。
(いやある意味時代には沿っているか)


これがわたしの正真正銘
『なりたい自分』
一生をかけてそこに向かっていく。


夜空

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