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古賀コン5全作感想集

はじめに

 この記事は私・蒼桐大紀が古賀コン5参加作品を全作読んで、一言ずつ感想(と言うよりその時思ったこと)を書いてみたものです。
 発端は古賀コン5エントリー受付直後にX(旧Twitter)でポストした感想なので、すでにポストした感想は基本そのままです。その点はご容赦ください。

・注意点1:その時の気分で書いているため、常体と敬体が入り混じっています。
・注意点2:作品から想起したことを書いているため、作品とは直接関係ない話題に飛んでいることがあります。

 リストのナンバーは「古賀コン5:応募作品展示室」のものに準拠します。



1.大江信「一●入魂 対 不撓不屈」

 今回もトップバッターを飾った大江さんの作品。トップバッターを意識されるようになったのか、はたまた偶然の為せる業かバッターのお話。私の中では「ハイスピードでハイコンテクストなわけのわからない文章を書く」というイメージがあるのですが、今回は比較的わかりやすく主催・運営の古賀さんに対する挑戦状と読み解きました。
 〝一●入魂〟の〝●〟は一体何なのか? 放たれるは不撓不屈を打ち倒す必殺の一撃! 情景を追うように読んでしまう冒頭をぶった切るかのような一撃、容赦なくぶち込まれるメタネタ。踏まえておくべきテクストがいらなくなっても、安定してわけがわかりません。
 ただ、「第一座右の銘」という絶妙に書きにくいお題を提示されて頭を抱える参加者達に、先陣切って一発かましてやるという気概は感じます。
 あ、なんかスカッとしたものを読んだ。
 そう感じている私は作者の術中に捕まっているのでしょう、きっと。


2. 添嶋譲「なるように、な」

 さすがというか掌編が上手い。構成がしっかり組まれていて、最初から最後まで安心して読み進めることができました。登場人物の声が生っぽいのも実感がこもっていていい感じでした。
 それから、いままで意識する機会がなかってけれど、タイピングが結構速いのでは……? と思いました。


3.そこのけそこのけねねが通る

 「殺られる前に殺る」もとい、『やられる前にやる』。他人と競うような言葉なのに、自分基準のやる気がわいてくるのはやはり、「自分がやらなければ誰がやる」という思いとつながっているからではないでしょうか。
 ある日の一念発起。これからの所信表明。自分を急き立てつつ追いつめすぎない。これくらいの心持ちでいきたいものだと思いました。ういっういっ!


4. 非常口ドット『◯◯◯◯◯◯』

 岳内と蒼木から見た虐待の真相が異なり、なにかを読み飛ばしたのではないかと前の文章をさらうがどうもそんなことはないようだった。
 この証言者によって、現実の様相が異なるという落ち着きの悪さが作品全体にどんよりとした影を落としている。諦観と悪意……ではないのだが(岳内のそれは明確に悪意だが)、くらい感情を感じた。そして、閉塞感。


5. サクラクロニクル「Beginning of Iron Lilies」

 古賀コン3の『ブラックホール』のインパクトが強かったからから、字数で殴る印象がついていますが、この人の驚異的な部分は、文字数を出しつつ時間内に独立した作品として見られるように組み上げてしまうところです。
 冒頭から湿気の高さを感じるティーンの女の子二人の会話が交わされ、そこに波紋の呼び水となる三人目が現れ、あわや多角関係に発達しそうな予感をぎりぎりまで残しつつ、百合が花開きます。
 演劇と信念=座右の銘との接続はすんなりと自然だったし、会話内容にも経験という裏打ちが見見られた。終盤、タイマーを見ながら話を畳みにかかった痕跡は見られるものの、ちゃんとオチは付いている。
 ここまで書いて数行消して、読み直してみてみたのだが、おおむね湿気の強い女女関係を描いており、灯火がシズクを引き込んだように読者を引きずり込むような引力を感じた。
 なにも信念を持たないということは、そのこと自体が信念になってしまうことでもある。それさえも超える信念、第一座右の銘を見出したとき、道を照らす灯火になるのかもしれない。


6. 野田莉帆「とにかく生きろ」

私立古賀裕人文学祭応募作品集 - 第一座右の銘『とにかく生きろ』 (syosetu.com)

 思うに。文章を書くひとは、誰しも自分の中に書く自分を宿しているのかもしれない。そいつをなだめすかし、ときには煽ったり、褒めたりけなしたり、酒を飲ませたりしながら文章を書かせているのかもしれない。
 だが、それには生きねばならない。自分が死ねば書く自分も一蓮托生だ。
 であるからこそ、第一に「とにかく生きろ」と書く自分は伝えてきたのかもしれない。


7. 我那覇キヨ「ブーメラン、飛んでいるか?」

 ドラクエのブーメランにからめた座右の銘についての俺の語りだが、はてさてこの俺は誰だろう。
 冒頭部を読んでいると、俺という独立したキャラクターに思える部分はあるが、ドラクエのたとえがはじまるとこれは作者とイコールなのではないか、と思えてくる。
 ドラクエではないにしても——実際、私はドラクエは一作もプレイしたことがないのでまるでわからない——こうした過去語り・自分語りをすれば、第一座右の銘についてもさらっとかけるのではないか、と錯覚させるところがこの文章にはある。事実、最後で煽っている。
〝言いたいことをどんどん書け。〟
 と。


8. 草野理恵子「ぜぜひひ」

 最初の三行で不思議な雰囲気を醸し出していながら、それをかなぐり捨てて徐々に奇怪な空気へと変容していく。なにかが起きている。なにか決定的な瞬間が訪れようとしている。そういう空気を醸成したところで、すべてが変異に収束し、ふとした疑問を抱いた隙になにもかもが終わっていた。
 それが良いことなのかそれとも悪いことなのかはわからないが、奇態な情景を描いた詩情があると思った。


9. 小林猫太「小林寺三十六房」

 毎回超高クオリティの掌編小説を仕上げてくるまっきーこと小林猫太さん。口上を述べるかのようにさらさらと進んでいく軽妙な文体は読みやすく、映画を観ているかのような動きを伴って入ってくる。
 今回もテーマをしっかりフォローし、主催者を作中に引き入れた作品は、「なんかすげーもの読んだ」気にさせてくれるのだが、オチで下げてくる。わかんねぇのかよ! と終突っ込みを入れてしまった。
 ……ところで、少林寺拳法ってスーパー1でしたっけ? 生まれる前ですね。


10. こい瀬 伊音「ばいばい ばいばい」

 びみょうにグロい話を面白おかしく話されている(ただし話しているほうは真面目)。古賀コン3、4に続いて、読んでいてあまり気分の良い内容ではないのだが、怖いもの見たさに近い感覚で読まされている。
 テーマの「第一座右の銘」の「第一」とそれまで話していた親鸞の話からお釈迦様へ到達させて、不快を快へ転換させることに成功していると思った。
 あと、会話劇なのに会話劇っぽくないのが不思議だな。


11. 夏目ジウ『筋書きのないストーリー』

 はじまりからずっと不穏な空気が漂っていて、私の脳裏に〝ディスコミュニケーション〟という言葉がよぎった。これはこのまま家族不仲ルートか、そうなのか? と読者の不安をぎりぎりまで煽ったところで、ふんわりと軟着陸。
 気を抜いていたところにオチが来て、鼻から息が漏れる笑いをこぼしてしまった。そのオチ、読めたのに! 十分読めたのに!


12. 日比野 心労「中学のときからのツレが地元でメイドバーを立ち上げるって言うから、友人割でサクラやってたら見事にハマった俺の話でもする?」

 アクセスしたらnoteの年齢チェックのクッションページがあって、タイトルと合わせて笑ってしまった。
 ……で、読んでみたらあやうくこの感想まで18禁になってしまうところだった。
 むわっと漂う他人の体温とギラギラしているのに薄暗い夜を感じさせられた。世知辛い話なのに、後ろ向きな感情を刺激されない。この話、ありそうでなさそうなところを上手く突いていると思うのだけど、実際のところどうなんでしょ?

13. じゅーり「金曜日二時間目、座右の銘の授業ののちランランラン」

 小学生ってどうしてああいう悪ノリをするんだろう、お前もそんな小学生だった頃があったろうに……などと思いながら読んでいました。実質、大喜利を書いているのに、読者の頭から大喜利ではなくちゃんと最初に小学生(男子)と先生のイメージを叩きつけられた。「便座の命日」のくだりが好きな人多いんだろうな。
 「フォレスト」で全然違うものを思い出してしまって、ここに書こうとする前に調べてみて、あっぶねー、違う話するところだった、となりました。有名な洋画なのに見ていないのがバレバレですね。


14. 佐藤相平「第誤回 私立古賀裕人文学祭感想」

 テレビのチャンネルを切り替えるように、いくつもの偽感想が次々に読める。私は「一時間」と決めたらひとつのネタに集中して書くタイプなので、よくもまあこれだけくるくる切り替えられるものだ(ほめ言葉)、と思った。面白ければそれでいい、という典型例でもあると思う。実際面白い。


15. 赤木青緑「生きるに尽きる」

 おおよそ八割ほど読んだところで、「これ本当は一人称が〝俺〟なんじゃないかな?」と思っていたら、最後の最後で答え合わせが来た。テーマを引き合いに出さず、作品全体で表現していて、最初と最後にタイトルが効いてくる。〝余〟という一人称が他人事めいた雰囲気をかもしているのだが、死が迫るにつれて浮かび上がる〝俺〟という構造も上手く作用していたと思う。


16. 渋皮ヨロイ「石褒め」

 落語に『牛ほめ』という演目がある。てっきりそうした話かと思って読んでいたら、全然ちっともかすりもせず座右の銘を貫いたがゆえに残念な思いをする話だった。座右の銘が出てくる辺りまでは、〝俺〟と同じくなんか良い話になるんじゃないか? と期待して読んでいたので、残念感は倍増である。この残念感を楽しませる方向にまとめているのが、タイトルと最後の一文だ。どちらも作品の大切な要素である。


17. 染水翔太「川」

 最初のやりとりで二人は小学生くらいかな、と思っていたので、女の子に声を掛けるくだりで「高校生かよ!」と驚いてしまった。言うて、自分も高校生の頃は大概ガキだったじゃん……みたいなことを思わせてくれる。そして、よくよく考えてみると、これって怖い話なのでは? とも思った。タイトルは『川』なのである。なんか不穏!


18. 安戸染「You know me」

 なんだろこの怪文書。くっ、こんなんで……! みたいに笑わされてしまう。
 突然の殴打! 突然のDr.Koga! どう締めるのかと思ったら「第一座右の銘」をそう解釈するか! というね。


19. えこ「有終完美(期間限定、氷菓飲料。砂糖過剰、中空菓子)」

 え、いや、百合じゃないですか。『フードコートでまた明日』的な女子の生っぽい声が詰まった百合じゃないですか。途中で「あ、もしかして違うのかー?」と思わせておいて、デザートがそっと出してくる。最後の段落にそれまで描かれていた百合エッセンスの全てが詰まっていたように思えます。終わりよければすべてよし。


20. 野本泰地「for all?」

 途中で主人公——というか主観視点の人物——が変わっていて戸惑ったのだが、こういうのも即興作品らしさなのかもしれない。プラン考えながら書くから、その瞬間その瞬間でスワッピングしちゃうことあるよね。
 〝上司がCCに含まれていない個別のチャット〟涙が出るね。古賀コン5の開会挨拶にあった〝ワンフォーオール〟から〝オールフォーワン〟が出て、私は『アニマエール!』を思い出しちゃったけど、和訳につながるのが真っ当な思考ですよね。松原さんはトラウマを引き当てちゃったのかなぁ。


21. 高遠みかみ「まちなかアンケート! 100名に座右の銘を訊いてみた!」

 高遠みかみさんは古賀コンのスーパーダークホースだと思うの戦車でそのネタ(正しくはきゅらきゅらきゅら! だな)は、わかる人にわかりすぎるからやばいので。それ以上はなにも聞くな!
 少し補足します。
 最初に羅列された回答者を読んでいって「これ誰の(なんの?)回答だったっけ?」と戸惑うのも楽しいし、回答者と回答を照らし合わせながら読んでいくのも楽しい作品でした。流れるように読めるところも素敵でした。


22. エンプティ・オーブン「県立第一座右の銘高校校歌」

 「第一座右の銘」をファーストでもプライマリでもなく、ナンバーワンと解釈して、校歌に仕上げた作品。これたとえば前回の「記憶にございません」でもできたアプローチだと思うのだけど、「第一座右の銘」だからはまっている。校歌には「ああ、我らが」というフレーズが欲しくなる派です。


23. 栗山心「右」

 第一座右の銘があるからには第二があり、第二があるからには第三、第四……第二十七と一体いくつあるんだYO! と思うが、この小説、変なのはそこではない。手に持てる座右の銘ってなんだろう? 最初はお守りくらい小さいものかな、と思っていたのだけど、読み進むにつれて駅のホームの柱に着いている駅名の板みたいなものを想像していた(いや、二の腕に専用ストラップって描写があるでしょ)。
 最終的に、押井守がメガホンを握ったら出てきそうな絵面を思う浮かべていた。読み終えた瞬間、思わず右を見てしまうよね。


24. ケムニマキコ「シンジくん」

 1995年放送の『新世紀エヴァンゲリオン』が当時のアニメファンやアニメファンにもたらした影響は大きく、作るほうも意識せざる得なくなったか翌96年放送の『機動戦艦ナデシコ』の第1話では主人公のテンカワ・アキトがバイト先を首になって街へ飛び出すおりに、「いいじゃないか! (戦争から)逃げたってさ」と叫ぶシーンがある。
 それくらいあの頃の十代の少年のイメージを印象付けてしまったのがシンジ君であるし、最初のTV版ではじつは1話でしか言わない「逃げちゃダメだ」が独り歩きして、シンジ君から離れたシンジ君像が後の世に構築されてしまったところはあるように感じている。
 作中で、捨てられ、踏みにじられ、忘れ去られようとしている座右の銘「逃げちゃダメだ」は、ひとつの題材が多くの人の解釈を経ることで手垢にまみれ、やがて消えていく様に似ている。そんなことを思った。
 ……じつはエヴァファンと見せかけて、本当に好きなのはナデシコだろう? その通りだ。YOU GET TO BURNNIG !


25. 結城熊雄「バイ・マイ・サイ」

>誰と一緒にいたいかというのは、誰の言葉を聴きたいかということだと思う。

 この一言からはじまる文章がすらすらと読みて、僕と彼女のひととき、そしてもう一人の彼女との逢瀬を、それぞれ違った良さのある時間として描き出していた。要するに二股なのだが、二股クソやろーという印象はあまりなくて、まあそのうち痛い目に遭うんだろうな、と生暖かい目で見ていた。


26. 1/2初恋、あるいは最後の春休みの『座右の銘in暴論』

 暴論。見事に暴論。古賀コンはべつに小説や詩でなくてはいけないという規定はないので、テーマをどう解釈するか、という文章を書くのもありなわけです。そうして探っているように見せかけて、じつは一席設けられていたことに読み終えてから気づくのです。お見事。油断してました。ダメですね常在戦場の気構えがなければ。


27. 夏川大空「第一座•右の銘」

 銘という文字ひとつで色々な意味がある。それを最大限に生かして、作品内に散らしてテーマに応えていた。銘をつねに右に配置する徹底ぶりで、児童文学を彷彿させる話のまとまりも良かったと思う。銘は右に、メイドさんを右に。


28. 万庭苔子「我が道を行く」

 生きづらさを感じるようになって、どれくらい経ったのか。ふと、生きづらい、と感じたとき、同時にそんなことを考えるこの頃です。無自覚な悪意に傷つくこともあれば、自分のふがいなさに落ち込むこともある。
 〝「労働」はできるだけしない〟すなわち〝目的のために動かない〟という信条を持っていても、生きていく限りなんらかも目的が出てくるものだし、そのために自分のやりかた自分の道を選んで進むことになる。その道が当初掲げていた自分の信条とは異なるものであっても、実際に歩んでいる道こそが自分の道なのだろう。


29. のべたん「黄金の風」

 『ジョジョ』は概要をざっと知っているだけで未履修なので、こういうときに「ああ、やっぱり読んでおくべきだったのか、しかしいまさらだしな」と後悔ののち諦観に落ち着くまでワンセットです。
 親父の葬儀で〝姐さん〟から連絡……と雲行きの怪しさを感じていたら、案の定筋もんの話で、兄貴の登場からぐっと解像度が上がってビジュアルのガラが悪くなった。その分、滑稽さが浮き上がり、それがかえって哀愁を強く感じさせるものになっていたと思う。


30. 百目鬼祐壱「第一座右の銘」

 テーマ「第一座右の銘」。たしかに意味わかんねーですよね。最初に見たときミスで「第一」を入れちゃったのかな? 古賀さんに確認した方がいいかな? って思っちゃいましたもん。実際こういう質問を古賀さんに投げかけてそのやりとりをそのまま反映したのかもしれないし、すべて作者の古賀裕人像から導き出された創作なのかもしれない。どちらにしても、〝ありもしない言葉を作って日本語を内側から瓦解させようとする〟というのが実に東方Project的な解釈で古の東方ファンである私は楽しみました。そして、〝悲しみは疾走する〟で、モーツァルト交響曲第四十番が頭の中に流れ始めて私の腹筋はもうダメです。


31. 和生吉音「座右のメェ」

 物を言う羊で思い出すのは、村上春樹の初期作に登場する羊男なのだけど、そういうナイーヴさはなくどこまでもおちゃらけていて軽い。もちろん、見る側もそれを織り込み済みで見るのだけど、なんでネタにされるとわかっていてマジな相談をしちゃうんだろうね(というか面倒な視聴者か?)。
 亡羊補牢からのメェの答えが面倒な視聴者を追っ払うつもりでアレな回答をしたのか、素でこう答えたのかどっちだろう、という想像の余地があるのだけど、実際こういうこと配信で言ったら早晩アカBANされそうではある。でも、結構言ってしまうんだよね、みんな(後でアーカイブを消す)。
 じつは風刺小説なのかな、と思いました。


32. 貞久萬「チェリオス効果 -1.0」

 これは良くない酒ですね。からみ酒が二人。ルビによって可視化される泥酔度がそのまま上昇するのではなくて、一度少し下がってからいきなり〝リバース10秒前〟でリバースなのだけど、リバースしても酒がまったく抜けてない。
 しかし、酔っぱらい二人の発言よりも、冷蔵庫にラブレターが入っていたの文面のほうがわけがわからない。冷蔵庫に入れておきたい理由はわからないでもないのだけれど、実際問題として言葉は凍らないだろう。
 酔っぱらいの話だけに話がとっ散らかっていて、そのとっ散らかり具合を楽しむものなのかなぁ。どうなのかなぁ……というところ。破かれた便箋が舞う光景はなかなか楽しげだった。


33. はんぺんた『家宝を売りに行った話』

 果たして価値があるものなのか調べたことはないのだけれど、祖母が形見に残してくれた記念硬貨や記念紙幣があるのです。だけどこれは、子供の頃の一時期に私が記念硬貨や旧札に興味を持っていたから祖母は残したのだろうし、価値を期待してはいけないなと思うのです。
 このエピソードを読んでいて、そんなことを思い出しました。語り口が悲哀をにじませつつも、どこか滑稽で楽しみました。


34. 柊木葵「『不良における座右の銘とその変遷』より抜粋 第十三章」

 髪を染め、改造制服を着て、煙草を吹かす不良学生。こういう不良学生はいまも存在するのだろうか。彼・彼女ら達と私の行動範囲あるいは活動時間が重ならなくなってしまったため、目にすることがなくなってしまっただけなのだろうか。なんとなく、人知れず消えゆく者達という言葉が思い浮かんだ。冒頭でここに語られる不良達のことを〝特異な例〟としているが、こんな奴らもいたかもしれない、と思わせるところがある。


35. げんなり「ノーマライズ」

 すわっ、ペンギンSFか、と思ったら猫SFで、正確にはペンギンSFかつ猫SFだった。「第一座右の銘」が最後まで出てこないかな、と思わせておいて、ごく自然なかたちで差し出してくる構成が上手かった。猫かわいさが際立っている。


36. はしもとゆず「七転び八起きまたは七転八倒」

 ああ、ああ……、やりますね。吊るの失敗。縄をかけた物が折れて失敗するパターンと、丈夫が縄がなかったために手ぬぐいなどで代用したら代用品が切れて失敗するパターンがあると思います。私は飛ぶつもりで近くのビルに忍び込んで屋上の縁に立って、月があまりに近かかったので旧に灰になって踊って帰ったことがあります。
 七転び八起き。七転八倒しながら生きていこうと思います。それでも私は、幸せになりたいのです。


37. 蒼桐大紀「雨上がりの青は日々是好日(未完)」

 未完になった最大の原因は、後半でタイマーをまったく見ずに集中して書いていて、残り時間を意識して話を畳むことができなかったから。今度から別途50分頃に鳴るタイマーを仕掛けておくしかないか、と思った。
 前回と同じ登場人物を使ったのは、使い回しではなく、今度は違う角度から彼女達を描いてみたかったから。そこにテーマをからめるのはなかなか難易度が高くて、そういうことは他でやれ、という気がしないでもない。
 百合ではあるのだけど、かなりプラトニックに寄せてある。この二人は、まずそれぞれが書く人間であり、その部分に惹かれ合っている、という前提があるからだ。
 古賀コン5を盛り上げる一助になればと思い、未完状態で出したのだが、今度は完成版に対する期待値を高めてしまって結局自分の首を絞めている気がする。


38. ししゃも「早く寝ることを座右の銘にしろ。」

 「第一座右の銘」って言っても書くことないんですよねー、と書いちゃうのもありなんだと思わされた。そう言いつつもしっかり書いてあるし、よもやお部屋の写真が出てくるのでは……と思っていると引き合いに出されたのは在りし日の答案。
 最初から最後までローテンションなのに沈み込むことはなく、美味しくいただきました。


39. 只鳴どれみ「Quest」

 怪文書とそれを解析する二人(?)で描かれる掌編。五回出力される怪文書は、言葉遊びを並べただけとも取れるし、詩のようなおもむきもある。テーマの「第一座右の銘」っていう意味はわかるのだけど、ちょっと変な言葉に感じられる印象を作者自身のフィールドに放り込んであらためて提示したのだろうか。読むことの楽しさを感じさせる文章だった。


40. 世界 彗星 灯台 プールサイド アサルトライフル「ど」

 一気に最後まで読ませる饒舌体じょうぜつたいで、読み終わったとき「あれ? 座右の銘どこいった?」となるのはちゃんと言及があるからで、気づくと遠くまで連れて行かれる酩酊感がある。 第一座右の銘の第一をスルーしているようでいて、作品を読んでいると何を第一に考えるか、みたいなことが浮かび上がってくる。短い助走で、遠いところまで飛んだ作品。


41. 虹乃ノラン「My 1st MOTTO:」

 教訓、道端に転がっている缶コーヒーの缶を蹴飛ばしてはいけない。
 一人称で話が進行する小説なのだけど、会話シーンでなぜか登場人物の顔が見えない。まるで、煙草の煙にうずもれてしまったかのように霞んで、それなのにしゃべる口元や煙草を持つ手、煙を吐くときに動いた腕などのパーツがよく見える。
〝好きになって、もっと〟でファンサか? などと脳天気なことを考えていた読者です。


42. 群青 すい「第一座右の銘」

 うわー、美しいわー。 最初の節と最後の節が照応して、すっと心に入ってくるところも綺麗。
 これはXにポストした感想なのだけど、付け加えることがない。あらためて読んでもそう思う。詩としての美しさだけではなく、言葉遊び、文章のリズム、そこから導かれる意味が「第一座右の銘」につながっている。テーマそのままのタイトルを生かし切った作品でもあると思う。私は好き。


43. 比良岡美紀「先輩は言った。ユキオに看取ってもらえたらそれで」

 因果応報という言葉が真っ先に浮かんだのだが、あらためて読み返してみるとサイコパス診断に使われる心理テストを思い出してしまった。夫の葬儀に現れた夫の友人にひかれた奥さんは、その後我が子を殺してしまう。その理由はなぜか?(答え「会いたくて」)というやつ。
 この小説における現在、先輩をひいた車を運転していた人物と学生時代の先輩が当たり屋として当たった車を運転していた人物は、もしかして同一人物なのではあるまいか? 刑事達はあえてその部分を伏せて僕に聞き込みを行っていたのではないだろうか?
 医師から知らせを受けた後の〝ああ〟がやるせない。


44. 子鹿白介「ザキカワさん」

 ザキカワさん。彼は二度座右の銘らしきことを口走ったけれども、ひとつはまったく機能しておらず、もうひとつはただの押しつけだった。さて、この電話を受けて、ここまで話を聞いたひとの座右の銘はなんだったのだろうか? そんなことを思った。


45. 入間しゅか「金言集め」

 〝金言買取人〟という言葉が面白いですよね。二人称小説かな、と思って読んでいたら存在しない記憶が二人称で、実際に体験していることが一人称で語られていた。ただ、一人称で語られている部分も果たして、本当に〝僕〟の実体験なのか疑わしい(脳の損傷がはげしいらしいからな)。だけれども、〝きみ〟として語られる存在しない記憶も〝僕〟が見る情景も実感を伴って読める。それこそ振り下ろされたバットの残影さえも見えた気がした。


46. 洸村静樹「神様のとどめ」

 諦観の話だと思って読んでいた。けれども、途中から〝神様のとどめ〟があるからこそ、どうにもならないと思うこともそれでも生きているのなら生きていていいんだよ、と自身を肯定するような意味があるんじゃないかと思った。短い作品の中に、ひと言では言い表せない母への思いが詰まっていて、母が亡くなったいまもその言葉を通じて存在の大きさを思い知らされる。


47. 豆腐『ジェル男「お前みたいなやつを落とすためだよ」

 ひねくれた学生の物言いを聞いているみたいだなあ、と思っていたけれど、まさしくその通りだったとは。引用されるCoccoの歌詞と洗練された語り口に騙されそうになった。最後の一文を読んで納得、タイトルをもう一度見てもう一回納得した。


48. 齋藤優「白昼セゾン」

 しれっと、〝旦那〟と〝好きな人〟が並べられて出てきて、この〝私〟も大概だなと思う。
 〝私〟にとっては不気味というか気持ちの悪い類の話なのだろうが、読んでいる身からすると〝徘徊a〟に興味が湧いてしまって、ホラーゲームでのエンカウントを待つような心持ちにさせてくれる。たまプラーザ内の描写が細かで、FPS視点で建物の中を歩いているような印象を受けるためなのかもしれない。


49. 久乙矢「宇宙の終わりと第一座右」

 「第一座右の銘」を分解してこのSFに仕立てたのか、このSFの原案がまずあってそこに「第一座右の銘」を当てはめたのか、どっちだろう。「座右」で方向が失われた世界だから「左がない」という発想は、そこまで飛躍できるのか、と思わされた。物語がほぼ教室の中で進行しながら、宇宙まで広がる壮大さを持っているところはジュブナイルSFらしさがあって良いですね。


50. 菊池藍「Novel 1」

 途中から当初の主観視点だった〝私〟が消失して、一人称から三人称に切り替わっているように読めて困惑した。ひとが消える話なので、これは狙ってのことなのか即興ゆえの人称の混乱なのか判断に迷うところである。
 時間と距離の感覚が曖昧になる感覚は、非常にうまく演出されていたので、この困惑を楽しむべきなのかと思う。


51. 小林TKG「アーネスト」

 テーマからネタが思いつかなかったことをそのままネタにして書いたのかな、と読み進めていくと、そんな安穏とした読書の隙に付け入るように、ずりっ、ずりっ、ずりっ、と闇に引き込まれるような思いがした。小説を書いている人間は書いていない人間の何倍も(何十倍か?)狂いやすいと言うからね。最後に打たれる句読点が虚しい。なんてことのない雑談から一気に不穏な話に持ち込む手管はさすがです。


52. 祐里「神風に散る桜」

 戦争小説というよりは、昨今の余命もの——死亡確定ロマンスと言われた方がしっくりくる——として読みました。ただ、その逆として読む人もいるはずで、そうした読者からすると個人のものだった座右の銘が集団のものとなったときの恐ろしさを感じさせるのかな、と思いました。


53. くもしろ薔「柘榴の花がこぼれる」

 ケ・セラ・セラ。軽い調子で口にするような言葉なのに、繰り返されるそれにはしっとりとした重さがある。それを口にした母の声を思い出すからだろうか。ケ・セラ・セラ。作中でこの言葉が語られるたび、重たげな花びらが思い浮かんだ。


54. 海音寺ジョー「我以外皆和菓子」

 俳句や短歌は字数と音節が決まっている定型詩だと思っていたのですが、なんか最近(結構長いスパンの最近)はその辺が自由なようで、もともと詳しくはなかった俳句と短歌についての理解が難しくなっています。二首目など特にわかりません(すみません)
 桜桃忌って大宰ですよね。やっぱりさくらんぼを持ち込んで皆和菓子だったのでしょうか。それとも酒だったのでしょうか。どの歌(句?)からもそんな想像を広げて読むことができました。


55. 升宮生「今日も雨」

 この作品、もしかして未完かなぁ。古賀コンでは未完成原稿でも応募できるので、自分のようにあえて(未完)とつけていないと読者はそれを完成原稿として読む。なぜ雨は止まないのか。なぜ男は自分なら止めることができると思ったのか。そして、なぜ男はいま第一座右の銘を答えることができないのか。いくつもの謎を内包しつつ、今日も雨に全てが染まっていく。タイトル大事ですね、やはり。


56. 春永睦月「本物のあそびというものは。」

 『梁塵秘抄』を誰かが引き合いに出してくるかな、と思っていたので嬉しい遭遇だった。第一座右の銘といういささか構えたテーマから、緊張感を解きほぐすように綴られる文章を楽しみました。


57. 堀部未知「のり~パンチ力の愛~」

>きっとなにかを書くときは縛られたいときと放たれたいときがある
 いやあ、これ真理だな、と思った。
 「ぱんちカ」とか「ガッちからソ」とやられた後だったので、「のりいち」を「のりー」と素で読んでしまって、やられた、となった。そして、この段階に至るまで、冒頭の路上観察小説はどこかにつながると思っていて、銅像の配置はいつ出てくるのだろう、と期待して読んでいたので、二度やられた、と思った。


58. 入谷匙「回転するコルク」

 集団でラジオ体操とかなんとか校体操とかしているとき、ふと我に返って周りを見渡して「こんなところで一体自分はなにをしているのだろう?」と人生の意味について考えてしまったことがある。そんなことを思いだした。
 でもこれ、監視塔があって監視されているのに、全員が統一された動きを取っているわけではないのだよね。カオスさきわまる。
 なんだこれ? って感じなのだけど、そのなんだこれ? がどういうわけか面白い。そして、これを書いている最中にnoteがエラーを吐いて、なんだこれ? となりました。


59. 松本玲佳「私は麻薬」

 「第一座右の銘」から離れていくように思えて、その実ずっとそれについて語っているのだ、と読み終わる頃になって気づいた。テーマを作品全体で語るということに対して、取り組み方が全力で全身全霊で前のめりだと感じた。あやうさとしたたかさが絶妙な均衡の上に成り立っている。


60. 吉野玄冬「美と共に歩んでゆく生」

 執筆というか芸術は伝わらないことをいかに伝えるか、ということでもあると思うので、まず自分が自作を肯定しなければはじまらない。そうあるものだし、そうあって欲しいと思う。


61. 藍笹キミコ『「夢は歩み出せば目標になる」』

 車椅子バスケットボールを実際に見ると、その迫力に圧倒されますよね。僕も声高に「夢を叶えるために云々」という言説は苦手なのですが、自分にとっては一歩ずつ進んでいく「現実」も他人にとっては途方もない夢だったりするので話すが難しい題材なのだと思います。何事もまずはやってみるのが大事!


62. 奥野じゅん「戸籍に座右の銘の記載が必須になって、五十年が経った。」

 よくまとまった制度運用SF。読みやすい短さで、5分シリーズに載ってそうな印象受けた。ディストピアが描かれるとき一番恐いな、と感じるのは当事者がそのディストピアの制度に対して笑顔で万歳している様を見るときなので、「うわ、この世界嫌だな」と思わせる不快感のあおり方も巧みだった。
 それからアンケートへの誘導ありがとうございます。


63. 津早原晶子「I always stroke my cat when I’m sad.」

 微妙な暗さを感じさせつつも良い話なのかな、と思っていたらエグい別れ話が出てきて思わず「ひでぇ!」と漏らしゲラゲラ笑った。それから歌うように次の話へ運ばれそうくるかって感じのオチでした。
 って、つーか、これノープランかつ酒入れて、さらに締切ぎりぎりで書いているのかよ!? どうして時間内にオチまで付けてまとめられるんだよ!? あのノリノリな感じは酔っ払いだからなのか!? と頭の中が「!?」で一杯になってしまったw


64. 仲根工機「ドキノレパーク駅にて」

 タイトル、〝ナンシー〟、〝パイン曹長〟、〝市場〟という言葉から、勝手に世界恐慌頃のアメリカを描いたものだと思い込んでしまったのだが、実際は遥か未来(おそらく)を描いたSFだった。
 思い込みで読んじゃいけないな、と思いました。
 場面が次々と変転する様は、仕掛けの多い舞台喜劇を見ているかのようでした。せわしない動きそのものを楽しむというか、とっ散らかり具合を楽しむものなんだろうな、と。


65. 化野夕陽「卒業文集」

 考えてみれば、テーマが「第一座右の銘」なのだから卒業文集にからめた話を書くのはごく自然な発想だと思う。しかし私はまったく思いつかなかった(やはり、ひねくれているのだろうか?)
 この作品は着眼点が面白くて、生徒ではなく教師の立場から文集に書く言葉に悩む姿を描いている。名言を書かなければいけない立場にあって、その場しのぎを繰り返してきた先生が、時を経て言葉を贈った卒業生からその言葉が今も生きていることを知らされる。この構造を一時間で組みあげ、掌編の形にまとめ上げている点にも驚かされた。
 ところで、私は作中に出てくる〝大人の目から見た大人への憐憫というものが、ひどく恐ろしかった〟という言葉に震えあがった。それは、たしかに恐ろしい。


66. ハギワラシンジ「洞窟たのしい!」

 ラーメンか? 繁殖か? と思いながらタイトルをクリックししたら、洞窟に飛ばされた。二人称小説で感覚を伝えるのって難しいと思うのだけど、痛覚よりも血流や熱に訴えかける表現でわからせてくる文章だった。
 〝アビサリア〟の姿が描写されていなかったので、とっさに思い浮かべたのがタマウガチ(『メイドインアビス』)だった。普通に怖い。
 すっかり食われたところまで読んで、弱肉強食は世の習いなんてことを思った瞬間、テーマが「第一座右の銘」だったことを思い出した。古賀コンの作品はテーマがどんな風に使われているか、どこに出てくるかを意識して読んでしまうのだけど、それを忘れさせるほどの没入感を生み出している。


67. 翠雪「青い永遠、蝉時雨」

 振り返るとあっという間だったと思うのです、青春。振り返ると無駄に過ごしていた時間があったな、と思うのです、青春。若い時間を消費しているな、と思いながらもろくでもないことに——それこそ屋上に出て延々と叫ぶとか——費やすのを止められないのもまた青春だと思うのです。
 あと、タイトルのセンスが良いなあ。


68. 中務滝盛「赤いバックライト」

 〝以津真伝〟って〝いつまで〟か。読み進めるにつれて、なぜか昭和のイメージ——映画『太陽を盗んだ男』のアパートの情景——が被さってきて、ラストシーンでアコースティックギターの音色が聞こえてしまった(BGM『夏のうねり』)。虚しさや悲しさよりもいたたまれなさが胸に迫ってくる作品だった。


69. ゼロの紙「犬に似ていた人生だった。」

 包丁が消えるくだりで肝が冷えた。いきなりホラーになるわけではないのは、読んでいればわかるのだが、読み終えてもこの部分の印象が濃い。むしろ余談なはずなのに。
 タイトルがどうつながるのか具体的に書かれているのに、主人公の顔を想像するのが難しいのも印象的だった。ヘッダーの画像のような犬を当てはめてしまうのは、どうも違う気がした。


70. 山崎朝日「第二座右の銘」

 冒頭の「そんな意味じゃない」というのが良くわからなくて、平櫛田中について軽く調べた。なるほど、そうつながるわけか。たしかに、それはそんな意味じゃない。ここが飲み込めると——平櫛田中の言葉の背景がわかると——タイトルの第二座右の銘がどこにかかってくるのかもわかって、読後感が変わってくる。やはり、わからないことはすぐ調べてみるのがよい、と思った。


71. ときのき『越冬記』

 タイトルの「越冬」と冒頭の「卵」くらいしかヒントがないのに、一段落目を読んだところでペンギンの話かな、となぜかわかった。これは見事なペンギンSFではないですか。
 ペンギンの話だと確信できるのは〝フリッパー〟という言葉が出てからなのだが、私は不思議と最初からペンギンの話として読んでいた。そしてこの話、ペンギンの特徴を見事に掴んでいるのだが、〝ペンギン〟という言葉は一切出て来ない。登場ペンギンの名前は〝山田〟とか〝江藤〟とか、それ絶対ペンギンじゃないだろうという感じなのに。


72. 不破安敦「ある夜の依頼者」

 テーマ「第一座右の銘」を作中に埋没させるというか、巧妙に潜ませた作品だと思った。〝メッセージ〟〝メール〟〝画像〟などの言葉から舞台は現代だと思われるのだが、依頼人の語り口がどことなく西洋風ファンタジー世界を彷彿させる。また、時間帯が明記されていないにもかかわらず、夜を強く感じさせた。


73. 南国アイス「南国家の文献による座右の銘に関する一つの考察」

 この作品はエントリー順ではラストナンバーなのだけど、最後にテーマをいま一度確認するかのように座右の銘ではじまり、座右の銘で終わる。短さも良い方向に作用していて、語るべきことを語ってさくっと終わるのが良かったです。
 第一座右の銘として最後に出てくる一節も面白いのですが、中盤の〝人生をゴミ箱に突っ込んでダイナマイトで吹っ飛ばした燃えかすに小便をかけているものだ〟という豪快な言い回しが特に面白かったです。この小説はそうしたちょっとした言葉遊びに満ちていて、最初から最後までストレスフリーで読むことができました。


おわりに

 以上、全73作品の感想になります。
 お疲れさまでした。

 記事を書き終えたタイミングで、佐藤相平さんが古賀コン4に引き続き全作感想を書かれている——現時点でnoteに投稿されている——ことを知って、これと並ぶのか……とちょっとびびっています。
 というか、佐藤さんの感想はとても丁寧に書かれているので是非そちらを読まれるのがよろしいと思います。

 今度こそ最後です。
 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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