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「白昼セゾン」



 偶の休日、子供を旦那にまかせて表へと出ると、大概はたまプラーザ駅ビル二階をふら、ふらと歩く。有隣堂があり、ユニクロがある。改札の上部が吹き抜けになり、見下ろすとそこはかなり低い。加熱式たばこ専用の喫煙ブースに立ち寄って、しばらく休む。その後は一階まで下りてもみるし、もしくはブリッジを渡って別棟に移る。とくにするべきことがあるでもないが、ふら、ふら歩き、加熱式たばこ専用のブースへと立ち寄ってしばらくそこで大好きな人のことをおもう。
 それとはべつに、徘徊aのこともときどきはおもう。
 彼があらわれるようになってもう二ヶ月くらいも経つのだろうか。徘徊aは、駅ビルにかぎらず周辺のそこかしこに出没しては、ふら、ふら歩き、または立ち止まってあたりを振り返る。昼も、夕方も、早朝にもいる。
 出会す頻度を不審におもって、あえて用のない角を折れたり、ブリッジにあがってその後ろ姿を視認してみたりもしたのだけれど、どうやらわたしが目的ではない。というより、まず目的のようなモノがありそうでもない。重たげな皮ジャンを着ていたり、晴れていても常時ビニ傘を手にしているところを芝居じみても感じたのだが、気がつくとそんな特徴を棄て、きょうはニット帽姿を東急の交差点まえで見た。
 黒髪が青く、その横顔はすこし切先に似ているといえたかもしれない。
 面長なうえにした下顎が妙に細まっているのだ。
「…彼奴、ぜったいヤバいんだよ」
 なんていうことは旦那にはいわず、マンション住人用の自由掲示欄に書きつけるようにしている。
「月よりも必ず毎日いるもん」
 二時までに加熱式たばこを一箱分吸った。
 うどんを食べ、日差しの当たらないソファで十五分瞼をとじた後、献立についての考えをまとめた。大好きな人は、歩けば数分のところに住んでいた。美容院がすぐ下にある、妙に西欧ぶった外装の五階は、おもったほど居住環境として好ましくない。配管がボロなのか下水臭いし、かべでなく通気孔から隣室の声がきこえたりする。そのままうと、うとしていると、彼の味がまだすこしした。
 加熱式たばこを二本吸い、四本吸って、もう一度したことを憶い出す。その道すがらに出会した徘徊aは、普段より元気がなさそうに見えた。あの人は、一階の美容院に月一度通った。献立について考えねばならない。徘徊aは、実はというと二重瞼であった。銀のメガネの奥底で、つぶらな瞳が、枯れ果てた視線を揺すぶっている。旦那も二重で、あの人も二重だ。息子も二重で、だれよりも愛しい。どうして魚が憎いのだろうか。徘徊bも、徘徊cと、徘徊aとに出会したことは今はまだない。というのも、いくら街歩きを生業にしたとて、毎日わたしと顔を合わすのはどう考えても不自然だろう。つまり徘徊は数種類いて、同じ顔で、同じ背丈で、同じ瞳でわたしを見ている。この街に住んで、もう四年と数ヶ月が経った。楽しかったり、楽であったりする人生にさしたる面白みを感じはないし、たとえ不都合が近くにはあっても、日を食み、肉を食み、わたしも、息子もすくすく育つ。加熱式たばこを二本吸い、大好きな人とセックスをして、晩には旦那ともセックスをした。たまプラーザの駅にはホテルがない。うどんを食べ、十五分瞼をとじたはずのソファで、ふいと切り株のように目が醒めてしまった。すると徘徊aがすぐ目のまえにいる。ビニ傘を持たずに、皮ジャンもニット帽も身につけはせずに。
「いい天気ですね」
 とでもいえていたらよかったのだろうか。
 彼は喋らず、正対したままじっと見下ろし、でも依然として喋らないでいた。
 鬼がわたしを懲らしめるみたいに。耐えられずに席を立とうとしたところで、ようやく一片のメモ紙をとり出す。
 そこに、
「成長は金。未達成も金」
 とあり、
「鳥になるのか。大人になるのか」
 とあり、
「天国にはらくだがいましたか?」
 ということばが三種類あった。
 けれどクシャクシャに丸めて立ち去っていった。どっと疲れ、嗚咽がもれたし、瞳からは部品のいくつかも溢れた。たまプラーザ駅ビル二階には大勢がいて、無印があり、芝生のうえで日向ぼっこをする人たちがいた。怪人マントがいて、県内で一番可愛い子もいた。ぎょうざ無料券を一枚うけとり、わたしはもう家に戻れないとおもう。近くにいたとき、徘徊aからは煮詰めた木の匂いがしていた。立ちあがってスカートの裾を直した。こんなところでもういいだろう。メモ紙にあった三十八文字を鞄にしまい、加熱式たばこ専用のブースにそれごと置いてゲンジツにかえる、はずだったのだが、またしてもちいさなaは表れ、い、く、よ、と根もとまで刺すようにいう。

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