有終完美(期間限定、氷菓飲料。砂糖過剰、中空菓子)
逃げちゃった。駆け出しちゃった。くるり、踵を返して一目散に。
放課後の空き教室に私を呼んで、だってあいつ、言うんだもん。言おうとするんだもん。
あの口の形。微かに震える赤くて艶やかな唇。スローモーションではっきり見えちゃった。測定したことないけど、たぶんぜったい、クラスで1番鋭敏な私の天才的な動体視力が見事ばっちり目撃しちゃったの。
あいつ言おうとしてた。実行しようとしていた。
私に、私に、私に、私に!
私は堪らず逃げ出した。逃げ出しちゃった。足が勝手に動くんだもん。心拍数、急上昇。顔がかっ、と熱くなって、胸の奥底から初期微動が始まって、二秒後にはマグニチュードいくつか分かんないけど歴史に残る大地震。手足ががくがく、ぶるぶる、震え出したから、「わ、私、トイレ!」なんて謎の自己紹介をするなり、全心全力、脇目も振らずにドアへとサクサク、いやざかざか、向かっちゃったわけ。
放課後の教室に差し込む夕日って、涼やかな初夏の風って、なんてことない平凡な14才の顔を、無駄に荘厳に見せてくれる。まつげの先がキラキラ、煌めいちゃって。人間の眼球って濡れてるんだな、とか、当たり前のことに気づいたり、ふたりきりの教室って、妙に声が響くんだなって、思ったり。
ああ、こんなにあいつのこと、考えちゃって! 無我夢中に考えちゃって!
4月に書いた今年度の目標、「泰然自若として、刻苦勉励」。これじゃあ、「周章狼狽して、全力疾走」だよ!
私を追いかける足音がする。ぱたぱた、薄い上履きでリノリウムの床を駆ける音がする。嘘。ほんとはリノリウムじゃないかも。リノリウムって言いたいだけ。リノリウム。天然素材から作られた環境にやさしく脱炭素社会への適応が期待される床材。リノリウムだといいな、この床、きっとリノリウムだな。築35年の校舎だもん。古いタイプのリノリウム。きっと、リノリウム。
私はきゅっ、と軽やかな音立てて、きっとリノリウムな床を踏み締めて、振り返って、あいつを真っ直ぐに見つめた。
見つめ合った。
確かにつながる眼差し。
若い。14歳。中学生の。初夏。築35年の校舎。たぶんおそらくリノリウムの床に反射する雅やかな夕刻の光。
まばたきで長いまつげが上下して、夕方のハイライトで濡れた瞳は煌々(こうこう)として妖艶。
「待って。逃げないで。言わせて。おねがい」
おねがいされた。どきどき。
私、もう逃げないよ。緊褌一番、一大奮励、ちゃんと聞く。
あいつは、乱れた呼吸を整えて、息を吸って、吐いた。
それから、言った。
「掃除当番、代わって! おねがい。今、みんなには内緒でみゆきと付き合ってて、デートの約束してるんだ」
「断る!」
即断即決。私は大股で歩き出す。
「待て待て待て。タダとは言わない。スタバ奢る」
「グランデ?」
「ベンティだ。ドーナツもつける」
ベンティ。期間限定フラペチーノ。シュガードーナツ。
甘い甘い、甘すぎるぞ。
私は笑顔で振り返る。当機立断。
「ドーナツ、ふたつ!」
貰えるものは貰っておく。
好機、逸すべからず。
翌日、あいつに貰ったスタバチケットで、いよちゃんと一緒にドーナツを食べた。いよちゃんは、美少女だらけの中高一貫女子校にて、いちばんかわゆい女の子である。口の周りについた砂糖をぺろりと舐めるいよちゃんの可愛さを注視しながら、私は今日も思うのです。
終わりよければ、全てよし。有終完美。了!
#古賀コン5 #第一座右の銘