『越冬記』

 
 
 思想信条の表明に際し、駄弁を弄し、無駄に言葉数を増やして何事か語った気になるのは間違っている、男なら背中で語るべきだ、と山田はいった。巣の中に卵を抱え込みながら。
 
 越冬の時期が来た。オスは抱卵のため巣にうずくまる。メスが餌を持ち帰る春まで、腹に蓄えた皮下脂肪で長い長い冬を食事なしで乗り切らなければならない。過酷な試練だ。死ぬやつもいる。脱落するやつもいる。
 巣作りに励みながらおれたちは語り合った。
 いかにして、幾月も続く氷雪吹き付ける極寒の夜を越えるか。パパ一年生のおれや坂口や江藤はとにかく不安だった。味を問わずひたすら飯をたらふく食べ、小石を積んでクレーター状の素敵な我が家をこしらえた。準備にはそれなりの時間を使ったつもりだ。だがなにしろ経験がない。本当にこれで十分だといえるのか。もしも「やっぱあれが足りなかった」みたいなことになれば目も当てられない。
 結局のところ知らぬ者同士でいくら語ってもミリも話が進まないので、経験者を訪ねることにした。それが近所の住人、山田だ。山田は去年も越冬し、無事第一子をもうけた、パパ歴二年のベテランだ。せり出したがちがちの胸筋に丸太のようなフリッパーが威圧的で、無闇にでかい声とあわさっておれたちのような人種としては積極的に交流を持ちたいと思えるような相手ではなかった。これまでは。それでも渋るおれに、江藤が眼鏡をふきふきいった。背に腹は代えられない。他に経験者の知り合いもいないことだし、山田に頼るほかない。山田はああいう感じだがきっと悪い男ではない。いわゆるあれだ、男らしい男だ。誰であれ気前よく受け入れてくれる男らしい鷹揚さを売りにしている。大した知り合いでもないおれたちであっても無碍には扱わないだろう。無口な坂口はいつも通りただ頷くだけだったが、おれとしても他に案があるわけでもなく、何より越冬の不安は三人の中で一番強かった。おれは臆病なので。
 というわけで、おれたちはすでに営巣準備を終えくつろいでいた山田を訪ねた。山田邸は機能的でシャープな外観と生活空間としての温かみを両立させており見るからにめっちゃ住み心地がよさそうだった。
 おれたちの話を一通り聞くと、山田はぼそっといった。
「お前らの、この冬を越えるにあたっての、所信表明ってか、信念っつうか、座右の銘的なもの?ってなんなん」
 おれたちは返答に窮した。当然というか、特に何もなかった。
 江藤が、「……安全第一?」とようやく答えると、かぶせ気味に山田の冷たい声がした。
「お前ら、抱卵舐めてねえ?」
 容赦なく注がれる睨みつけるような視線におれたちの目は泳いだ。背中を冷や汗が伝う。前にもいったが、なにしろ山田はガタイがいいので嫌な迫力がある。しかしなんで詰められなきゃならないんだ。
 そこから始まり三十分に及んだ山田のありがたい説教の詳細は割愛するが、後輩をどやしつけびびらせ、委縮し真っ白になった頭に自説を流し込んで子分化するという手口は実は山田自身もかつて受けたことのある悪しき伝統を継承したもので、つまるところは冒頭のひとことに帰着した。
「ごたくじゃねえ。男なら背中で語れよ」
 おれたちが適宜相槌を打ちながら殊勝にうなずくと、ようやく満足したのか越冬のhow to に話が移った。それ自体はためになる箇所もないではないひと冬の体験記を聞いたあと、自分たちの巣に戻る道すがら江藤が「あのまま全部背中で語っちゃって何も聞けないかとひやひやした」と呟き、おれは笑った。
 空が暗くなってきた。吹き付ける風に氷粒が多くなっていく。
 おれたちは軽くフリッパーを振ると、それぞれの巣に向かって別れた。
 またな。
 ああ。
 春に、また会おう。
 巣に帰り着くと、おれは腹の下に卵を抱えた。温かかった。気のせいだろうが、動いたような気もした。出生前診断で生まれるのはメスだとわかっている。雌雄などどうでもいいが、もしも春を迎えることができたなら、きっと幼いころの妻に似ているに違いない可愛い娘に、泳ぎと魚取りを教えたい。
 おれはうずくまると、目をつむった。

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