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 家を出る前の確認が、日課となっている。ハンカチよし。ティッシュよし。スマホよし。
 三歩前から調整して、左足で三和土に着地。いや、ここは土でもないのに三和土で良いのか、別の言葉があるのか、後で調べるのを忘れないように、と思っていたら分からなくなったので、再度三歩前から初め、今度は注意深く着地。右側から靴を履き、そのまま右側にある座右の銘を確認して、右手に持つ。
 今日は第四月曜日だから、第一の座右の銘で良かったか。アプリを開いて確認する。大丈夫。あ、天気予報。これもアプリでチェックする。ついでに明日は第二十七座右の銘の「習慣は第二の天性なり」だと確認だけはするが、今は忘れようと思う。今月は五回ある火曜日、第五火曜日に、「第二の天性」などという数字が入ると、混乱するのは分かっているからだ。
 多くの人が当たり前のように出来ることが、私は苦手だ。数字に弱く、左右が分からないことが多い。右、といわれたら一旦脳内で、お箸を持つ方、と確認するのが習慣になっている。
 玄関にある姿見で、身支度を確認する。反対側になった右手を見ると不安になるので、極力見ないようにする。
 人々が座右の銘を持ち歩くようになって、二十年ほど経つ。生まれた時からの座右の銘ネイティブとは違って、大人になってからの習慣だから身に付かないとはいえ、私にはつらかった。必ず右手で持つように義務付けられていたからだ。「座右」だから、右で無いといけないそうだ。 
 駅前まで来ると、ひとびとが思い思いの座右の銘を片手に持ち、電車に乗ろうとしていた。私のように、公式サイトの提案そのままの「今日の座右の銘」を持ち歩くものも居るが、ちょっと個性を出したいひとは自分で考える。とは言え、「思い立ったが吉日」のような、前向きで口当たりが良いだけであまり意味の無い、汎用性が高いものが老若男女いずれにも人気だ。中高年には骨太っぽく見える「有言実行」「不撓不屈」辺りを抱えたり、転んだ時に手をつかないで済むように、二の腕に専用ストラップで巻き付けたりしているものも多い。
 個人的な好みで、「一期一会」「ご縁に感謝」などを持った人とは極力接触したくないので、人々の姿を眺めながら、時折自分の右手が機能しているか確認する。
 今日は一つ先の駅のヨガスタジオでヨガのクラスだ。健康のためだが、左右が分からない私には選択肢が少なく、ゆっくり行えるヨガをすることにした。左右が分からないので、ダンスやエクササイズは出来ない。今のところ、鏡に映ったインスタラクターの姿を見て、言われことを指示通りにこなすので精一杯だ。
 右手を前に、左足をまっすぐ後ろに。そのまま右手をお腹のところで縮めて。混乱した。汗がしたたり落ち、座右の銘「心頭滅却」を皆と違う方で持っているのに気付いた。(了)

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