シンジくん(古賀コン5投稿作品)
コンビニの角を曲がると、逃げちゃダメだ、が道端に落ちていた。このように、不要になった座右の銘がポイ捨てされているのは決して珍しいことではなかった。座右の銘の処理は素人には難しく、廃棄の際は専門の業者が回収することになっていたが、それを拒む者は年々増えていた。自分の座右の銘を知られたくないというのが、主な理由だった。あらゆる価値観が流動する現代社会において、かつて座右の銘だった言葉達は次々と廃棄されていった。特に「逃げちゃダメだ」「退かぬ、媚びぬ省みぬ」などマッチョな価値観を持った言葉は悪とされ、高温の焼却炉で葬り去られた。「あきらめたらそこで試合終了ですよ」など不死鳥のごとき復活を遂げた座右の銘も一部存在したが、それも流行の波に浮かんだ泡沫としていずれ消えゆくものであった。「あわてないあわてない ひとやすみひとやすみ」と言った伝統的で穏やかな座右の銘ですら、休みたくとも休めぬ者達からのヘイトを集め、徹底的に燃やされ尽くした。いつからか、座右の銘は人々を苦しめるようになっていた。そのほとんどが、一部の成功者による結果論に過ぎなかったからだ。多くの言葉が憎まれ、燃やされた。それでも人々の怒りはおさまらず、それを座右の銘にした者に対する差別にまで発展した。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉はとっくに灰になっており、誰も口にする者はいなかった。差別は蔓延し、いまや廃棄を業者に依頼することすら恐れられるようになり、座右の銘のポイ捨ては常態化していた。だから私は、ああ、またかと思うだけでその場を通り過ぎようとした。その時、逃げちゃダメだ、が「逃げちゃダメだ」と言った。私は足を止め、逃げちゃダメだ、を見下ろした。彼の体には幾つもの足跡や雨の染みがついていた。私はしゃがみ込んで、彼の体にそっと口を近づけた。「逃げても、いいよ」その言葉が誰かを助けた姿を、私は一度も見たことがなかった。逃げちゃダメだ、が少し笑ったような気がしたが、それは私が見たいように見ているだけだ。逃げちゃダメだ、は体を僅かに震わせると溶けるように消え、道路には染みひとつ残らなかった。