『不良における座右の銘とその変遷』より抜粋 第十三章

 あまねく不良は座右の銘を持っている。
 私が前章までで述べてきたことであり、そしてその変遷は時代とともに移り変わっていった。だがそれでも、彼らはそれを自らの第一義として常に胸に留め、自分の行動の指針としていた。そしてそれは前述したように一種の信仰のようでさえあったと。
 さて、私がここで述べるのは特異な例である。彼らはほかの、いわゆる不良の括りでまとめるにはあまりにも特殊すぎるがゆえ、私はこうして別章を設けることとした。しかし、この章で語られることはひどく短く、また結論を持たない。それは彼らと接触できた期間が短いからであり、そしてその接触は突然途絶えることになった。
 最初に言っておく。
 どうかこの文章を読んだ中にあの頃私と出会った人物がいれば連絡してもらえないだろうか。私はあのときの彼らが決めた行動が何なのか知りたいのである。手前勝手で申し訳ないことはわかっているが、それでも、私はあなたたちと出会えたことが忘れられないのだ。

 私が彼らと出会ったのは冬の寒い日であった。相も変わらず街中でたむろする不良集団に声をかけて回っていた。痛い目にあった経験は一度や二度では済まない。だから、つねに後ろ足を一歩引いて、いつでも逃げ出せるような体勢で声を掛けた。それが私とトオルの出会いであり、「アニュス・デイ」との出会いだった。
「座右の銘? それって、第一でいいのか?」
 私は戸惑った。座右の銘そのものの意味を問われることは多かったものの、そもそも座右の銘に第一や第二といったものが存在することを恥ずかしながらこれまで知らなかった。それでいいと私は言うと、錆びた金色に剃りこみを入れた坊主頭の少年、トオルは答える。
「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」
 滔々と語る彼の言葉に非常に戸惑ったことを覚えている。彼は私の方を見つめながら煙草を吸う。にやにやした笑いに憤慨し、
「からかってるのか?」
 私は思わず怒鳴る。これまでも似たような経験はあった。学徒である私を莫迦にし、卑猥な言葉を投げかける輩はごまんとした。だが、こんな言葉を言われたのは初めてだった。
「別に。でも信じてねえんだろ。別にいいよ。あんたが信じてなくたって、俺の第一座右の銘がそれであることには変わんねーからな」
 その言葉に思い直す。彼は真剣に答えてくれたのだ。その言葉を私が信じなくてどうする。
「いや、すまない。ちなみにだが、第一ということは第二があるのか?」
「ああ、あるよ。つーか第一の座右の銘はうちのグループ共通だからな。
 ――あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。
 これが俺の第二座右の銘。これで満足か?」
 私は彼の言葉に非常に興味を抱き、そうして彼に頼み込み、彼の所属するグループ「アニュス・デイ」の集会に参加させてもらうことになった。
 彼から集会に参加してよいと連絡をもらったとき、私は本当に良いのかと訊いた。彼らのような特異な集団が外部者を求めるとは思わなかったのだ。
「俺の第二座右の銘聞いたろ。できることがあんならやんなきゃなんねえんだよ。だから、俺は先生に良いか聞いた。そしたら先生はオッケーっつった。だからあんたを連れてく。なんだ、行く気ないか?」
 私は即座に行くと言った。こんな機会二度とないと思ったからだ。

 集会の場所と日時を教えてもらった私はそこへ向かう。日曜日の朝九時、言われた場所に着くとそこはずいぶん古びた教会だった。
「おー、おっさん」
 教会の前でバイクに乗り煙草をくわえていたトオルが手を振る。
「ここは教会か?」
「見りゃわかんだろ。ほかになんだってんだよ」
 不良と思われる彼らと教会の組み合わせは妙な気がしたが、使われていない教会はであるここは心霊スポットとしても名高い場所だったため、彼らにとっては好都合なのだと、のちに聞くことになった。
「幽霊だってまさか朝九時から活動なんかしねえわな」
 とはトオルの言である。
 私はトオルに連れられ、このグループのリーダーである、リュウと面会する。
「おはようございます」
 リュウは静かな落ち着いた声で言った。短髪で髪も黒い彼がこのグループのリーダーとは思えなかった。彼の周りを取り囲む連中はみな髪を金や赤に染め、ド派手な特攻服を身に纏っていた。
「不良の座右の銘を調べているとか。トオルから話は聞いています」
 一言一言、言葉を選びながらしゃべる彼はとても聡明に思えた。私はここまで自分の話す言葉を吟味する不良と出会ったことはなかった。インテリヤンキーを称する者たちでさえ、言葉の端々、思考と所作にどこか粗があったものだった。しかし、リュウにはそういった箇所がひとつも見当たらなかった。
 私はリュウに様々な質問をぶつけた。どうしてこのような集団を組織したのか。そして彼らの座右の銘について。あなたを含めた彼らはキリスト教信者なのか。
 リュウはその質問を聞くと小さくうなずいた。
「――求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
 マタイによる福音書七章七節です。これで、すべての回答とさせていただければ」
 私はとっさに返す言葉を失ったが、リュウの静かな笑みからそれ以上の回答は得られないことを悟った。代わりに、これからしばらくの間、あなたの仲間に話を聞いてもいいかと訊ねる。リュウは彼らが嫌がらなければ、と控えめな回答をする。
 私はそれを拒絶ではないと判断し、彼らに話を聞くことにした。
 まずはじめに話を聞いたのは、アキラと呼ばれる少年だった。彼はグループ内随一の武闘派であった。第一ではなく第二座右の銘を聞いていく。
「――受けるよりは与える方が幸いである」
 使徒言行録二十章三十五節。トオルによれば、彼はしつこく絡んでくる他集団から攻勢を受けた際にひとりで立ち向かい、次々に相手を倒していく際に、この言葉を口にするという。痛みをと言いながら。ひとりで立ち向かうことは怖くないのか、と問えばアキラは返す刀でこう口にする。
「――恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。
 先生が教えてくれたんだ。これを聞いてからおれはもう怖いもんなんてなくなった。仲間を守るためなら、おれは痛みを与える続けるんだ」
 次に話を聞いたのは、キョウコという少女だった。
「あたしさ、親にヤク打たれてたんだ。親もヤク中で、売人に仕立てるつもりだったんだって」
 ほらと言って注射痕にまみれた腕を私に見せつける。あっけらかんと言う彼女に私はうなずくしかない。こういった境遇の子は不良には珍しくなかったが、キョウコはその誰とも違う明るさを持っていた。
「でもね、先生に出会って、ヤクから抜け出せたの。ここにいると幸せなんだ。みんな絶対に一緒にいてくれるのがわかるの。
 ――喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
 単純な言葉だけど、あたしはこれをしてくれる人に出会ったことがなかった。でもいまは違う。だから、あたしの第二座右の銘はこれ」

 彼らからいろんな話を聞いた。けれど、彼らとの期間はすぐに終わりを迎える。
 ある日、いつもの通り集会に顔を出すと、みな沈痛な面持ちで、黙り込んでいた。
 リュウに呼びかけられ、私が別の部屋にいくと彼は言った。
「トオルが死にました。私たちはここを離れます。どうか、お元気で」
 私は理由を訊ねるが、彼は首を横に振るばかりだった。そうして、こう言った。
「――言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある。
 箴言十章十九節です」
 最後にリュウが教えてくれた。トオルの最後の言葉だと。
 ――心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
 以上が、彼らと私とのすべてである。

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