柊木葵

小説を書いています。お寿司が好きです。青魚に巨大な愛を。

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最近の記事

『不良における座右の銘とその変遷』より抜粋 第十三章

 あまねく不良は座右の銘を持っている。  私が前章までで述べてきたことであり、そしてその変遷は時代とともに移り変わっていった。だがそれでも、彼らはそれを自らの第一義として常に胸に留め、自分の行動の指針としていた。そしてそれは前述したように一種の信仰のようでさえあったと。  さて、私がここで述べるのは特異な例である。彼らはほかの、いわゆる不良の括りでまとめるにはあまりにも特殊すぎるがゆえ、私はこうして別章を設けることとした。しかし、この章で語られることはひどく短く、また結論を持

    • 記憶にございません

       真夏の風が久しぶりに開けた窓から入ってきて、部屋に湿度と温度を取り戻させていた。近所の公園で遊ぶ子どもの喚声が風に乗って届き、コロナも落ち着き始めたことを思い出す。 「すっかり夏だなあ」  高村は揺れるカーテンを見ながらつぶやく。 「暑いな。窓、閉めるか?」 「いや、いい。お前を思い出すと、いつも暑さも思い出す」 「そうか」  私は冷酒を舐めるように飲む。高村も同じようにした。 「俺たちも、歳をとった。頭の方は大丈夫か、ちゃんと動いてるか?」 「どうだろうな、怪しいかもしれ

      • ユニコーンの先へ

         見張りに連れられて、崖までやってきた。見張りの男たちは崖のてっぺんまでの道のりをわたしに教えると、すぐさま崖に背を向けた。男たちが彼の獣を見ると目がつぶれるらしい。だからここからはわたしひとりでいかなければならない。崖にはひとつだけ迂回路があって、そこを使って登っていく。細い道で人ひとり分、それも身体のちいさなひとでなければ難しいような道だった。吹きすさぶ風で降ってくる砂礫をいちいち頭で払いながら登った。わたしは死ぬのだろうか。彼の獣の相手をする、ということはそういうことな

        • 夜船を食う

           私の住む地域では、お盆の夜に一艘の小舟を海に流すしきたりがあった。小舟には皿にもられたぼたもちがいっぱい積みあげられている。夜が更けるころ、それを海に流すのだ。船食い様に捧げるために。お盆から向こう一年、安全な漁をできることを願って小舟を流す。わたしはそれを食べたかった。大量に載せられたぼたもちをひとつ残らず食べたかった。船食い様は船を食べたいだけなんだから、ぼたもちはいいじゃないか、と。けれど、それが許されるわけがない。大人たちはなによりも船食い様を恐れていた。いつか都会

        『不良における座右の銘とその変遷』より抜粋 第十三章

          名づけるために

           秋山が寝たのを確認してトイレに行く。便座のふたを開けて、ズボンを下した。射精後の切れの悪い尿が出切るのを待ちながら、秋山の思うがままにされたことを思い出す。死ぬかと思った。実際、秋山は殺す気だったと思う。今日も生き延びてしまったことは僕にとっては幸いで、秋山にとっては本懐を遂げられなかったことを意味する。僕はいつか死ぬ。それは人がみな死ぬという意味ではなく、自らの意思で、希って、秋山の本懐のために殺されるということだ。殺人。世界でそれがいま許されるのは彼女だけなのだ。  僕

          名づけるために

          小田原城のために

           おれはおまえを赦さない。理由は、おまえがいちばんわかってるはずだ。忘れたなんて言わせない。あのときのこと。なによりも大事なおれたちのこと。口に出さなくたってわかることを、おまえは誤った。だから、おれはおまえを赦さない。理由がわからないなんて言わせない。こんなこと、言わせないでほしかった。  『ランドマークの死』  あの日、お前は海を見ていた。俺は隣に腰かけて、缶ビールをちびちび飲んだ。俺はいつ言い出せばいいのかわからなかった。お前も、俺が言い出すのを待っていたんだ

          小田原城のために

          邂逅まで

           私はあなたを待っていた。  おかえりなさい、はじめまして、こんにちは、こんばんは、おはよう、おやすみ、さようなら。あなたが来る日を、私はずっと待っていた。あの人と一緒に。けれど、あの人は私の近くにずっと居てくれなかった。いつから私だけになったのか、それはわからない。けれど、いまでも待っているはずだ。あの人はどこにいようと、あなたを待っていることを知っている。そうしてあなたはあの人であるかもしれない。  私。私はそう記す。すべてを包含しうる存在として、私は私としてある。私

          邂逅まで

          もういない場所で

           二〇一九年、徳島市の国府町の民家で、明治ごろのニホンオオカミの頭骨が見つかった、とネットニュースになっているのを見た。これは、あのとき生首だ。あれから、どこかの誰かを守ってくれていたんだろう。立派につとめを果たしていたのだ。でも、それがなんだというのだろう。私はPCの画面を見ながら、弟が生まれた日のこと、祖母のことを思い出していた。  兄がうまれたころ祖父が死に、祖母が死んだころわたしがうまれた。あるいは、兄がうまれたから祖父が死に、祖母が死んだからわたしがうまれた

          もういない場所で