第二座右の銘

 噛み始めたばかりのアーモンドトーストを、わたしは危うく吹くところだった。昨日姫路で勝ってきた、白い紙袋に入った高級食パン、添付のリーフレットに「生で」と何度も何度も書かれているのを(なまなまうるさいわ! 生で食べておいしいものは焼いて食べたっておいしいんだっての! と喚きながら)ガン無視して、これも昨日姫路で勝ってきたアーモンドバターをたっぷり塗って、香ばしく焼きあがったばかりのトーストだ。間違っても吹きだしたりしたくない。もったいない! 
 租借半ばのパンを私が万一に備えて口元をタオルで押さえながら大慌てで嚥下するのを、祖父は面白そうに見ていた。
「いや、それ、そんな意味ちがうし!」
 もったいなくも、ろくに味わわないまま何とかパンを飲み下し、改めて咳き込んでから、恨めしく祖父を睨む。
「違うかのぉ」
「違うに決まってんじゃん。もう! でんちゅーさん聞いたら怒るんじゃない」
「怒りゃあせなあ。あいつぁそがぁん器のちせえやつじゃねぇもん。むしろ大笑いすらぁ」
 四十年以上前に百七歳で亡くなっている大芸術家を竹馬の友かなんぞのようにあいつ呼ばわりして、祖父は自分が呵々大笑する。
「まあ、器の大きい人だったろうとは思うけどさ」
 ぼそぼそ言って、私は再びパンを咬み取る。
――竹馬の友。ぐらいのつもりなのかもしれないな、もう。
 口いっぱいに広がった甘く香ばしいアーモンドの香りとふわふわのパンの食感を幸せに味わいながら、思う。
 その人の言葉は、長年そばにありすぎて、祖父にとってもう自分の一部になっているのかもしれない。その言葉を発した人を、友人のように思っているのかもしれない。
 
 最後に赴任した小学校で「校長先生」をやっていた間に、彼は何度その言葉を引用したのだろう。祖父の家には、平櫛田中翁の言葉を書いた暖簾や色紙や扇子が応接間以外のすべての部屋に飾られていた。
『いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる』
 最初の一枚がこの家に現れたのは、定年退職から十年ほどたった頃だろうか。大学在学中に起業した会社がなんとか軌道に乗ってきたところだという青年実業家が、嬉しそうに持ってきた。
「先生に教わった言葉が、背中を押してくれたんです」
 と、彼は言ったそうだ。私はまだ小学校の低学年だった。台所の入り口に暖簾をかけながら、すごいわねえ、とかなんとか、母が言っていたのを覚えている。「背中を押す」という言葉の意味が、私にはまだわからなかった。
 言葉の意味が分かるようになったころ、また別な人が、今度は色紙を持ってきた。そんな風に、何人もが、各々の想いをこめて、それぞれの歴史を語って田中翁の言葉を祖父に戻しに来た。感謝を込めて。祖父は全てを、微笑んで受け取った。受け取っただけでなく、それを自分の見えるところに置いた。寝室の天井近くの壁。和室の床の間。廊下の壁。トイレにさえ。応接間に飾らなかったのは、新たに持ってくる人が「被った」と思わなくてすむようにという配慮だ。何と細やかなと、私は半ば呆れつつ感心する。そんな人だから、これほど何人もの人がお礼にと訪れるのだろう。
 孫の私が言うのもなんだが、祖父は本当に暖かな人だ。私が大学に入った年、感心だか嫉妬の混じった羨望だかはたまた蔑みだかわからない口調で青年実業家をほめていた母が癌で亡くなり、後を追うように父が交通事故で亡くなって、祖母が認知症を発症しても、妻に対する祖父の態度は変わらなかった。いや、変わって、今まで以上に優しくなった。
 曜日のわからないことが多くなって、同じことを何度も言うようになって、何をどこに置いたかわからなくなっても、祖母は辛い思いをしなかった。祖父が苛立たなかったから。感心しつつ、私はどうしてもイライラしてしまうから、長期休暇で家に戻っても、祖母のことはほとんど祖父に任せていた。祖母の認知症がいよいよ進んで、下の世話が必要になっても、祖父は彼女を施設に預けてしまうことに同意しなかった。デイサービスを利用しつつ、家で自分が看る、と言って。
「私、帰ってこようか?」
 一度だけ、私は聞いてみた。本気ではなかった。そう言えば祖父が祖母を諦めるのではないかと思ったのだ。
「馬鹿ぁ言うな」
 呆れ顔で、祖父は私を見た。
「おめぇに頼むぐれぇなら、施設に預けとらぁじゃ」
 どういう言われようだと思ったけれど、まあ、ほっとしたのも事実だった。
「わしがやらんでもな、おばーさんの面倒を見てくれる人はようけぇおる思う。今はええ時代じゃけぇな。でもな、今やらにゃあ、もうできんのよ。今までにできんかった分、今やらんと、死んでしもうてからじゃあ、わしがおばーさんに優しゅうしてやることはできんのよ」
 そんなつもりでいままで祖母の世話をしていたのかと、愕然とした。そうして、祖母も亡くなって。祖父が満足したのかどうか、私は知らない。きいてみたことはなかった。
 
 ゴールデンウィークの前半で三回忌をやって、昨日は友達と姫路に遊びに行った。今日は何もない休日。アーモンドトーストを食べながら、昨夜遅くに救急車で運ばれた近所さんについての話す。倒れたのは齢七十の男性で、救急車を呼んだのは愛人さんだとか。
「わるくすれば腹上死だったってね」
「腹上死かぁ。いっぺんやってみてぇよな」
「いや、いっぺんて」
 一度やったら、次はないから。
「じゃけ。生きとるうちにやらにゃ。今、やらんと」
 そんなところにまで適応されるのかと思う。けど、腹上死って、一人ではできないし。
「そりゃそうじゃ。ほんなら、誰かさがさにゃいけんな」
「おじいちゃん、自分の齢、わかってる?」
 祖父はニヤッと笑った。
「田中さんな、有名な揮毫、も一つあるん、しっとるか?」
 いまやらねばいつできる、以外に有名なの、っていうと、あれか。六十七十ははなたれこぞう おとこざかりは百から百から――ってやつか。

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