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リスクを取って、自分の信じる道を歩んだ父親の話
私の父親は、昭和14年に新潟で生まれました。
その父(私の祖父)も医師でしたので、当たり前のように医師になりました。
産婦人科の医師になった父は、病院勤務を経て、産婦人科クリニックを開業しました。
しかし、私が小学生の時に離婚。
2度目の結婚も、私が中学生の時に離婚。
3度目の結婚も、私が高校生の時に破綻。(話すと長くなるのでこれくらいで)
私は、父を尊敬できなくなり、高校1年までは数学が得意でしたが、高2から数学の授業でも、隠れて本を読むようになりました。
医師を継がないという意思表示だったのですが、数学のテストで赤点を取り、先生が父を学校まで呼び出すまでの事態に。
そんな、少しリスクテイク過ぎる父でしたが、60歳を過ぎた頃に人生の大転換が起こります。
自らのアトピーが、にんにくですっかり症状が消失したことに驚き、人間の自然治癒力のすごさに目覚めます。
日本や海外の医学の本を片っ端から読みまくり、人間の自然治癒力を大事にした、新たなクリニックを八王子に開業したのが64歳。
それから、昨年脳梗塞で倒れるまで、20年間、自分が信じる治療をやり遂げました。
本も6冊出版しました。全国講演会も引っ張りだこになりました。
一時、Japan Timesの「アジアでの次世代 名CEO ベスト100人」にも選ばれました。
60歳を過ぎてから、突然、自分が本当にやりたかった、患者さんへのサポートの仕方に気づき、必死で生きてきました。
昨年父が倒れてから、私は支援をしていますが、父は、「人生に本当に満足。幸せだった」と言っています。
60歳を過ぎてから、成功するかも分からない、新たなコンセプトのクリニックを開業し、食事療法、運動療法、精神療法(笑いなど)を取り入れ、がん患者さんを支えることに生きがいを感じていたようです。
父の生き方を見ていて、私は55歳ですが、自分が本当に信じること、やりたいことに全力で取り組むことの素晴らしさを学びました。
今の会社も大好きなので貢献したいと思いますし、今月、危機管理カンファレンスで5/24に多くの方に講演を聞いてもらえますが、社会にも違う形で関わっていきたいと思います。
またリアル/SNSなどによって、素晴らしいネットワークを構築し、そこでの交流も大事にしていき、自己の成長、ともに成長につなげていきたいです。
今日は、父のいる八王子の介護施設に行き、とても楽しく話をすることができました。
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