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"The place I want to remember"
60年代最後の年に生まれ、東京の下町で幼少を過ごしました。7年ほど住んだ墨田区のアパートはその後2年生まで通うことになる小学校のすぐ裏にありました。8時30分に授業が始まるのに8時30分に家を出て走って校舎に入っていくダメな小学生でした。そんな私は今子供に遅刻するな〜!と毎日せかし煽りながら学校に送り出しているダメなオトナです。
ちなみにこのアパート、50年経った今でも健在のようで、Google
名前の消えゆく会社へ捧ぐ
元来、昔話をすると心がむず痒くなりあんまり好きではないのだけど、せっかくなので書き記しておく。
1996年8月12日 ソフトバンク株式会社入社 ヤフー株式会社出向
1997年2月1日 ヤフー株式会社へ転籍
(ノートアプリに記してある経歴書から)
大企業にいる人からすると子会社への #転籍 という事態は、それからの人生を脇道へ逸れてしまうという危機的状況を表す片道切符のようなものなのだろう。しか
生きている者たちのために亡き人に手を合わせる
階下にに住んでいる母からインターホン越しに、子と孫たちに亡き父に手を合わせに来て欲しいと言われた。昨日は元旦を共にしただけでそういえばチーン、南無〜ってしてなかったなと思いつつ手を合わせに行った。
歳を重ね、子供の頃から悟り気味というか、冷めた子供だったのに、更に輪をかけている昨今、死というものに冷めた見方をしてしまう。自らも徐々にそこに近づいているからそうしないとやっていけないというのが本音か
新宿方面な人たちへ〜昭和の東京
多分皆さんみてたりするんでしょうけど、今日の都庁広報のTwitterで気づいて見てみた。
最近は見かけなくなったビル解体の鉄球でガンガン壊されていくヨド、じゃなくて淀橋浄水場。見慣れた西口立体ロータリーと地下駐車場。もう作られて50年なんですね。雰囲気は今も全く変わってない。
現在このシリーズ11本掲載されてます。