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声高に「多様性」と言っているけど

1、元から多様


最近、多様性に関する話題が増えていますよね。

ダイバーシティーという英語が認知されつつあり、

「多様性を尊重しよう」

「多様性を受け入れよう」

と色々なところで言われ始めています。


ざっくり言うと

色んな人がいていいし

色んな生き物がいてもいいし

色んな考え方があっていいね

ということで、

そう言われてみると「確かにそうだよなぁ〜」思いますよね。


ですが、私はこの多様性を「尊重する」「受け入れる」という

「一種のファッション」みたいな世の中の流れに

とても矛盾を感じています。


私たちが目にするあらゆるものを細かく観察すると

同じものは1つもないからです。

どこを見たって隅から隅まで違うものばかりで溢れているのに

それを受け入れようと声高に言ってるのは

あたかも最初から多様性がなかったかのように言っている気がして

何だか違和感しかありません。



  2、勝手に同じものとして見ている


他の生物にはなくて、人間だけが持っている能力があります。


それは何か共通のものを見つけ出して

異なるものを同じものとして扱う能力です。


例えば、身近な例で言うと

私たちの肌の色が違っていても同じ人間として捉えています。


青森出身者と沖縄出身では方言が全然違うけれども

同じ日本人として捉えてます。


お母さんがおっちょこちょいで、子供もおっちょこちょいだと

「親子だから同じだね」と捉えられて

しまうこともあるでしょう。


もっと大雑把な話になると偏差値の高い学校に行ってる子は

みんな頭がいいと同一視されることもありますね。



実際には厳密に調べたわけでもないので

同じとは言えないはずなのですが

人間は細部まで確認せずに勝手に共通部分を見つけ出して

異なるものを同じものとして捉えてしまうのです。



  3、同じだと教わるから問題になっている


私たちが物心つく前の幼少期には

スズメとカラスを見て

別々の生き物だと思ってたはずです。


ですがm「どっちも鳥」だと教えられて

スズメとカラスを同一視するようになります。


学校の授業では、例えば、中学では方程式を習いますよね。


Y +1=X +1

は、すなわち・・・

Y = X

ですよね。


YとXは文字が違うのに同じだと教わります。



さらに言えば「みんな一緒に」「みんな仲良く」と言った具合に

みんなと同じことが良いと徹底的に教え込まれます。


つまり

何かを同じにするというのは場合によって都合が良いわけです。


人間社会を形成する上でも、

みんなバラバラだと面倒なことが増えるので

みんな同じルールを守ることで

物事が扱いやすくなっているだけ

人間自体はそれぞれ異なる存在だという事実は

何も変わっていません。


ですから

あまりにも大雑把に同一視しすぎると問題が起きるのです。



  4、一人一人に別々の学びを


大雑把に同一視している典型的な例を挙げると

小学校1年生の早生まれと遅生まれを一緒に入学させていることです。


4月生まれのお子さんと3月生まれのお子さんでは

成長過程に1年の差がありますから

頭脳の発達にはかなり差があるはずで

普通に考えても3月生まれの方が知識の習得が遅いです。



生まれた月日の差に加えて幼少期は遺伝的な要素が強く反映されるので

子供たちの成長スピードはバラバラです。


なのに学校では、そういった成長に対する配慮がないまま

一律に勉強を教えています。


個別の成長具合は度外視されて

学校側の都合で成績の良し悪しを勝手に決めるわけです。


「うちの子は他の子に比べて勉強できないのは

発達障害があるせいなのかしら?」

・・・と思ったお母さんたちが

きっといらっしゃると思いますが、

それは障害でも何でもなくて

単なる生まれた時の時間的な差と遺伝的な要素で

成長スピードに違いがあるという、

当たり前の事実があるだけです。


ですから、学校の先生が成績うんぬんと言ってることは

話を半分だけ受け取るのが正解で

間に受けない方がいいです。


一人一人成長過程は違うのですから

みんな一緒に同じ勉強をすることも

同じテストで成績をつけることも

意味がないと私は思っています。


そもそもの正しい教育は一人一人に合わることなのですから。



  5、「同じ」という見方は、ほどほどに


うちの子は他の子に比べて劣ってるのではないだろうか?

・・・と思うこともあるかもしれませんが


それは無意識のうちに「我が子も他の子達と同じでなければならない」

という思考が働いていて他人と比較してしまうからです。


私たち大人自身が常に他人と比べて生きることを

学校教育で教えられてきましたので

そういう考えが真っ先に働いても無理もない話なのですが

とは言え、そろそろ皆さんには気づいて欲しいのです。


他人と同一視したり、比較することに

意味がないということを。


そもそも私たち全員が異なる存在なのですから

偏った物の見方をしなように心がけましょう。


うちの子は、うちの子、

他の子は、他の子でいいんです。



特進アカデミー塾長 ひろしコーチこと 坪田 広

ris.ne.jp

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