金沢と、故郷と私のアイデンティティ
(見出し画像は、2024年1月金沢の直江屋源兵衛さんにて撮影したものです)
以前の私なら、この “鉛色の空” の写真は敢えて投稿しなかったと思う。あまり “写真映え” するものではないし、百歩譲ってこれは北陸特有の冬空だ、と理解してくださる方がいたとしても、やはりそれは少数派で、パッと見て気分が明るくなるような写真ではないからだ。
高校3年生の2月、受験のために初めて1人で上京し、カラッと晴れ上がった東京の “青い” 冬空を目にした時、それは控えめに言っても私にはある種カルチャーショックで、驚きと共に、私の郷里北陸との冬の違いを如実に体感した瞬間でもあった。
北陸の冬は暗く、寒い。陽が射すことはあってもそれはごく稀で、雲がちな暗い空が冬の定番である。
以来、私は北陸の冬の情景を “鉛色の空” “鉛色の冴えない冬空” などと形容するようになった。
それは自分の郷里の気候を表すには的を得た表現だったとは思うけれど、やはり澄み切った(東京の)冬の青空には勝てない…と心の何処かで劣等感のようなものを無意識に感じていたように思う。
そして今年の年初、あの大きな(能登半島)地震が起こり、1月、私は家族に会うために金沢まで帰郷した。
時期は大寒を過ぎた頃で、まさしく“鉛色の冴えない空” をそのまま絵に描いたようなお天気だったこの日。
金沢の犀川沿いを歩いていて、ふとこんな思いが私の脳裏を過った。
あんなに大きな地震があったのに、変わらない情景を見せてくれるこの郷里は、例え “鉛色の空” でも、私の一部で、そして慈しむべき存在だ、と。
あの “鉛色の冴えない冬空” も、私を形成している一部で、間違いなく私のアイデンティティの一つでもある、と。
その瞬間、私はその鉛色の空を抱きしめたい気持ちに駆られた。
それはまるで、自分のネガティヴな部分を丸ごと受け入れて、認める作業に似ていたように思う。
私は自分の郷里を誇りに思ってきたし、思慕の念も抱いてきた。そこに偽りはないけれど、“鉛色の空” には、何某かネガティヴで東京の冬の青空に対比し劣っているような感情を抱いていたのかもしれない。
まるでそれは、自分の何かネガティヴに感じている部分を他者と比較して、少し落ち込んだり、残念に感じるような、そんな感覚。
犀川沿いを歩いている時ふと降りてきたあの感覚は、私の郷里と、そしてまだ肯定しきれていない自分自身の一部を、受け入れることに近かったように思う。
私はまた、自分の中で何かを一つ乗り越えることができただろうか。
追伸: この3月(石川県は3/12)から北陸応援割(2024年3月3日時点)が始まります。この機会に是非北陸地方、そして金沢までお越しください。
※ 挿入されている写真及び画像はすべて筆者によるものです。
どなたかのお役に立てるような、読んだ後に心に残るものを感じられる執筆を目指しております。頂戴したサポートは今後の活動費やモチベーションに活用させていただきます。