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楽観という真の勇気を持つ
前著「バリアバリュー」、新著「自分の強みのみつけかた」で触れた、エンデュアランス号が発見されたそうです!アーネスト・シャクルトンを知ったのは、2013年の春のことでした。僕が心肺停止で生死を彷徨った後です。
「三途の川がバリアフリーでなかった」ため、ありがたいことに生還しました笑。でも、一向に状況は好転せず、ベッドの上で先の見えない日々を過ごしました。
▶三途の川はバリアフリーじゃなかった(前
車いすユーザーの日常
この数ヶ月で印象に残った出来ごとのいくつかを書き残しておこうと思います。ユニバーサルマナーやバリアバリュー、社会のあり方を考える、小さなきっかけになれば嬉しいです。
お隣のご夫婦昨晩の地震、久しぶりに不安でした。車いすだとどうしても、逃げ遅れるリスクがあります。もっと入念な準備が必要だと感じました。
地震直後、お仕事をさせて頂いている方数名から、安否確認の連絡を貰いました。同じくして両親からも
新たな10年に向けて
ミライロが掲げるバリアバリューの実現に向け、心強い応援団が集まりました!!
創業から今日まで、十分な成果は得られていないかもしれませんが、多くの人、企業からたくさんの共感を寄せて頂いたことはミライロの誇りです。これまでを振り返るとほんの少し波乱万丈でした。いろんなものがこみ上げて昨晩はちょっと泣きました。
2009年:大学2回生で創業。会社設立1年目の売上は126万円。副社長との極貧ルームシェ
コンビニの入り口で、あの時、立ち止まってくれたあなたへ。
コンビニにて。黒のワンピースを着た女性が、店を出ようとする僕とすれ違いざまに入店。
なぜか自動ドアの近くで棒立ち。視線の先はどうやら店内。不思議に思っていると、僕の車いすが自動ドアを通過した後、再び歩きだして店内へ。
ハッと気づく。ドアが閉まらないようにしてくれたことを。気を使わせないように、見てるか見てないかわからない感じで、なんともさりげなく。
スマート過ぎるユニバーサルマナーに感激した
車いす、新幹線で一人。不安がゼロになった神対応
大阪から東京へ向かう最終の新幹線。
満席で11号車の12B、13B席が埋まっていた。つまり、車いすを置ける席が無かった。
仕方なく、デッキに車いすを畳んで置いて、伝い歩きで車両中央の座席へ。ドアが左右交互に開くことから、デッキの車いすが乗り降りする人の邪魔になる。だから、こういう時は車掌さんにその旨を伝える。
いつもと同じく、車掌さんに声をかけた。「すみません、車いすをデッキに置かせてもらっ
夢は諦めてもいい。死ぬことすらできなかった自分へ
死ぬことすらできなかった僕は、骨が弱く、折れやすい身体で生まれました。
骨形成不全症という、2万人に1人の割合で発症する病気です。
これまでに骨折は20回以上。手術も10回以上は受けました。
幼稚園から小学校低学年の頃まではなんとか歩けました。
でも、小学校4年生になった頃から、車いすを使うようになりました。
歩きたい。みんなと一緒に走りたい。
そう思い続けて高校生になった僕は、休学し、自分の
病室支店へ異動になった時のこと
以前、2013年に入院していた時の記録を書いた。
実はその3年後、2016年に僕はまた手術を受けることになった。
でもこれは前向きな手術で「数年、数十年後、心配なく走り回れるために、メンテナンスする」ために行うものだった。
そうは言っても一度心肺停止をしてしまったので、今度もまた社員には心配と迷惑をかけるだろうな……と思っていた。
でも、僕よりも、写真の方が僕のことに慣れていた。
入院をす