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聖書と信

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聖書はひとを生かすもの、という思いこみだけで、お薦めします。信仰というと引かれそうですが、信頼などの信として、ひとや世界を大切にする思いが、少しでも重なったらステキだな、と思いつ…
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#キリスト教

受難週の道

受難週の道

いつの間にか受難週を迎えている。十字架への最後の1週間は、福音書でも記述の熱いところである。
 
福音書というスタイルは、文学的に捉えても独特である。イエスの生涯を描くようでありながら、最後の1週間にエッセンスが集約されているように見える。
 
もちろん、イエスが教えを語り、癒やしなどの業を行ったその歩みは、たっぷりと描かれる。イエスの弟子、そして信仰を継承する仲間に対して、イエスの教えたことやし

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悪い奴はみんな死ねばいい

悪い奴はみんな死ねばいい

「悪い奴はみんな死ねばいい」
 
息子がそんなことを言っている。反抗期でもあり、頭ごなしに言ってやれないのではあるが、そんな考えで生きていってほしくない。どうしたらよいか。――
 
母親として、どうしてよいか分からず戸惑っている悩みを放送で聞いた。そのまま大人になってゆくとは限らないものの、何か歪んだ考え方に傾いていかないか、心配させられるものではあるだろう。
 
何人かの人がアドバイスをしていた

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『わが主よ、わが神よ』(竹森満佐一・ヨルダン社)

『わが主よ、わが神よ』(竹森満佐一・ヨルダン社)

発行年は、実は2冊の分冊版の発行時である。手許にあるものは、1977年に一巻本となったものである。450頁を超える厚みのあるものになったが、これは1冊になってよかったのではないか、と私は思う。かつてはかなり高価な感覚があったのかもしれない。
 
発行から半世紀を経てようやくお会いできた。伝説の本である。2016年に新装復刊しているが、私は旧いほうで入手した。説教に生涯を賭けた加藤常昭氏が「日本説教

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『八色ヨハネ先生』(三宅威仁・文芸社)

『八色ヨハネ先生』(三宅威仁・文芸社)

同志社大学神学部元教授・八色ヨハネ先生は去る十一月一日に、独り暮らしをしていた大阪市西成区のアパートで死亡しているのが発見された。享年八十八。
 
物語は、この2行から始まる。その扉に「本作はフィクションであり、登場人物や出来事は作者による創作である」と記されているが、「同志社大学神学部」は設定場面であるから、創作ではないということなのだろう。著者は、その同志社大学大学院神学部(研究科)教授である

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『人権思想とキリスト教』(森島豊・教文館)

『人権思想とキリスト教』(森島豊・教文館)

雑誌「福音と世界」で著者を知った。「人権」というキーワードと、聖書への関心が、ほどよくブレンドされているように感じた。その筆者の本があるというので、読んでみたいと思った。そういうわけである。
 
社会学については私は詳しいわけではない。しかし日本において「人権」という言葉が、何か欧米とは違うような、もやもやとした感覚を抱えていたから、ここで一度「人権」というものについての考察から学んでみたい、と思

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『凜として生きる』(平塚敬一・教文館)

『凜として生きる』(平塚敬一・教文館)

キリスト者として、何かしら重荷を負うというものがあるという。どうしてだか分からないが、そのことのために心血を注ぐしかない、という思いで生きるのだ。生きることが、考えることが、すべてそれのために営まれている、という気持ちになる。
 
著者にとり、「教育」がその重荷であるのだろう。しかも、「キリスト教教育」である。キリスト教を信じさせる教育だという意味ではない。教育する側が、キリスト教精神を以て教えて

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聖書をどう経験するか

聖書をどう経験するか

戦時中だか、戦争の気配漂う時代だか、かつて「日本的聖書訳」を計画していたことがあったという。天皇制を肯定するような形で訳そうとしたのだろうか。計画の内容までは知らないが、とにかく日本の実情に合うような文面に訳し直そうとしたらしい。
 
それに対して、敢然と反対の声を挙げた人がいた。いや、いまなら挙げるだろう、などと言うことなかれ。当時は、その反対者は、キリスト者の多くが非国民呼ばわりしたのだそうで

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『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる・中央公論新社)

『明治のナイチンゲール 大関和物語』(田中ひかる・中央公論新社)

失礼だが、存じ上げなかった。大関和(ちか)さん。幕末の1858年に生まれ、関東大震災後間もなく、74歳で亡くなっている。
 
著者は女性にまつわる調査を多くこなしているというから、本書も、女性と職業という観点から綴られているには違いない。ただ、和さんが信仰者であったということから、私はまた別の光を当てねばならないという気持ちになってくる。
 
副題ではなく、題の冒頭として、「明治のナイチンゲール」

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『証し 日本のキリスト者』(最相葉月・KADOKAWA)

『証し 日本のキリスト者』(最相葉月・KADOKAWA)

よくぞ作ってくれた。よくぞ聞き出してくれた。日本中を歩き、しかもコロナ禍にさしかかる中で人の声を集めた。信仰とは何か。著者は知りたかった。理論でなく、人の口から直接聞きたいと思った。著者は、以前の言葉でいえばルポライターであろうか。ジャーナリストでもあるだろうが、政治的な方面ではなく、文化的精神的な問題に挑んでゆく。
 
ここでは、キリスト教信徒に的を絞った。「信仰」はいろいろな宗教があるだろう。

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『天水桶の深みにて』(R.ボーレン/加藤常昭訳/日本基督教団出版局)

『天水桶の深みにて』(R.ボーレン/加藤常昭訳/日本基督教団出版局)

1998年発行の本である。この本についての言及が時折他の本であったので、気になっていた。価格の面で折り合いがつかなかったので手が出なかったが、その値がいくらか下りてきたので、思い切って購入した。
 
知識のない私は、「天水桶」というものをそれまで知らなかった。そもそもどう読めばよいのかさえあやふやであった。「てんすいおけ」、それは江戸時代からあるという防火用水としての水槽であるという。雨水を溜める

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『救いはここに』(加藤常昭・キリスト新聞社)

『救いはここに』(加藤常昭・キリスト新聞社)

ふと本棚で見つけて、宝物を見つけたような気持ちにさせられた。情けないことだが、この本をいつどのように手に入れたのか、全く記憶がない。次に読もう、と思って置いていたまま、すっかり忘れていたようなのだ。
 
加藤常昭先生の本はいろいろ読んでいる。これも、手に入れてきっと嬉しかったに違いない。だが、もったいないような思いで一瞬いたら、そのままになってしまっていたらしい。
 
なかなか厚い。450頁以上あ

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信仰とは何か

信仰とは何か

『証し 日本のキリスト者』(最相葉月・KADOKAWA)に、多くの牧師や信仰者が気づき始めた。これはもっと読まれて然るべきだと思う。否、キリスト者は読まねばならない、と言った方がいい。
 
私は本をご紹介するとき、全部読み終わっていない本を取り上げることはない。だが今回、それをある意味で裏切ることをする。何しろ1000頁を超える本である。ちまちましか読まない私が読み終わるのはいつになるか分からない

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『キリスト者として生きる』

『キリスト者として生きる』

(ローワン・ウィリアムズ・ネルソン橋本ジョシュア諒訳・西原廉太監訳・教文館)
 
ある方に強く薦められた。信頼している方なので、迷いなくすぐに注文した。訳者についてはそのあとがきで知ったが、若い方だった。しかし訳文は的確だろうと思われる。ひじょうに読みやすいし、内容もスムーズに伝わってきた。その訳の原稿を読むのを手伝った人の一人もまた若い人だったが、知っている人だったので、不思議なつながりを覚えた

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聞くに堪えない

聞くに堪えない

隠退(引退)牧師たる加藤常昭氏へのインタビューが、NHKラジオR2で2週にわたって放送された。私の場合は録音させてもらったが、6月半ばまで、ウェブサイトで聞くことができるので、関心をもたれた方は、直接アクセスできる。加藤氏は哲学を学んだ方でもあり、その話は、明快で、筋が通っている。評価はいろいろあるかもしれないが、今日の日本の教会の説教に多大な影響を与えた人の声を、一度受け止めるとよろしいかと思う

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