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20章・続バタフライエフェクト (1) 国を理解・分析し、策を練る。 後、反復し 完成に至る (2024.4改)

AIが分析した情報を元にコーチ陣が実戦の対策を練り、出来上がった対策を履修する為に練習に臨む。具体的な内容だけに選手達も納得して練習に臨む。
紅白戦をすると、更にその分析能力の高さを思い知る。ニュージーランド、オーストラリアの両リーグでプレーしている選手は、モリ兄弟がクレバーな戦い方が出来る理由を理解する。

「オージー戦を想定した練習が、嘗てない程のレベルとなった」とコーチ陣がプルシアンブルー社のゴードン会長に謝意を伝える。その謝意を受けるゴードンも練習を見て満足していた。代表に選出されるレベルの選手揃うチームがAIを使うと、顕著な効果が得られると確信していた。

今回は選手選考を兼ねているので、30名近い人数が招集されている。
AIは選手の絞り込み選考にも関わってくる。
勿論最終的な選考は監督・コーチに委ねられるのだが、五輪予選の対戦チームが決まれば、自ずと戦術と対策が決まり、予選を突破して、トーナメント戦となる本戦に出場するためにはどの選手がそのチームに相応しいのかが、見えてくる。
選手選考のサバイバル自体は変わらないが、所属チームに戻った後も、選手のゲーム中の動きまでAIが把握し続けて、選手の状態をレポートする。当然ながら、彗星の如く候補に値する選手が新たに発掘される可能性もゼロではない。
いずれにせよ、選考対象となる選手達は、常時試合内容をAIに監視され、試合中のパフォーマンスや予選の対戦チームとの相性など、細かなところまで分析されていく事になる。ある意味で公平でオープンとも言えるが、選手からすれば、常に手抜きできない怖さもある。
翻って考えると、監督特権でもある独断での判断も出来なくなる時代がやって来るかもしれない。五輪代表監督が報告したように「監督、コーチの質をAIに問われ続ける」側面も確かにあるからだ。そういう意味では、いい緊張感がチーム内に広がっていた。

「兄弟同士で比較選考される事も有り得る。
三人の誰かが落ちる可能性だって十分ある」
サッカー用のAIを監修するゴードンは、AIの冷酷とも言える判断能力を案じていた。      

また、AIの更なる活用のメドが立ったので、クラブのオーナーになろうという願望がゴードンの中で広がりつつあった。
欧州のサッカー界では競技自体をビジネスとして捉えて、選手や監督が商品のように扱う傾向が散見される。欧州5大リーグにはそれぞれビッグクラブと呼ばれる、多額の資金を保有し、スペックの高い選手ばかりを集めたクラブが存在する。有名な監督と選手を掻き集める、そういったクラブが、稀に機能せずに低迷したりするので、サッカーは面白いと悦に感じていたりする。

陽の目を見続けるクラブがある一方で、弱小クラブが金満クラブを打ち負かすゲームも稀にある。ゴードンはそんな弱小クラブチームを妄想し始めていた。日の目を見ずに埋もれていた選手達が集ったクラブチームが、ビッグクラブを打ち負かしてしまう・・痛快ではないか、と。
そんなクラブチームが注目を集めるようになれば、スポーツ競技としてのサッカーが、一部の金持ちの所有物ではなく、選手の為のサッカークラブという理想型に、回帰する日が来るかもしれない。

ニュージーランドU23チームがテストランを始めたAIが、サッカー界の「傾向」に一石を投じるかもしれない。そんな秘めた期待を持ちながら、紅白戦を見続けていた。

そう、ビルマが中国を懲らしめる未来を想像したヤツって居たんだろうか?と思い、一人笑っていた。

ーーー

桜田と斉木を伴って、スーチー最高顧問と大統領、副大統領との会談を終わらせて、ビルマ国会内の会議場から出てきた。

会談と言うより報告事項で、中国要人との会見の報告と、少数民族被害者の療養ケア施設を、バーマ市内に建設を予定している老人介護施設内に設ける相談をしてきた。
仮に100名の被害女性達をケアしたとしても、そのまま育った村に返しても生活が心許ないものになるかもしれない。そこで幾つかの選択肢を被害者女性に提示する。

・介護職を学んでもらい施設で就業する。
・施設内の学校で学位を取得する。
・プルシアンブルー社の工場に勤務する。
当面はこの3点だ。

おそらくラカイン州でのロヒンギャ族に対する迫害や襲撃により、旧ミャンマー軍の兵士から暴行を受けた女性達が数多く居る筈で、モン族、カレン族などの山岳民族と、共通のケアプログラムが必要となるだろう。
ロヒンギャ族に至ってはイスラム教徒なので、イスラム圏の国々、取り分け隣国のバングラデシュとの折衝、交易、ビジネス、教育、介護などを想定して、宗教を活かした職に就くようにガイドしてゆきたい・・みたいな構想を一方的に話した。どうせ金を出すのはビルマ社会党で、万事が事後報告となるのだから。

中国人民解放軍ばかりを責められない背景もビルマには実はある。与党NLDと旧ミャンマー軍事政権は、少数民族、とりわけイスラム教徒のロヒンギャ族に熾烈な差別を行っていたのは周知の事実であり、最高顧問と大統領には耳の痛い話だろうが、聞かねばならないのだ。

「このまま空港へ向かいましょう。プルシアンブルーの皆さんが間もなく到着します」
斉木が言うので頷く。軍の最高議長が利用していたベンツをモリが引き継ぎ・・というよりも奪って社会党が使っている。

「アイリーン、バーマ空港に向かって」日本語で運転ロボに伝えると「かしこまりました」と遜った物言いをする。
日本の試作版AIナビの様なフランクな間柄を求めたのだが、「却下です。出来兼ねます」と拒否されてしまう。

バーマ国際空港にはシックなトーンで彩色されたロイヤルブルネイ航空機が到着している。富山の中学校を卒業して里帰り中の第5王女殿下がお忍びでビルマにやって来た。この後、ブルネイ王室の好意で皆でオーストラリアに向かう予定なのだが、仕事を優先してモリはビルマに残る。

プルシアンブルー・バンダルスリブガワン支社の結城 紬と吉田 圭とエンジニア5名が転勤でビルマにやってきた。ついでに乗ってくるのもどうかと思うが、乗せる方もどうかと思う。

結城と吉田は、真っ赤な顔をしているカンボジアで一緒だった桜田を抓ったり叩いたりして、誂っている。桜田が一線を漸く超えたと、ブルネイまで広まっているということだろう。日本にも伝わっていると考えて、背筋が寒くなった。

ーーー

英国メディアのインタビューでモリが言及する。中国とラオスは共産国で人権問題に疎いので、被害者向けのケアプログラムなんてものは無い。だから先住民族の女達をビルマ内で保護する・・そんな発言だった。

確かに自国内の一般的な思想、中華思想は漢族中心主義であり、欧米が少数民族・山岳民族と読んでいる先住民を尊重などしない。双方の主義主張の相違を知るモリは、欧米寄りのスタンスで発言する。ビルマ族の政治家は中華思想に準じているので、欧米寄りの発言が出来ない。
思惑通りに欧米の民衆が反応する。「その分の費用をビルマに払え!」とか「人権無視大国」といった誹謗中傷が増え、余計なレッテルを貼られ続けている。
ネガティブな意見の増大は、欧米からの投資を容易に停止させる。更に我が国から撤退し、ベトナムなどの他国へ工場移転を検討し始める企業が現れており、中南海は問題視している。

人権軽視の国であり、少数民族と女性を軽視する国というイメージが確立しつつあるのだろう、海外からの旅行者は減少し、欧米系の航空会社や著名なホテルが、中国経済の先行き不安から便数の減少を交通局に申請し、主要都市のホテルは売却を検討し始めているという。悪しきサイクルに完全にハマってしまった。

我が国にはウイグル族やチベット族といった「人権問題の定番ネタ」が有り、その問題を取り上げて、「中国内で売春ビジネスが蔓延しているのは一子制度の弊害で、中年以下の世代の男女比がバランスを欠いている為」と報じられている。

軍の内部調査で、自治州内の人民解放軍がウィグル族とチベット族の若い女性達を集って売春行為を行なっているのが判明し、慌てて口封じに乗り出している。今ここで軍幹部の更迭や大々的な人事異動は行えない。これが外部に知れたら、今以上の惨事となるのは明らかだ。

事がここまで及ぶと、事前の対策が矢継ぎ早に講じられる。
「党内で、女性問題が表沙汰になった者は有無を言わさずに更迭する」といった通達が出る。党の幹部が少なからず愛人を囲っているのは周知の事実なので、「早いうちに精算しろ」と補足説明が出たという。通達を見て、外交部の劉 璋も困惑する。
劉 璋が引退したり売れなくなった日本人芸能人を集って、中国内で活動している中で、政治局の幹部達の愛人になっているケースも有り、党の指示に従って日本人女性を劉 璋に返却したいと、幹部達が想定通りに言い出し始めた。

20名近い女性を、国内で受け入れる職が見当たらず頭を抱えていた劉 璋は、ビルマ英字紙のモリの計画案に注目する。
日本人芸能人も「被害者だと判明した」事にしてビルマの療養施設で引き取って貰うのはどうだろう?と、思案を始める。

名前を公表すれば、彼女達の素性が知られている日本が騒ぐだろうし、彼女達も中国で愛人生活していた事実が露呈するのも避けるだろう。中国に渡った経緯、中国で何をしていたのかを伏せて「追い出された」点だけを伝えれば、劉 璋に責任が及ぶこともあるまい・・そんな「企み」を考え始めていた。

ーーー

ブルネイの第5王女とプルシアンブルー社員7名が、ビルマ社会党首都本部に到着すると、王女が驚いている。
ブルネイの王宮には敵わないにせよ、王女達兄弟の離宮並みの邸宅だったからだ。

ビルマ滞在3日目はシャン族のスタッフがシャン州から到着しており、甲斐甲斐しく働いている。料理長は日本の高田馬場でバイトしていたサリュとリタの姉妹で、広い厨房で調理スタッフの指揮をしながら料理に取り掛かっていた。

プルシアンブルー社の5名のエンジニア達は早速邸宅のセキュリティ対策を講じ始める。

外出から帰ったら、大きな邸宅らしい陣容になっているので驚いていると、4月で中2のマイが「どうよ?」とばかりに胸を張る。チミは一体何をしたというのかね?と思いながら頭を撫でる。

女子大生6人と中3の彩乃はダイニングルームのコーディネート中だった。王女・・といっても富山では普通に日本の庶民の暮らしを満喫中だが・・を饗すのに相応しい仕様に整えていた。

***

「さぁ授業の時間が始まりますよー」と、ほろ酔い姿の樹里がバチバチと手を叩きだす。

柚子がホワイトボードをどっかから引き釣り出してくる。クーデターの計画案をこのコ〇ヨ製のボードで書いていたのかな?と想像する。クーデターを阻止する元教師が使うとは誰も想像しなかっただろう。
杏と翼が授業の模様を撮影する準備をし、幸と彩乃の姉妹が英訳用とビルマ語訳用のAIタブレットを、新しく加わったシャン族の皆さんにも配布している。

何故、食後に酒を飲んでいるまったりとした時間を奪われるのか、毎度ながら納得が行かない。金、取るぞ、映像の無闇な公開は認めんぞと思っていると、玲子と阿須佐に左右からロックされる。
「先生がどんな方なのか、新しく来られた方々に理解して貰うにはこれが一番いいんです!」と言われながら、前方に引きづられてゆく。話すのは別に構わないのだが、事前に教えてくれないので何を話せば良いのか、悩むし、困る・・

「ビルマの現代史ってお題目はどうでしょう?」元スッチーの結城 紬が言うと、満場一致なのか酔った顔の連中が嬉しそうに頷いたり 拍手している。「聞く方は楽だろうよ」と思いながら、薩摩の芋焼酎の水割りを要求してから、話し始める。

「あー、シャン族の歴史は別途やるので、今日は国の現代史を中心にお話します・・
ビルマは東南アジアでも有数の大国であり、イギリス統治下、日本の軍政下にあっても東南アジアで最も豊かな地域でした。チークなどの木材資源も豊富だし、大河イラワジ川の左右には広大な平野が広がってるから、農業生産も半端な量ではなかった。今でも石油の生産・輸出が行われているし、ルビーとサファイア、翡翠そして金の世界有数の名産地。中国とインドの王朝の重要な交易対象でした。
英国から日本統治期でも、人的資源も優れていて識字率が高くて、日本とイギリスを追い出した独立後は、東南アジアでも一早く成長軌道に乗るだろうと言われてた。

殿下がいらっしゃるけど、言っちゃうと、実は産油国だってまだ知られてなかったブルネイよりも断然ポテンシャルは高かった。
肥沃な大地と石油資源と、ブルネイの十倍以上の人口数でバーマ語の識字率の高さだけでなく、英語の読み書きできる人々が大勢居た。今でも地方に行っても英語が通じるからね、タイとラオスとは大違い。だからタイよりも有望視されていたんだ。因みに料理はタイ料理がASEAN内では最強って思っております。

ところがどっこい、このポテンシャルを全く活かせない連中がビルマの中枢に座ってしまう。識字率が高くても長い植民地時代の弊害もあって、指導者・政治家・経営者は育たなかった。このグダグダな状況の合間に中国共産党の流れを組むインテリ層が台頭してしまったのですよ。

独立後の1952年に経済開発計画が立案されたんだけど、内乱が立て続けに起きて、外貨事情が悪化すると、4年ほどで経済開発計画は無理って話になってゴミ箱直行となった。

1962年に隣の中国の影響に染まって共産党が主流派となると、1988年まで「ビルマ式社会主義」という国家基本要綱が整っちゃいまして、国有企業主導の統制経済がスタートする。
・・暗黒の歴史が始まっちゃった感がこの室内にも漂い始めてしまったね。まぁ地続きの国はどうしても影響を受けやすい、避けたくとも避けられない。タイとビルマの違いはタイには地下資源が無かった。だから中国が寄ってこなかったとも言える。タイと中国の間にはラオスもあるし。
ベトナム戦争が始まると、タイに米軍基地が作られて反共の砦みたいな扱いになった。

88年までの社会主義のトライアル期間で、主要産業の貿易は国家管理下に置かれてしまい、土地も国有化されちゃいます。工業化政策も推進されたんだけど、ゼロから始めたから工業化はちょっとは発展をしたけど、1980年の時点で GDPに占める工業の割合は10%程度と低く、経済は完全に農業に頼っていた。さて、ここで問題、何故工業化が思ったほど伸びなかったんだと思う?」
第5王女と彩乃が手を上げるので「じゃ、殿下」と英語で促す。彼女はAI翻訳で視聴中だった。

「スミマセン、同じASEANの国なので世界史というより国内史なんです。それなのに当てて頂いて」彩乃に頭を下げてから続ける。
「中国が文革で内乱状態になり、ベトナムは戦争中で、その後、カンボジアがキリングフィールドになり、ベトナムが介入して、中越戦争が勃発します。
隣国中国の庇護下にあったビルマ共産党は、仲間だと思っていた東南アジアの共産国の激動の変化を案じたように鎖国の道を選びます。
ビルマ族は国土が荒れるのを懸念していたのです。ビルマは東南アジアでも有数の多様な民族国ですし、歴史的にはビルマ族はチベット・ネパールから侵入した異邦人ですので、中央の平野部を専有されたモン族やシャン族の皆さんからは疎ましい存在でもあります。そんな火薬庫に近い国内環境に、過激な扇動をする他国の思想が入るのをビルマ族は最も警戒したのです」

元外交官の桜田と斉木が、感心した様な顔をして拍手している。

「ありがとうございます。そうですね、ビルマは鎖国するしかなかったんです。因みに、隣国のラオスも鎖国に近いスタンスでした。

ビルマは平野部の多い国土なので、フランスやオランダみたいな潜在的な農業国としての資質があるので食料は余裕で自給できたし、ラオスは人口数が500万人でブルネイ並みで日本の農地面積と同じでしたから、食べ物には困らなかったんです。でも1980年になると隣のタイに日本も含めて海外資本が流入して、工業化が進みます。あ、ごめんなさい。ASEANではシンガポール、ブルネイ、マレーシアの方がタイやインドネシアよりも進んでいましたね。

で、江戸時代の日本と一緒で、時間軸の止まっていたビルマは国連から最貧国と認定されてしまいます。アジアは世界の成長センターと位置づけられていたので、ビルマやラオスの人々は食べ物には困ってなかったんだけども、政府の連中は「お前ら、なにやってんだよ!」と他の国から煽られていたんです。
世界の時間軸を押し付けられると、今まで自由を満喫していたビルマは、内部から傾き出します。

88年の4月2日に母親の危篤の知らせを受け取ったスーチーさんがイギリスからやって来ます。その頃は市民運動が活発になっていて、危篤の知らせも口実でした。
軍事政権から民主化を求めるデモが活発な時期で、イギリスも元宗主国だったから、ビルマの情報は届いていた。スーチーさんのパパは独立の英雄アウンサン将軍です。民衆はスーチーさんを担いで民主化を実現しようと画策して、スーチーさんは担がれるのを承知で帰国したんです。民主化活動は一層激化します。8月26日、ラングーンのシュエダゴンパゴダの前で集会が開かれたんだけど、集まった50万人に向けてスーチーさんは主役として演説を行なう、完全に革命の旗頭になってました。

軍は慌てます。それで9月になってソウ・マウンが軍事クーデターを起こしてしまう。軍は民主化運動を弾圧して、数千人の犠牲者が出てしまった。・・この88年のクーデターの再現だけは避けたいと、長年考え続けていたのです。
スーチーさんは9月クーデター後に今の与党のNLDを結党して、書記長に就任する。
あくまでも選挙で民主的に政権を握ろうと考えた。オックスフォードの前はデリー大でガンジーとネルーの研究をして、非暴力主義を学んだって言ってた。軍政に抗う姿勢は筋金入りだった。非暴力は僕にはちょっと無理かな。どうしても手や足が先に出ちゃう人間だし、戦うんなら、勝つための武装と準備が大前提だと思ってる位だしね。

で、NLDは全国で遊説を行うんだけど、1989年7月に自宅で軟禁されて、NLD書記長を解任されちゃって95年まで軟禁が続く。まだ赤ん坊だったアリアも生まれた頃から最近まで軟禁状態に置かれていた。レベル的にはスーチーさん程ではなかった。その後でマイとリアムがラングーンで生まれてるしね。でも、迫害と言ってもいい期間なので、ビルマ族に対する感情は決して良いものではない。故に、社会党ではビルマ族は当面は雇用出来ない。そこは日本の皆には理解して欲しい。
因みに、僕が学生バックパッカーだった87年から91年の頃、ビルマは自由に旅行できなかったんだ。タイの国境の街メーサイの国境も外国人は渡れなかった。国内特に首都だったラングーン(旧ヤンゴン)は88年は戒厳令下にあった。

軍が88年のクーデターで実権を握ってから、その翌年スーチーさんを軟禁すると、国連認定最貧国ビルマに対して援助していた大半の国が、援助を一斉に止めた。
国家法秩序回復評議会 (SLORC)と自称していた軍 は、慌てて社会主義と計画経済の放棄を決めて、自由市場経済体制への転換を宣言する。社会主義の幻想に26年間も費やしてしまった。僕は中国の犯罪だと考えている。カンボジア国内の虐殺も、ラオスのモン族迫害も、ベトナム共産党もそうだ。

95年のスーチーさんの開放の目的は、海外からの投資の再開だった。
豊富な天然資源が有るし、ASEAN内では最も安価な労働力だと言って、海外からの投資をバンバン受け入れて、近隣諸国との国境貿易合法化や国営企業の民営化等、市場経済改革が実施された。結果的に限定された自由をスーチーさんは得たんだけど、開放されたのは社会主義が眉唾もののお伽話だったからで、これをガンジーの非暴力主義が勝ち得た成果とは、とてもじゃないが言えない。スーチーさんは軟禁による言論封殺の期間を通じて、デリー大で学んだ思想の理想と、現実のギャップに苦しんでいたんじゃないかなと思うんだよね。

で、21世紀の初頭には工業部門がそこそこ成長して、工業化が進展しているように一見は見えたけど、実際は天然資源開発中心の国有企業主導型の工業化で、民間企業による主導型経済ではなかったんだ。ある意味で中国と一緒だね。
ビルマは社会主義は止めたと言っても、国営企業が受け皿になった。中国は共産国だけど市場経済を取り入れた。まぁ、どっちもどっちなんだけどね。

社会主義って制度を100%遵守している国は、今や地球上には一つもない。南北アメリカで急先鋒となったキューバでさえ、市場経済導入に踏み切っている。
マルクスの”資本論”は人類史上の重要な書物とはなったけれども、一般大衆から見たらアホノミクスと黒田バズー〇と一緒で、国家を傾かせる失敗ツールであり、国民を奈落の底へ引きずり込むトラップと認定された。地球最強の悪魔の経典と言ってもいいかもしれない。

中国式の天然資源の開発はビルマの自然環境を破壊したし、南部沿岸の資源採掘地域では、中国ソ連ばりの強制労働と強制移住が公然と行われた。

与党NLDが人権侵害に加担したと非難されているのは、軍事政権に抗えなかったからなんだ。
スーチーさんも大統領たちも、非暴力では限界があると悟ったのか、諦めちゃったのか、与党第一党だったのに、軍には逆らわず迎合してしまった。そこは何時かじっくり聞こうと思ってる。自分たちにも責任が大いにあったと早いうちに認めないと、どこかの国の与党と同じで、あっという間に消滅するよって伝えといたけどね。

そんなこんなで、人権問題には過敏に反応する欧米諸国は、再度経済制裁に踏み込んだ。ミャンマーのバックについていたのが、中国だからね。特にアメリカのミャンマー製品輸入禁止と送金禁止は、ミャンマーの軍事政権には大きなダメージとなった。
農業国なので民衆は飢えないけど、軍を支持をする人は居なくなった。それが去年2020年11月の選挙で軍の政党は大敗、NLDは8割を超える議席数獲得になった。
選挙結果を受けて、軍の幹部達が生き残る為には一つしか方法はない、と僕は察した。

半世紀の間で、軍が儲かる仕組み作りを彼らは邁進してきた。絶対に手放さないだろうと確信していた。民衆が賛同してくれないのなら、従がわせるしかない。方法論は中ソ流の反抗分子の粛清と、国民の弾圧強化だ。軍の幹部は自分たちの治世が黒歴史になるのを承知の上で、悪魔の選択を受け容れた。最後に、君たちに絶対に忘れないでもらいたいのは、クーデターはこの地球上では違法とされているっていう常識だ。だから、僕はタイの現政権を許せない。因みに、社会主義も幻想だと思ってるから、ラオスと中国の共産党も好ましいとは思っていない。唯一の矛盾は、日本共産党とは何で組んでるの?って自分でもちょっとだけ思ってるんだけど、反体制派の政治組織として、日本で唯一無二だからって理由で、大事だと思ってる。日本共産党って、仲の良い共産国はキューバくらいじゃないかな?ソ連と中国と喧嘩してた位だからかな?話は合うんだよね。

で、再々度の2月1日の軍事クーデターでは、ビルマ開放戦線とやらの急造チームが突如現れて、あっという間にご破算にしちゃいましたとさ。めでたし、めでたし」

モリは喉が渇いたのか、冷蔵庫にビールを取りに行く。

斉木がホワイトボードの書き込みをスマホで撮影して、杏の元へ映像を求めに行った。

斉木の行動を見ながら、外務省を辞めて正解だったと桜田詩歌は改めて思っていた。

(つづく)


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