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少し長いタイトルです。(『歴史愛好家のための日本の歴史~平安時代編~』)
お待たせしました。(どなたか待って下さってたのかしら・・)
2024年2月29日、私が活動しているFacebookの歴史グループ【歴史Mind】の6冊目の共著本が出ます。
タイトルは少し長く『歴史愛好家のための日本の歴史~平安時代編~』です。
今年の大河ドラマ「光る君へ」で一躍(?)平安時代ブームがきておりますが、今回はその平安時代を
した考察本です。
今回、私は本編第九章「紫式部と藤原道長
【大村純忠vs後藤貴明】大村領波佐見に伝わる伝承、照日観音のこと @長崎県東彼杵郡波佐見町
SNSの歴史グループで知り合った方から情報をいただいたので、長崎県の波佐見町にある「照日観音」にお参りしてきました。
東彼杵郡波佐見町は長崎県の内陸部で佐賀県との県境に位置し、波佐見焼で知られている陶器の町です。山を越えると佐賀県になり温泉とお茶で有名な嬉野市や武雄市、有田焼で有名な有田町に隣接しています。。
戦国期~江戸時代ここは大村藩の領地でした。
【大村藩とは】
波佐見町の湯無田郷に内
海辺のパワースポット、鵜戸神宮へ @宮崎県日南市(2024/5/1訪問)
GWの宮崎旅行の最終日。5月の朔の日にあたるこの日は、日南海岸をドライブし友人がすすめてくれた鵜戸神宮に行ってみました。
生憎の雨でしたが神宮に着いた時には止んでいて、これも御神徳かも、と思うことしきり。海のそばにある大きな神社で参拝客で賑わっています。
駐車場に車を停めて少し歩きます。
【鵜戸神宮】
ご本殿の前下に霊石「亀石」があり、その背中の窪みに「運玉」を、男性は左手、女性は右手で投げ
神話の里、高千穂へ(2024/4/30訪問)
2024年のGW、家族旅行の2日目。延岡市内から高千穂へと向かいました。
車で約1時間程度、ここは宮崎県の北西部で熊本県や大分県に隣接しています。
古くは天照大神の孫である瓊瓊杵尊が地上に降り立った地ともいわれ、天孫降臨神話や天岩戸開き神話で知られています。「夜神楽」でも有名ですね。
余談ですが江戸時代はここも延岡藩領だったそうで、元禄八年(1695)越前国丸岡に移封された元延岡城主の有馬清純は
肥前有馬氏の足跡を追って⑤【廬山寺 菊亭ジュスタの墓】(2023/10訪問)
蔵出しですが、2023年10月に京都市上京区にある廬山寺の菊亭ジュスタ(有馬晴信継室)の墓にお参りしました。
蘆山寺は天台系のお寺で、かの紫式部の邸宅跡といわれています。拙著「紫式部と藤原道長ーそして、物語は残ったー」(2024年2月 ㈱And Tech発刊『歴史愛好家のための日本の歴史』所載)の取材を兼ねての訪問でした。
ここで、有馬晴信についておさらいします。
【肥前有馬氏第14代当主 有
肥前有馬氏の足跡を追って④【延岡城】(2024/4/29訪問)
前回の③に続き、肥前有馬氏と延岡城のことを書きます。
*前回の記事はこちらです。
内藤記念博物館を見学した後、雨足も少し弱くなってきたので延岡城跡へ移動。
西の丸跡にある博物館からも石垣が見えていました。
シリーズ③にも書きましたが、築城したのは初代藩主の高橋元種です。
高橋元種について、実はこの時点で"高橋氏だから岩屋城の戦いで有名な高橋紹運の系統?"くらいの知識しかなかったのですが、後で
肥前有馬氏の足跡を追って③【内藤記念博物館】(2024/4/29訪問)
肥前有馬氏が慶長19年(1614)に移封された延岡の地を念願かなってGWに訪問することができたので、昨年5月に投稿した記事「肥前有馬氏の足跡を追って」シリーズの続きとして投稿したいと思います。
*昨年投稿した記事はこちらです。
ここで戦国~江戸初期の肥前有馬氏について少しだけおさらいします。
【戦国~江戸初期の肥前有馬氏】
・鎌倉時代から肥前国有間荘(現在の長崎県南島原市北有馬町、南有馬町付
與賀神社訪問@佐賀県佐賀市 (2024年4月)
先日のことですが、佐賀市与賀町にある與賀神社にお参りしました。
*HPを見たら、読み方は「よが」ではなく「よか」と読むようです。
上の写真にある三の鳥居は「肥前鳥居」とよばれる肥前国(現在の佐賀県・長崎県)にある独特の形の石造りの鳥居です。
慶長八年(1603)の銘があり鍋島直茂公夫妻の名前(「豊臣朝臣直茂」「藤女」)が刻まれています。
(ところで余談ですが、佐賀市内の神社は平地にあることが
江藤新平と大隈重信 ー大隈重信記念館訪問ー(2024年4月)
先日「没後150年特別展 江藤新平」を観た後ですが、同じく佐賀藩出身で明治新政府で活躍した大隈重信の記念館が佐賀市内にあるので、訪問してみました。
2人は藩校、弘道館で共に学んだ友人で、国学者である枝吉神陽の下「義祭同盟」に名を連ねた同士でもありました。維新後ともに明治新政府に出仕しますが、征韓論では袂を分かち大隈は大久保利通側につきました。
しかしながら、征韓論に敗れた江藤が佐賀の不穏な様子を鎮
「没後150年特別展 江藤新平」を観覧して
明治初期の混乱期に肥前佐賀藩から彗星の如くあらわれ、わずか数年間で日本の司法制度の基礎を確立した江藤新平。
現在、佐賀城本丸歴史館で開催されている展示を、満を持して観に行くことができました。
(佐賀市内は自宅から車で1時間半くらいなので、ちょっとしたドライブ感覚で行けるのです。)
私の江藤新平に対する思い入れは、以前、長南政義先生の講演を聴きに行った時の記事にありますので、よろしければ御覧下さい