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【大村純忠vs後藤貴明】大村領波佐見に伝わる伝承、照日観音のこと @長崎県東彼杵郡波佐見町

SNSの歴史グループで知り合った方から情報をいただいたので、長崎県の波佐見町にある「照日観音」にお参りしてきました。

東彼杵郡波佐見町は長崎県の内陸部で佐賀県との県境に位置し、波佐見焼で知られている陶器の町です。山を越えると佐賀県になり温泉とお茶で有名な嬉野市や武雄市、有田焼で有名な有田町に隣接しています。。
戦国期~江戸時代ここは大村藩の領地でした。


【大村藩とは】

肥前国、大村(現:長崎県大村市)を本拠地とした外様の小藩。中世から続く在地領主の大村喜前(よしあき)が、豊臣秀吉により所領2万7900石を安堵され、初代藩主となる。関ヶ原の戦い後も徳川家康に所領を安堵され、幕末まで存続した。大村氏はもとは長崎港を通じた南蛮貿易を行い、喜前の父・純忠はキリシタン大名として有名だったが、喜前は秀吉のバテレン追放令に従い日蓮宗に改修、キリシタンを厳しく弾圧した。幕末には薩長とともに倒幕運動に参加。

(デジタル大辞泉プラス「大村藩」の解説より引用。「改修」は「改宗」の誤記と思われます。)


波佐見町の湯無田郷に内海城跡という中世の城跡があり、その城主であった内海氏の姫、照日さまが観音様として祀られているそうです。

内海氏および「照日観音」については外山幹夫先生の『長崎市の実像』という本に以下のように記されています。

戦国時代波佐見村は、大村純忠の拠る大村に絶えず攻撃をかけていた後藤貴明と対峙する最前線にあたっていた。内海氏は尾張国出身で、初代橘泰平は波佐見村内海に移住し、内海氏を名乗った。それより六代目の子孫が政通で、後藤勢との合戦で戦死。その子政広の妹が照日である。彼女は兄とともに後藤軍と戦った。その際彼女は、呪文を唱えて怪異を現したため、敵兵は敗走した。

(『長崎史の実像』外山幹夫/2013年10月発行/㈱長崎文献社 P179より引用)


ここで大村純忠と後藤貴明について補足します。
大村領主、大村純忠(1533~1587)は日本初の「キリシタン大名」として知られる人物で、長崎を開港したことや天正遣欧少年使節をローマに派遣したことでも有名です。純忠は島原半島を拠点とした有馬家の当主、有馬晴純の次男にあたり、大村家へ養子入りして家督を継いでいます。
武雄領主、後藤貴明(1534~1583)は大村家の当主、大村純前の実子で本来なら大村家の家督を嗣ぐべき人物ですが、父純前は御家の安泰のために当時強大な権力を持っていた有馬家から養子(純忠)を迎え(押しつけられ?)て家督を継がせます。そのため貴明は武雄の後藤家へ養子に出され、後藤家の家督を継ぎます。
このような事情から大村家には純忠に反発する家臣も多く、また、貴明は大村家の家督を継げなかったことを「恨んで」執拗に大村領を攻めたと一般的に言われており、純忠は家臣団統制と領国経営に大変な苦労をすることになります。
(この後藤貴明の執拗な大村領攻めについては、歴史雑誌「忘却の日本史」第22号で佐賀戦国研究会の深川直也氏が指摘されている通り、「私怨」というより戦国時代の国衆としての「戦略」もあったのではないかと私も思うのです。私怨だけで大村を執拗に攻めたというのは余りに感情的な見方ではないかと・・。)

長崎県大村市にある三城城跡。後藤軍に攻められています。



閑話休題

このように、大村領の最前線の地であった波佐見町に今も残る照日観音にお参りするため波佐見町へ行って参りました。
Googleで調べたら「ヒロッパ」というマルヒロという陶磁器メーカーが造った公園の近くにあることがわかり、まずはヒロッパを目指します。
駐車場もあるので安心。

ヒロッパ。おしゃれな公園です。


ヒロッパのすぐ目の前に観音様をお祀りする御堂がありました。

照日観音をお祀りする御堂。
中に上がらせてもらい、持参のお線香をお供えしました。


隣にある内海城跡に関する説明板。

御堂の背後にある山が内海城跡だと思われます。

内海城跡遠景


御堂の中はきれいに整備され花や線香、お酒などもお供えされており、地域の方に大切に守られていることがわかりました。

また、前述した外山先生の著書『長崎史の実像』及び、御堂内の由来覚書にもあるのですが、この照日姫が着用した甲冑を寛延4年(1751)に第8代大村藩主、大村純保すみもりが模造品を作り官庫に納めた、とのことです。大村市歴史資料館かどこかにあるのでしょうか?見てみたいと思いました。
波佐見町にも近年展示施設「波佐見町歴史文化交流館」ができたのですがこの日は休館日だったため、また日を改めて伺いたいと思います。

*波佐見町歴史文化交流館のHPはこちら


観音様にお参りした後、ヒロッパにあるおしゃれなマルヒロのショップにも立ち寄りました。ちょうどマグカップが欲しかったので購入。色は白、黒、ピンクなどたくさんありましたがコーヒーが映えそうなグリーンを選択。シンプルなデザインで電子レンジ、食洗機使用OKなスグレモノです。

愛用中のマグカップ。


末筆ながら、うら若き女性の身で呪術をもって敵に立ち向かったという照日姫の勇気に敬意をあらわすとともに、波佐見には似たような女性(石打御子)の話がもう一つ伝承されていること、また、隣村である武雄を元々治めていたのは渋江氏で内海氏と同じく本姓が橘であることなど、まだ調べたいことがたくさん出てきました。今回の記事を初回とし、今後調査で分かったことがあれば続編として発表したいと思います。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。


参考文献
・『長崎史の実像』外山幹夫 著 (2013年10月/㈱長崎文献社)
・『忘却の日本史第22号』より「肥前の戦国 第八回 大村純忠の実像(一)」深川直也 著(2020年12月/㈱ドリームキングダム)
・『新編大村市史 第二巻(中世編)』大村市史編さん委員会(2014年3月/大村市)


*記事中のヒロッパのHPはこちら。


*大村市歴史資料館のHPはこちら。


*参考文献に上げた『忘却の日本史第22号』はこちら。「大村純忠の実像」連載中です。(第28号「大村純忠の実像(七)」まで刊行済、不定期刊行。)


*『新編大村市史』データ配信はこちら。パソコン、スマホで読むことができます。




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