他人とは異なる道を進むから人は幸福になれる💛 周りに流されない自分の価値観をしっかり持っている人たちは幸せだよね?🐼 <追記あり>
日本人の中には「みんながやっているから自分もやる」という人たちが大勢います。私はそのような自分の価値観を持っていない大人たちを気の毒に思います。
たとえ他人がやっていても、自分で徹底的に調べて自分の頭で考えた決断ならば、私はそれを尊重します。しかし、何も考えずにすぐに新しいことに飛び付く人たちを私は・・・。
今回は、「自分の道を進むことの大切さ」と「若い頃から自分の価値観をしっかり持つことの重要性」について書きます。
なお、これに関してはすでに中学生から大学生にかけて私が考えていたことですので、読者の皆さんには常識的な話かもしれません。ですが、敢えて確認の意味も兼ねて記事として残しておきます。
昨日と一昨日の記事はこちらです。
最近スキ💛が伸びて来た記事がこちらです。毎日一定数のスキ💛があります。いつもありがとうございます。
中学生時代から我が道を進んでいた私の話
私は中学生の頃からすでに人付き合いが悪かったです(笑)。その一番の理由は、時間がもったいなかったからです。
例えば、私の部活動の同級生たちは、部活動終了後無駄話をしながらダラダラ帰宅するわけです。下校中もずっとくだらない話をし続け、友達との別れ道でもまだずっと話し続けます。
私はそんな彼らに付いて行けなくて、いつしか一人でさっさと帰宅するようになりました。
私は時間の無駄遣いに気が付かない人を馬鹿だと思います(笑笑笑)。
その理由は簡単です。時間には不可逆性という性質があって、過ぎ去った時間は二度と戻らないからです。
こんなことは小学生でもわかることなのですが、中学生で時間を無駄遣いしてしまった人たちは今頃どんな人生を送っているのでしょうか。
皆さんそれなりに幸福になっていればいいのですが・・・🐼
他人と異なることを恐れない大切さ
今から20~30年ぐらい前に、ある教育の専門家が、「学校のいじめは、他人とは異なる人が目立つからだ」みたいなことを言っていました。
確かに、それには一理あるかもしれません。しかし、私が受けた義務教育時代でも目立つ子どもたちは大勢いました。でも、いじめの被害に遭っている人などほとんどいませんでした。
私の頃は校内暴力時代の末期でした。教師側が暴力を力でねじ伏せてその暴力は治まったのですが、その後子どもたちの鬱憤は陰湿ないじめに向かった可能性があります。
ですから、他人とは異なるからいじめに遭うという論調は、必ずしも正しいとは言えないのではないでしょうか。
むしろ個性を生かすような教育をできていないシステムに問題がある気がします。
いじめ被害0(ゼロ)の私
私はいじめに遭った経験はありません。しかし、陰口やいたずらはあったようです(笑)。本当にどうしようもないレベルのいたずらです。
例えば、高校時代に学校に行くと、玄関に私の内履きがありませんでした。当時は同級生の誰かのいたずらかと思っていました。
ところが、そうではなかったのです。
それから数年後、ある場所である大学生と出会いました。彼は地元の私立高校出身でした。地元が一緒だったので話が弾んだのですが、その際に私の高校内で起きた私のいたずらにまで話が及んだのです。
そうしたところ、衝撃的な事実を知りました。ここからは皆さんも驚くかもしれません。
私の高校は県内でも有数の進学高校でした。その高校はそれなりに倍率が高かったのですが、高校入試で落ちた生徒は併願で受験した私立高校に通うことになります。
実は、私の上履きがなくなった原因は、その高校に通っていた生徒が犯人でした(笑笑笑)。
彼の説明によると、下級生たちが上級生の命令で私たちの学校に忍び込み、私たちの高校内でいたずらをしていたというのです。
<追記>
要するに、自分が入れなかった高校の生徒たちに対して、無差別で憂さ晴らしをしていたのです。
何とも情けない連中ですね。
そんなことをするぐらいだから、地方のレベルの低い進学校へ合格できないのです。
私が通っていた高校は、県レベルでは1、2位を争う進学校でした。しかし、全国レベルでは全く大したことがなく、ほぼ無名校と言えます。
私の曖昧な記憶では、確か東大合格者数で2桁に達したことはほとんどないです。なお、当時は東北大学には毎年数十名合格していました。今はわかりません。
<追記ここまで>
私の上履きは見つかりませんでしたが、幸いなことに下駄箱のすぐそばに大きな箱があって、そこに大量の上履きが入っていました。おそらく過去の先輩たちのものだとは思うのですが、私はそれらを借用していたので全く困ることはなかったです。
しかし、身近で起こる小さな異変は、本当に誰が犯人であるかわからないものです。
この話を書いていて思い出したのですが、中学生時代に部活専用のロッカーに入れてあった弁当箱の中身が空になる事件が頻発しました。私も一度だけその被害に遭ったのですが、いまだに犯人がわかりません。私は運動部の誰かが犯人ではないかと予想していたのですが、外部の人間が犯人ということもあるかもしれません。
私の場合、いじめ被害は全くありませんが、悪戯被害は結構あって、これは他人と異なる道を進んでいることとは全く関係がありません。
あくまでも参考程度にしてほしいのですが、もし目立つからいじめられるような環境ならば、その場を早急に去った方がいいと思います。
子どもの頃から目立つ存在だったがそれがマイナスになることはなかった
私は子どもの頃から不思議と目立つ存在でした。目立ちたくなくても目立ってしまうのです。
その一番の理由は、何事も一生懸命で真面目だったからです。
今だからわかるのですが、地方の小学生や中学生において、真面目で一生懸命な生徒は非常に少ないです。ましてや公立の場合極めて稀な存在です。
私は学校の掃除も真面目にやっていた方ですが、あそこまで真面目に学校の掃除をする子どもは1学年200人中5人程度だったと思います。
そのようなところも、目立ってしまう理由ではないでしょうか。
でも、目立つことによるデメリットは全くありませんでしたので、そのことが私の生きにくさには繋がっていません。
ちなみに、私の自宅は広いのですが、どの部屋も汚いです(笑笑笑)。
他人とは異なる道を進むから人は幸福になれる💛
私は子どもの頃から徐々に自分の価値観を形成しつつありました。そのため、周りの生き方や価値観を全く気にしていませんでした。
しかし、そのような子どもは少数派だったと思います。
やはり、他人と異なることを嫌がる子どもたちは多くて、周りに合わせる生徒たちが大多数でした。
このような生き方が間違っているとは言えませんが、大人になってからも価値観の多くを周りに合わせすぎるのいかがなものでしょうか。
例えば、マイホームやマイカーなどの言葉がありますが、これは自分のライフスタイルと収入に合わせて選択するべきことです。それを周りが家と車を持っているから自分も買うという判断では、ローンを返せなくて失敗する人も出てくるはずです。
大人になると、個人の能力差が顕著になります。子どもの頃は周りに合わせることができても、大人になりますと実力差が収入差にも顕著に表れて、周りと同じライフスタイルは不可能になります。
そうしますと、自分の価値観を持たずに育った大人たちは、絶対に幸福にななれないと思います。
特に今の時代は貧富の差が激しくなっていますので、他人の価値観で生きることは早々に捨て去った方がいいのではないでしょうか。
なお、私は、「貧乏=不幸」だとは全く思っていません。
私の母方の曾祖父と曾祖母には、13人の子どもたちがいました。その内の一人が私の103歳になる祖母です。曾祖父と曾祖母は貧乏でしたが、子宝に恵まれてとても幸せでした。晩年は公営住宅に住んで、とても長生きでしたので、とても幸せな人生を送れたと思います。私も子どもの頃に何度か遊びに行ったことがあるのですが、二人の表情から判断してもとても幸福だったことがわかります。
私の身近なところには100億長者が2名いますが(笑)、彼らは結婚もしていませんし子どもいません。スーパーお金持ちでも、彼らからは幸福感が全く伝わってきません。ですから、「お金持ち=幸福」とは必ずしも言えないはずです。
やはり、自分なりの価値観、特に、幸福観(幸福感)を持って生きることが人生の最期まで大切なことなのではないでしょうか。
周りに流されない自分の価値観をしっかり持っている人たちは幸せだよね?🐼
私のように子どもの頃から自分の価値観を持ち始める人は少ないはずです。
しかしこれは、大人になってからでも間に合うことです。
今現在周りに流された生き方で後悔している人は、今から自分を変えればいいのです。
なぜなら、自分の価値観を変えようとして変え始めた瞬間から、「幸せ」組の仲間に入れるからです。
それはもしかしたら小さな幸せかもしれませんが、それでいいのはないでしょうか。そもそも、大きな幸せとは、幻想に過ぎないからです(笑笑笑)。仮に3億円のマンションを購入できて住み始めても、すぐにその幸福感は終わりますよ。それに、意外と問題も多くて大変らしいです。
幸せの概念は抽象的なもので個人差がありすぎますので、ここでは詳細について触れません。
<余談>最近の私の小さな幸せとは?
ここでは私の「小さな幸せ」について簡単に書いておきます。すべて実際に起きたことです。
・以前から欲しかった本を100円で購入できた時
この本は新品で購入すれば12冊1セットで2万円もするのですが、私は新古品で、しかもたったの100円で購入できました。送料を入れても1,000円もしませんでした。でも、私が売る時は最低でも20万円の価格を付けます(笑)。多分売ることはないです。
・美味しいドリップコーヒーを飲んだ時
私はUCC「職人の珈琲」が大好きで、過去に2,500杯以上飲んでいます。毎回それなりに美味しいのですが、実は、ドリップによって微妙に味が異なるのです。
そしてたまに、筆舌しがたい絶妙な美味(びみ)に遭遇するのです。それはこの世のものとは思えない味わいで、大体30回に1回の割合で訪れます。
この最上のひと時と至福感を読者の皆さんにも文章では伝えられないことが残念でなりません。もしよかったら下のアマゾンの商品をどうぞ!
私も安い時だけ購入していますが、その時は賞味期限切れでまずいのかもしれません。もしかしたら高い時に購入すれば毎回美味を味わえる???(笑笑笑)。
・女性ス〇ーカーが車のテールランプで合図を送ってきた時(笑)
私には絶世の美女のス〇ーカーがいます。その方は、昔は相思相愛の女性でした。しかし、お互いに第一子と言うこともあって、あまり相性が良くありませんでした。
余談ですが、私は一人っ子女性と兄弟姉妹の第一子の女性とはうまく行かないことが多いです。いや、100%うまく行っていません(笑)。
私は3人兄弟(姉妹)の第一子なのですが、明らかに兄弟姉妹の多い2番目3番目の女性と相性が良かったです。これは統計的にもその傾向があることがわかっています。そう言えば、私の父は末っ子で私の母は第一子でした。両親は今も仲が良いです(笑)。
本題に戻りますが、その女性ス〇ーカーが近所の駐車場に車を止めていて、私が通るとテールランプで合図をして来ます。
その時に何となく嬉しいのです(笑笑笑)。なお、私たちは交際をしていません。念のためもう一度書きますが、今は全く縁がありません(笑)。
最後に 自分の価値観で生きる
100人の人間がいたら100種類の価値観があってもいいのです。これは1万人だろうが、1億人だろうが同様です。
そして、自分の価値観で自分の人生を生きた方が、楽(らく)であり楽(たの)しいのです。
楽に生きて楽しい人生。このための自分の価値観。
この2点が繋がると、人は幸福になりやすいと思います。
なお、他人の価値観で生きている人は、自分が縛られていることに早く気が付いた方がいいです。その事実に気が付きませんと、晩年になってから後悔するかもしれませんよ。
イラスト素材:恋するパンダ
今日の記事の内容とは全く関係のないイラストです。「パンダ ハート」で検索したところ、「NEW]と表示されたこのイラストが見つかったので採用しました。
今日の記事はここまでです。
今日は2,000字程度で終わらせる予定でしたが、
5,100字を超えてしまいました。
やれやれです(笑)。
また、肩凝りがしんどくなりますね。
最後まで長文に付き合って下さっていつもありがとうございます。
あなた様は、神様の化身でございます(笑)。
記事が気に入りましたらサポートをお願いいたします。いただいたサポート料金は今後の活動費に使わせていただきます。