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春の訪れと「焦り」にまつわる意外な記憶
北杜に移住して三回目の春がやってきた。
街の桜はちょうど満開。我が家の庭の植物たちも続々と芽吹きはじめ、虫もカエルもモゾモゾと動き出している。
「やっと暖かくなりましたね」とか「お花見はされましたか」とか、ご近所の方々と声を交わしたり、甥や姪の入学式の様子が写真で送られてきたり。
春はやっぱり何かと嬉しい気持ちになる。
…が、一方で、この季節は昔からメンタルが不調になりがちだった。
ひと
魂の本分 本当に自分らしい働き方とは
遅ればせながら、2024年最初のnote。
前回、年末のnoteで「思考の大掃除をしている」と書いたのだが、それのおかげなのか、たしかにかつてなく「軽い」状態で年をスタートできた気がする。
気持ちは軽いものの、年明けからしばらくはソワソワと落ち着かず(そういう人多いはず)… noteについても更新がかなり空いてしまったが、今日は立春。よい区切りでもあるので、書いてみようと思う。
テーマは「魂
年末、思考の大掃除に精を出す
早いもので、今年もあと数日。
大掃除に勤しみつつ、振り返りモードの日々を送っている。
というか、振り返りモードはいまに限らず、だったかもしれない。
今年は自分の内面や魂の本質と向き合っている時間が相対的に多かったと思う。数年前からこれまでの価値観が大きく崩れてきて、新しい形に再構築されつつあることは確かだけど、いまだその新しい形を具体的には表現することができないでいる。絶賛、模索中。
久し
魂と向き合い続けた半年間のこと
前回書いた過去世についてのnoteで、二年前のスピリチュアルスクールでの学びのことに触れている。
過去の「気づきの遍歴」の中では、最も大きく変化をもたらした出来事と言えるかもしれない。
スピリチュアルを「学ぶ」ということ
2021年の春から半年間、ワンネスインスティテュートの「国際認定スピリチュアリスト集中講座」を受講した。
*この講座を経て、私もカウンセラーとして認定していただいている
過去世を思い出せば 進むべき道が見える
今回は「過去世(前世・過去生)」をテーマに書いてみる。
以前、宗教についての話をnoteに書いたときに、過去世のことについても触れたことがある。現世ではなく、過去世でのトラウマ(宗教者としての失望)に気づき、癒すことによって、いまの自分が少し生きやすくなりましたよ、という話だ。
このときは割と唐突に過去世のことを書いたので、その背景についても記しておくことにした。過去世の概念に腹落ちしてうまく
宗教と私 怖れを乗り越えるまで
先日、中学高校時代の友人が、最初に書いたnoteを読んで感想をくれた。
「なんだか涙が出ちゃったよ」と。続けて彼女がくれたのは、私にとって宝物のような言葉たちだ。いつも胸の中にしまっておいて、時折取り出しては眺めたくなるような。思いがけない、ありがたいプレゼントだった。
さて、その彼女と対話していたなかで、ふと思い出して、いま書いておきたくなったテーマがあった。
「宗教」のことだ。
多くの
インナーチャイルドの癒しがもたらしたもの
これまで、「気づきの遍歴」として、20歳での滝との出会い、30歳での坐禅修行のことについて書いてきた。
いま振り返ると、これらはあくまでもプロローグ的なものであり、まだまだ自分自身の道につながるには遠いものだった。方向性としては「いい線いってる」のだけど、先に進むにはパーツが全然足りていない、というか。
その「足りなさ」を強烈に実感したのは、36歳の誕生日を迎えた2018年のことだった。
何
気づきの遍歴 滝がすべてのはじまり
前回、noteをはじめることをお知らせしてみたら、いくつか共感や感想のコメントを直接いただいたりした。まだ「こういう感じで書いていきたいな」という予告のようなものだったけど… まずはnoteで発信することに何かしら意味があるのだと感じられ、ありがたかった。ギフトだと思う。
さて、これから書いていくことについて、事前に具体的に内容をイメージしていたわけではなかった。「読まれなくてもいいnote」
読まれなくてもいいnoteを書きたい
2023年夏至のきょう。個人のnoteをはじめることにした。
数年前まで勤めていた会社の公式noteを運営していたこともあるので、noteにはもともと親しみがあったのだが、今回はじめて自分が個人として書いてみようと思い立った。
自分のウェブサイトやSNSでの発信とどう区別するのか、このnoteでは何が書きたいのかというのを、最初に示しておこうと思う。
ウェブサイトは立ち上げた、けど…
現在