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魂と向き合い続けた半年間のこと

前回書いた過去世についてのnoteで、二年前のスピリチュアルスクールでの学びのことに触れている。

過去の「気づきの遍歴」の中では、最も大きく変化をもたらした出来事と言えるかもしれない。


スピリチュアルを「学ぶ」ということ

2021年の春から半年間、ワンネスインスティテュートの「国際認定スピリチュアリスト集中講座」を受講した。

*この講座を経て、私もカウンセラーとして認定していただいている ↓

スピリチュアルスクール、しかもそれなりに勇気がいるレベルのお金がかかる講座に参加することになろうとは、数年前の自分であれば考えられなかったことだ。その界隈は怪しいものが大半だと決めつけていたし、集団での学びにも苦手意識があったからだ。ご時世的なオンラインという実施形態がハードルをかなり下げてくれていたと思う。

偶然講座の存在を知り、受講に際しては例によってかなり慎重に検討していたものの、結局はこの流れには乗ってみるべきだという直感に従って決めた。前回のnoteでも書いたように、過去世リーディングの答えが受講を決意するきっかけをくれたとも言える。

どんな人の行動にも魂の動機があり、それぞれの人間の背景に今世だけでは説明しきれないさまざまな魂の学びのためのプランがあるということを「思い出す」と、人間の魂の真の多様性に気づき、人間世界の豊かさに触れることができる。人生を祝えるようになる。魂の構造についての学びはそのための助けになるだろう。

(私の過去世リーディングの一部)

実際に受講してみて、この直感は正しかったと思えている。

私の場合、申し込み時点での主な受講動機は「魂の仕組みについてもっと知りたい」というものだった。まずその点においては前提となる知識の部分を網羅的に体系立てて教えてもらえて満足だった。「やっぱりそうでしたか」という答え合わせという感じ。一人でモヤモヤと考えていたことでもあったので、まずは「同志がいた!」と嬉しくなった。

とはいえ、座学的な知識はこの講座ではあまり重点が置かれておらず、ひたすら「実践」である。目に見えないスピリチュアルという領域。扱うテーマも、その習得方法も、いわゆる現代の学校でのお勉強とはまったく異なる。学びの意味すらもその人によって異なるので、自らの魂と向き合い「感じる」ことで理解していくしかないからだ。

そう考えるとスピリチュアルスクールのカリキュラムを提供するということは本当に難しいことだろう。でも、このスクールでは半年間という限られた時間で無駄なく本質的なスピリチュアリティについて理解できるよう、講義内容のみならず、仲間と一緒に学んでいくスクールの形態などにもさまざまな配慮がされていた。何よりスクール代表の叶礼美さんの並々ならぬ熱意の賜物だと思う。

半年間の学びにおいては本当に多くの気づきや出会いがあって、それぞれに面白くて、ここに詳しく書ききることはできないのだが… 何が最もインパクトがあったのか、そして自分自身にどんな変化があったのか、というところについては、振り返っておきたい。

マインドの砂袋を落としまくる

まず最もインパクトがあったのは、徹底的に自分自身の浄化に向き合ったことだった。

スピリチュアルの本質を理解し、魂に沿った生き方を実践するという目的に向かうためには、とにもかくにも自分自身のマインドを軽くしなくてははじまらないという。自分の潜在意識がこれまでの人生(あるいは過去世)で抱え込んできた固定観念や恐れ、不安、トラウマ…これらに気づいて浄化していくことで、魂の自分がようやく目覚めはじめ、本来あるべき生き方ができるようになるということだ(同時にスピリチュアル的なサイキック能力も開花していく)

講師の方は「気球」にたとえていらっしゃった。気球が上昇するには空気を熱するだけではダメで、カゴに積まれた砂袋を次々に落としていく必要がある。砂袋をたっぷり乗せた状態では、いくら空気を熱しても浮き上がっていくことができない。

「砂袋を落とす」作業は、基本的にはセルフで行っていく。講座の認定を受けるには期間内に規定数のレポートを提出する必要があるので、集中的に取り組まなければいけなかった。潜在意識にアクセスして、いらない砂袋(トラウマ的な記憶や固定観念など)を発見したらその都度、浄化していく。地道かつ、ややしんどい作業だが、これをコツコツ繰り返していった。

この二年前くらいにインナーチャイルドの癒しなどに取り組んでいたことは以前のnoteにも書いたが、それを目的意識を明確にした上で徹底的にやっていく感じである。

自分でも気づきたくなかった感情が湧いてきたり、嫌な記憶がフラッシュバックしたり。たいていボロボロ涙を流しながらワークしていたと思う。大きいものから小さいものまで各ジャンル取り揃えてある私の砂袋バラエティパック…。一体どんだけあるんだよ、と自分で驚くほど溜め込んでいたことに気づく。

この作業、最初こそ気が進まなかったが、だんだんクセになり楽しくなっていった。涙を流せばスッキリするし、砂袋を落とすごとに明らかに自分のエネルギーが軽くなっていくのがわかったからだ。そして、軽くなるほど直感は冴えていく

とはいえ、砂袋は半年では落としきることはできない。砂袋を見つけたら落とす、これはいまでも続けている作業だ。これを自分で行えるように習慣付けてもらえたことが、かなり大きいことだったと思う。

自己開示の第一歩

自分自身の浄化、それと並行して行っていたのが、他者へのスピリチュアルリーディングの実践である。これが私にとっては、また大きな意味のある経験だった。

高次の存在とつながるリーディングは、最初の講義でレクチャーがあり、あとはいきなり実践のタームになる。自分自身だけではなく、他者のリーディングも練習していく。

リーディング自体はやってみるとかなり面白かった。私は特別にサイキック能力を自覚していたわけではないので、できるのかな?と思っていたが、信じてやってみると案外できている感じもする。受け取った高次の存在からのアドバイスは「なるほど、その視点があったか!」と膝を打つようなものばかりで、単純に興味深く、そのたび学びになった。

しかし、困ったのはレポートである。

こちらもレポートを書いて提出しなくてはいけない。受講生同士でも練習するが、他者リーディングのレポートには「受講生以外で●人分」という決まりがあったのだ。つまり、知り合いにモニターをお願いする必要がある。

さて、どうしよう。私がこういうテーマに関心があることを当時は周りの人にほとんど伝えてきていなかった。たびたびこのnoteに書いてきたように、当時もまだ「スピにハマった怪しい人だと思われたくない」という気持ちがとても強かったからだ(これ自体も私にとってのかなり大きな「砂袋」だったので、のちに浄化することになる)。

受講生仲間からリーディングに関心のありそうな知り合いを何人か紹介してもらったりもしたが、それだけでは足りない。しばらく憂鬱で悩んだが、最終的には開き直る感じで、家族と何人かの友人にモニターになってもらった。唐突かつ挙動不審な依頼だったはずだが、受けてくれた方々、ありがとう。

スピリチュアルの話の許容度も人それぞれだったはずで、相手がどう思っていたかは、正直なところわからない。実は引いていたけど優しいから見せないでくれたかもしれない。

でも、これは私の自己開示の第一歩として大きな意味があったと思う。

スピリチュアルの学びに向きあう私の気持ち自体は真剣だったし、浮き足だっているつもりもなかった。それならば、その私の姿は本来隠すべきものではないし、少なくとも近い関係の人には見せておきたい、という切実な思いがあったのだ。

このnoteをはじめたのも、私が私自身としてどう生きてきたか、生きていきたいかという自己開示のためのものだ。特にスピリチュアルに対する考え方のカミングアウト、というニュアンスが強い。

あの時点で、一歩を踏み出せたこと。それは確実にいまにつながっていると思える。

人生の転機

振り返ってみると、やはりこの学びに向き合った半年が私の人生において大きなターニングポイントであったことは間違いなかった。

わかりやすく大きな変化がある。

結婚と出産を決めたことだ。

講座が終了してすぐ入籍し、その一年半後に息子を出産した。

これは受講前にはあまり想定していなかった変化だった。ずっと一緒に暮らしていたパートナーがいたけれど、それまで「家族」=「縛られるもの」という認識が強かった私は、結婚という形を取ることにあまりメリットを感じられなかったし、出産についても迷い続けていた。

前回のnoteで書いた過去世ヒプノセラピーもきっかけの一つではあって、プロローグ的なヒントは提示されていた気がする。そこにさらに、この講座期間中に砂袋を徹底的に落としまくったことで、パートナーとの向き合い方がフラットになったし、「家族」というものへの恐れがようやくなくなってきたのだと思う。パートナーや母親に対してモニターとしてリーディングやカウンセリングをさせてもらったことも、相手の魂レベルでの深い理解につながった。お互いの課題も含め、今世で出会えたことに深く感謝できるようになったのだ。

また、受講生同士のリーディング練習でも何人かから「子どもがいる未来が見える」ことを伝えられてきていた。当初はまだピンときていなかったが、講座の終盤では「その子に会ってみたいな」という気持ちに変化していた気がする。その理由はうまく言葉にできないが、この半年間の浄化を経て、出会うべき魂の存在に気づくことができるようになったのかもしれない。

もちろんこの時点では「出産したいことを決めた」だけで、子どもは授かりものなのでどうなるかわからなかった。妊娠出産のイメージが具体化していくのは、もう少し先のこと(移住後)になるが、この時点で「決めた」ことで、大きな流れが動きはじめていたのだと思う。

スピリチュアルに生きる覚悟

結婚や出産のように目に見えるわかりやすい転機ではないが、もうひとつの変化がある。

この半年でスピリチュアルの本質にどっぷりと触れることができたおかげで、私の生き方自体にひとつ静かな覚悟が決まっていた。

スピリチュアルな自分で生きていく、ということだ。

他者にどう開示すべきか、具体的に仕事をどうするのかなど、その後もまだまだ葛藤は続いていくのだが、少なくともこのときに自分の中では、スピリチュアルの仕組みに対して腹落ちできたし、これからは、高次の存在たちのサポートを受けながら、魂の使命に沿って生きていこう、ということには覚悟を決めることができていたように思う。

(この講座を経て「魂の使命」もよりクリアになり腹落ちするようになった。このこともいずれnoteで書いておきたい)

それまでの人生、さまざまな紆余曲折の中には、スピリチュアルに生きることを促すようなメッセージがたびたび差し込まれていた(このnoteでも何回にもわたって、過去の「気づきの遍歴」と記録してきた)けれど、決定的な方向転換にはまだ至ることはなかった。

ここで、ようやく機が熟した、という感じだった。「もっと早く動けばよかった、気づけばよかった」とは思わない。全てが必要な経験だったし、それぞれが無駄なくちゃんとつながっているし、私にとってはここがベストタイミングだったのだろう。

あれから、丸二年。

「砂袋、まだあったぞ!」みたいなこともしょっちゅうあるし、生活の中では焦ってしまうこともあるけれど、あの時感じた覚悟の先を、いま確かにゆっくりと歩き出せている。

感謝と決意を祈る満月の今日。このnoteを書きながら、あらためてこの原点を思い出せてよかったと思う。

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冬はこれから
いつもの滝は紅葉も終わって静かです

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