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魂の本分 本当に自分らしい働き方とは

遅ればせながら、2024年最初のnote。

前回、年末のnoteで「思考の大掃除をしている」と書いたのだが、それのおかげなのか、たしかにかつてなく「軽い」状態で年をスタートできた気がする。

気持ちは軽いものの、年明けからしばらくはソワソワと落ち着かず(そういう人多いはず)… noteについても更新がかなり空いてしまったが、今日は立春。よい区切りでもあるので、書いてみようと思う。

テーマは「魂の本分」について。

私自身がこの人生で何をする係なのか、ということだ。

数年前の時点で大きな気づきがあり方向性はけっこうクリアになってはいたのだが、そこからしばらくは準備期間に入っていた。

今、ようやく「実行に移りなさいよ」と背中を押されているような、お知らせが来ているような感じがしている。あらためて、数年前の気づきから振り返りつつ、noteで言語化しておこうと思った次第だ。


「天職」を模索し続ける20年

魂の本分。「自分らしい働き方」「天職」とはいったい何なのかということでもある。

それはスピリチュアルな話とはあまり関係なくて、若い頃から30代後半までずっと向き合い続けてきたことでもあった。大学生時代から考えたら、もう20年くらい模索を続けていたことになる。

単に「仕事=お金を稼ぐこと」という概念にはどこかで違和感があったし、会社での出世には関心がなく、とにかく心から納得できる仕事を見つけたい、そうじゃないと気持ちが悪い、その一心だった。自分なりにようやくボンヤリと「こんな感じ」が見えてきたのが37歳くらいのことだ(その時に勤めていた会社を辞めて独立する決断をした)。

そこからも模索は続いたのだが、決定的に方向付けられたのが2021年。先日のnoteでも紹介したスピリチュアルスクールでの学びがきっかけとなった。

この学びの過程においては、たくさんのリーディング練習を重ねている(リーディングは生まれつきの特殊能力が必要なわけではなく、訓練でもある程度できるようになる)。

半年間の講座も終盤になったある日、「自分の魂がどのような仕事に喜びを感じるのか」というテーマでセルフリーディングをしたことがある。そのメッセージは意識のビジョンで受け取るもの。映画のようにスクリーンの中で場面が切り替わっていき、「魂に沿った働き方」をしている「私」が現れる。

リーディングの答え、それは「観光案内所の人」だった。

魂の旅の「観光案内所」

ビジョンが見えはじめて最初のうちは、何をしている人なのかがよくわからなかった。賑わうマーケットの中を歩いていくと、十字路の角に小さな屋根の下に机があるブースのようなものがあり、そこにポツンと座っている人が「私」のようだった。何かを売っているような様子もなかった。

すると一人のお客さんが訪れた。私はその人の話を聞きながら、地図のようなものを広げ、説明している。しばらくその場で談笑し、その人がお礼を言って去る時、私は「よい旅を!」と声をかけ、笑顔で手を振り、送り出す。そして、また別のお客さんが訪れる。その人は「あの時はありがとう」と言い、私は再会を喜んでいる…

ああ、観光案内所なんだ!と納得した。

しかも観光地での旅行そのものを意味するのではなく、「魂の旅」の比喩なのだということも直感的にわかった。

世界の人々は、それぞれ独自の目的を持って魂の旅をしている。旅の途中、疲れたり道に迷ったり、あるいは次の目的地はどこにしようかと思っているような人が訪れる場所。そこで私は「あなたの旅はどんな旅ですか」「地図を一緒に見てみましょう」と声をかけている。

困っていてもいなくても、誰もが旅の途中でふと立ち寄りたくなるような、ツーリスト・インフォメーション・センター。

他人が聞いてもあまりピンとこないかもしれないけれど、当時の私には「これこそが私の仕事だ」という強い確信がもたらされた。自分の中にモヤモヤと存在していたのに、ハッキリ表現できなかったイメージ。そのニュアンスを的確にビジョンとして示してくれていたものだから、この時はめちゃくちゃスッキリしたし、自然と涙が出てきたことを覚えている。

理屈を軽々と超えてしまう腹落ち感。これがスピリチュアルリーディングのパワフルさなのだと思う。

私らしいサポートの形

それまでも長年コツコツと自己分析を重ねてきて、自身が「誰かの人生をサポートする係」なのではないかと自覚してきてはいた。

とはいえ、サポートにもいろいろな形がある。パートナーを支えながら生きることも、組織の中で縁の下の力持ちになることも、課題解決を担うコンサルタントも、セラピストやカウンセラーとして傷ついた人を癒すのもサポートだ。教育者として知識を教えることだってサポートとも言える。

ただ、私にはどれも微妙にしっくりこない感じがしていたのだ。

私らしいサポートの形が何なのかを探し回っていたが、あの「観光案内所のスタンス」でいいのだと気付いて、スッキリと肩の力が抜けた。これでよかったんだ、と。

なんというか、サポート役といってもある種の「気軽さ」がある気がするし、「旅」(観光)というのは基本的にワクワクする楽しいものの象徴であるわけだし、地球の人生そのものをゲームのように捉えている私としては、かなり共感できるトーンだったのだ。

過去は特にサポートする対象に深くコミットしすぎてしまうことでうまくいかないことが多かった気がするが、それに対しても答えをくれている。

「誰かの旅に私は一緒についていかなくていい。私が誰かについていけば案内所を不在にしてしまうことになるし、そうすると他に案内所を訪れた人に出会えないし、役目を果たせないよ」

それはきっとその通りだろうと感じた。となると、ややドライな関係性になっていくのかなと思っていたら、観光案内所の「私」はこちらを見据えてこうも言う。

「私が望んでいるのは、対等であること。上でもなく下でもなく、互いに尊重し合う関係性だ」

これこそ、私の魂の深い部分の率直な願いなのだった。

わざわざ案内所に立ち寄ってくれた、そのひととき。地図を一緒に見たり、お困りごとにアドバイスしたり、選択肢を提案したり。私にできることをさせていただけたなら、素直に嬉しいと感じる。私自身がその人の進むべき道を指示することはないし、お互いに依存関係にもなりたくはない。

誰かが歩もうとするその意欲を、ただ応援する人として存在していたい。冷たいわけではなく、相手を尊重しているからこそ、「よい旅を!」と手を振って見送りたい。それがおそらく、私らしいサポートのあり方だ。

「Subtle Flow」に込めた想い

その後、自分の個人事業を立ち上げるという段になり、屋号には「Subtle Flow(サトルフロウ)」と名付けることにした。

インパクトが強かったあのビジョンに従って「観光案内所」を意味するような言葉にしようかとも思ったが、それだとやはり普通に誤解を招きそうだからやめておいた。大好きな「滝」や自然のイメージも入れたかったし、その上で「さりげなくその人の流れ(魂の本質)に導く」という私なりのサポートをさせていただきたい、という願いを込めている。

現在は個人事業として、ホロスコープリーディング、スピリチュアルリーディング、そして移住した北杜の「滝」を舞台にしたリトリートを実施するようになったのだが、そのどれもが実は私にとっては「魂の旅の観光案内所」的な働き方になっている。

言葉にするのは難しいのだが、魂の仕事ができた時には、じんわりとした深い感動が湧いてくる。オンラインで画面越しの一時間、滝の前での半日。一緒に過ごすのはほんのひとときであったとしても、魂と魂でつながれたような、不思議な安心感お互いにありがとうと言い合えることの爽やかな幸福。

現実的なところでは確かに「お金」を介することにはなるのだが、クライアントの方には、もちろんお金をいただいたことに対してのありがとう、ということに加え、この感動を共有してくださってありがとうと伝えたい気持ちなのだ。

観光案内所の「私」が伝えたかった「対等であること」の意味が、なんとなくわかった気がしている。

準備期間は終わり

冒頭にも書いたが、これまでは仕事の方向性は見えていたものの当面の間は準備期間という感覚が強かった。受け身というか、消極的というか…

昨年の事情として妊娠出産があって仕事の優先順位が下がったのは仕方ないが、それに加えて私自身の「浄化」がまだまだ必要だったというところがある。魂の本分を果たすためには、できる限りクリアな意識を持つ努力をしなくてはならないと思う。目に見えない領域にアプローチするわけだし、皆さんの大切な旅路を的外れなアドバイスで邪魔することは避けたい。

自分自身の意識の浄化は引き続きやっていくとしても、2024年はそろそろ私も仕事としてもう少し注力していきたいと考えているところだ。

というのも、ここからさらに「本来の魂の旅路」に回帰する人たちが多くなるだろうと感じているから。コロナ禍から続き、天災にスキャンダル、さまざまな過去の当たり前、枠組みが崩れつつある現在。ホロスコープの世界で言われている「風の時代」が本格的にはじまる。時代の過渡期なので、世の中的には混乱しているように見えるが、この流れの切り替わるタイミングで新しい旅、すなわち魂に沿った本来の旅に出かけようと準備している人たちが、私の周りにもたくさんいる。

そんな方たちに少しでも力になっていきたいし、いまこそ私の魂の仕事を果たしていきたいと感じるようになった。

準備期間、終わり

せっかくの立春ということなので、ここに宣言してみた。

noteもバージョンアップ

そんなわけで、このnoteも少しずつ、目的が変わっていくかもしれない。

昨年の6月、noteをスタートしたときの思いは「私のスピリチュアルな部分を開示してないの、嘘ついてるみたいでなんか嫌!」というものだった。最初の投稿を「読まれなくてもいいnoteを書きたい」と題しているように、言ってみれば「自己開示の訓練」としてnoteを使うつもりだったのだ。読まれなくてもいい、と自身に言い聞かせておかないとなんだか怖かったのだと思う。

あれから半年あまり。過去の自分のスピリチュアル遍歴をどんどん開示していった。その訓練の成果なのかわからないが、その頃と比べたら、かなり開けっぴろげになってきた自覚がある。いまとなっては怖さみたいなものはほとんど感じないし、短期間でここまで変われるんだな、と自分でも驚く。

なので、そろそろnoteもバージョンアップする時なのかもしれない。

引き続き、誰か特定のターゲットを意識するnoteにはしないが、「魂の本分」を生きる上での私の思いを、折に触れて綴っていけたらと考えている。

だから、読まれなくてもいい、というエクスキューズはなしにしようと思う。

気になった人、ぜひ読んでみてください!
魂の旅路を歩みたい人、案内所に来てね!

そんなトーンに変わっていく気がする。その方がたぶん、私らしいのだ。

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2024年の元旦
滝の前で降りてきた言葉は「naked」
魂そのままの私で生きていきたい

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