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ホロスコープが開いた次の扉

前回のnoteは少し時系列からは外れた話になっていたが、あらためて「気づきの遍歴」として振り返っていきたい。

2019年夏に半年間のカウンセリングを受け終わり「この時期を明確に境として、私のライフシフトが急加速していった気がする」と書いたのだが…

それは本当にその通りで、まずその直後くらいから、何かの扉が開いたように、なぜかいざなわれたのがホロスコープ(西洋占星術)だった。

私がいま、仕事として手がけるまでになったホロスコープ。

https://takiayako.subtle-flow.com/

日本では雑誌でも朝のニュース番組などでもエンタメとして星占いが浸透しているからか、私がホロスコープの勉強をはじめた時も、周囲からは意外なほど普通に「私も見てよ!」という感じでカジュアルに受け止めてもらっていた気がする。ありがたい状況だった。当時はまだとにかく「スピ系の人」として周囲に怪しまれたくなかったからだ。半分おふざけノリで「滝あやこ」という占い師としての芸名を名乗り、職場の飲み会ではネタとしても披露したりして… おかげでたくさんの人のホロスコープを練習として見させてもらうことができた。

とはいえ、ホロスコープがなぜ当たるのか、というところを考えていくと、思いっきりスピリチュアルど真ん中な領域の話になっていく。私が惹かれている理由も、その宇宙と人間との深淵なつながりにある。

ホロスコープに対しての私の考え方は自身のウェブサイトでもこれからコラムとして書いていくつもりなのだが、このnoteでは私の人生に突如ホロスコープが現れたことが、どのような意味があったのかを振り返っていきたいと思う。


急速に沼ったホロスコープの世界

クライアントさんから「何がきっかけでホロスコープをやりはじめたんですか」と聞かれることがあったりする。せっかくなら深イイ話を提供したいと思うものの、残念ながらそのはじまりのストーリーは、ほとんど脈絡がない。

星空があまり見えない東京で育ち、星や宇宙にそれほど関心は持っていなかった。占いについては比較的好きな方(といっても、石井ゆかりさん、しいたけ占いを楽しみにしているくらい)だったから、20代の頃にホロスコープも何度か見てもらったことがあったけど、そのときはそれ以上深くハマることもなかったし、自分でやってみようとも思わなかった。

うろ覚えだが… たしか2019年の秋ごろのことだった。ある日の夜、自宅の本棚に一冊だけ持っていた西洋占星術の本がふと目に止まり、その本を片手に夫(一緒に住んでいたがまだ当時は結婚していなかった)のホロスコープを読み、説明してみたのがきっかけだった気がする。

そのとき、彼にこう言われたことだけはよく覚えている。

「あやちゃん、占い師はなんだか向いてる気がする。話し方に謎の説得力があるから」

謎の説得力…その言葉を当時の私はなぜかすぐ鵜呑みにした。「うん、そうだよね、そんな気がする」と。

そこから、いきなり沼にハマりはじめる。何冊か本を買って、ホロスコープの仕組みを勉強しはじめた。基本は独学だった。

自分の強みが生かされる

どうしてホロスコープが「向いている」と思われた(思った)のか。それは私がもともと持っていた資質がホロスコープと合っていたからだと思う。

まず、ホロスコープとは、地球に影響を及ぼしている太陽系の天体(一般的に使われるのは太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の10天体)が、どの場所に位置していたのかを示すものだ。このサークルの図一つで、10天体の位置関係が俯瞰できる。

ホロスコープはこんな感じ

この図自体はいまではインターネットの無料サイトで手に入るので、ホロスコープ鑑定士はこの図の意味をどう読み解くかが腕の見せ所となる。

実際やってみると、ホロスコープの知識に限ってはなぜかスッと頭に入りやすく、勉強嫌いの私にしては珍しいなと思っていた。我ながら、自分の強みが生かせているような気がしていたのだ。

一つは、物事を俯瞰的に見られること。記号ばかりのこの図、個々の要素に分解して解読しようとすると膨大な情報量でどこから手をつけたらいいかわからなくなるのだが、私の場合は俯瞰目線でこの図全体のイメージを直感的にそのままダウンロードしている感じであり、そこから重要なポイントだけを取り出すように読み取ることができていた。

二つめは、抽象的な概念の取り扱いが得意だということ。ホロスコープは「象徴」のオンパレードだ。解読するためにはまず、この象徴を抽象度の高いままで把握していく必要がある。そこからクライアント個人の人生にどのように具体的に顕現しているのかを伝えていくことになるのだが、私はなぜかこのスタイルがわりと得意だった。

そして三つめは、言語力だ。俯瞰的に読み取った抽象的な概念を、どのように相手にわかるように伝えるのか。これはやはり言葉しかない。ニュアンスの伝わる表現や比喩を駆使しながら説明すること、文章にすることは、私にとって楽しいことでもあった。

これらは私の最初のキャリアである編集者として身につけたスキルなのだろうかとも思っていたのだが、どちらかというと生まれもった資質だった気がする。それが編集者時代の仕事にも、ある程度は生かされていたということなのだろう。

その人だけの個性に触れる喜び

初心者のときに一度だけ、二日間のホロスコープ講座に通ってみたことがある。そこでは先生から「ホロスコープ鑑定を仕事にしたい人は、まずは運勢と相性を見られるようになりましょう」と教えてもらった。クライアントのニーズは、ほとんどがその二つですから、と。

一般的な占いのニーズは、そうなのかもしれない。でも、私の場合はあまりピンと来なかった。その人の生年月日で示される基本のネイタルチャート(生誕図)にこそ、あまりに「全てが書かれている」と感じていたからだ。自分自身の初期設定、取扱説明書。これさえしっかり読み解いていきさえすれば、その方の悩みの多くには応えられそうな気がした。未来を予測したり、他者との関係性を気にするよりもまず先に、その人がその人自身のことを理解することが何より大切なのではないか

私自身、もともと「人それぞれの個性を理解すること」に、ずっと関心があった。当時はまだ会社組織に属していて、通常業務のほかにチームビルディングのプロジェクトを担当しており、ストレングスファインダーを使った相互理解の推進を手がけたりもしていた。人には優劣ではなく向き不向きがある、お互いの強みを活かしながら仕事できたら理想だよね、違うからこそ組んだときにいいチームになるよね、ということを伝えたかった。

ストレングスファインダーもすごく良いツールだと思うのだが、診断の根拠は自己申告ベースである。運命づけられた揺らがないものを示しているホロスコープとはまた違うタイプのものだと感じていた。

どちらにせよ、私はこれまでもいろんな人の個性に触れたいと純粋に思ってきたように思う。その人の個性を理解して伝えることで役に立ちたいということ以前に、人それぞれの、その人にしかない輝きに触れること自体に、私自身がワクワクして喜びを感じるタイプなのだ。

なぜ当たるのかが知りたい

さて、ホロスコープ沼にハマってからしばらくすると、当然というか…このような問いが生まれてきた。

そもそも「なぜホロスコープはこんなにも当たるのだろうか」と。

この問いに対しての明快な答えは、実はホロスコープの教科書にもほとんど載っていなかったりする。先述したホロスコープ講座でもわざわざ触れられることはなかった。日本人の最も有名な西洋占星術師の一人、鏡リュウジさんの入門書の冒頭にも「星の配置が人の心のありようとなぜ呼応しているのか、実のところよくわかりません」(『鏡リュウジの占星術の教科書』より)と書かれてしまっていた。ガーン。

「占いは統計学だ」というのもよく言われてきたりもするが、私はいまいち納得しがたかった。膨大なデータを処理できるようになった現代で開発されたのならまだしも、西洋占星術は古代文明の頃から存在しているわけだし、何か別のアプローチをしていたはずだと思う。

ほんのりとモヤモヤを抱きながらも、西洋占星術の歴史を自分で徹底的に紐解くまでのオタクパワーは持ち合わせていない。「まあ、それはそれとして、実際当たっているんだからいいか!」と、引き続き楽しい趣味としてホロスコープを読み続けていたのだが…

ある日、転機が訪れた。

宇宙についての謎の確信

2020年、元旦。ホロスコープにハマりはじめて数ヶ月の頃。

私の恒例行事である「滝初め」のため、夫と箱根に出かけていた。

(飛龍の滝にご挨拶してから九頭龍神社に参拝するという、当時個人的に気にいっていたパワーチャージコースだった)

清々しい滝と神社の空気に心身ともすっかり癒され、その帰り道の車中、夫とホロスコープについておしゃべりしながら運転していると、いきなり「あっ」と、ひらめきが降りてきたのだ。

マクロコスモス(大宇宙)とミクロコスモス(小宇宙)はリンクしている、ということ。

太陽系の惑星たちが地球に向けて放つエネルギーの集合体(マクロコスモス)は、そのまま地球に誕生した私たちの魂にも同じようにインストールされる(ミクロコスモス)ということ。

そして、このシステムが稼働している限りは「究極の多様性」が地球上の存在にもたらされ続けているということ。

どこにも根拠はない。ただ、ビジュアルが脳内に浮かんできたこともあって、私の中には確信めいたものがあった。この感じは、坐禅修行のときの感覚と同じようなものだった。天から授けられた、というような。

この坐禅修行以来、「この世はゲームである」という考えを根っこに持っていた私は、妙にこのひらめき=マクロ・ミクロの宇宙の仕組みに納得してしまっていた。

なぜなら、地球上のゲームが面白く長く続いていくためには、そのプレーヤーたちの多様性がキモとなるからだ。プレーヤーの多様性をどうやってつくりだすのかと考えたときに、動き続ける太陽系の天体たちのエネルギーをそのまま魂の部分に反映させるというのは…なんだかとても理にかなっているような気がした。

さらに、このとき話につきあってくれていた夫は生粋のゲーマーであり、宇宙好きでもあるので、ノリノリで「この世はゲーム説」の自論を展開しはじめた。「シミュレーション仮説っていうのがあって…云々…」などと。

私が受け取ったひらめきと、彼が説明する仮説とが思いがけず組み合わさり… 私の中では、さらにひとつの問いに昇華していった。

「じゃあ、このゲームはなんのために行われているのだろう…?」

スピリチュアルな領域に踏み込め

唐突かつ、脈絡なくハマることになったホロスコープは、確かに私にとって「向いているし、好きなこと」だった。だからこそいま、おかげさまで仕事にもできている。奥が深いのでまだまだ修業中の身だが、ライフワークと言えるものだ。

一方で、このタイミングでホロスコープにいざなわれたことは、もうひとつの意味があったように思う。

「ホロスコープはなぜ当たるのだろうか?」という素朴な問いから発展していき、「この世界、宇宙の仕組みをもっと知らなくては」という次のモチベーションが生まれたということ。それは、目に見えないスピリチュアルな領域にいよいよ踏み込みなさい、という合図だったのかもしれない。

不思議なひらめきと共にスタートした2020年。東京に戻り、それまで通りの日常生活を変わらず過ごしていくことにもだんだんと違和感が募っていた頃、折しも世界はコロナ禍に突入する。任されていた仕事も、ひとつの区切りを迎えるタイミングだった。

そして、2020年の夏、会社を辞めた。

まだ次に何をするかまったく見当がつかない状態だったが、このままでは先に進めないと感じていたし、それはステイホームの期間に一回立ち止まり自分と向き合ったことで、より確信が強まった気がする。

ちなみに、2020年というとホロスコープ界隈ではちょっとしたフィーバーイヤーだった。2020年12月、200年ぶりに地の時代から風の時代へと移行するというタイミングだったのだ。

私自身はこの流れに滑り込むかのように、次のステージに踏み込んでいくことになった。

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2020年の元旦、箱根の飛龍の滝でインスピレーションを感じる

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