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坐禅修行で垣間見た宇宙の感覚

夏至にこのnoteをはじめて、10日くらい。

二つの記事を書いただけ、まだほんの短い期間なのだが、自分自身の変化を強く実感している。

誰かと対話するとき、明確に「楽」になったし、より「楽しく」なった。それまでも無理をしていたわけではないし、ちゃんと楽しかったと思うのだけど、グッと軽やかさが増した気がしている。無意識でキャップをかけていた部分が外れたという感覚。この感じ、ちゃんと覚えておきたい。

さて、前回に続いて、「気づきの遍歴」を振り返っていこうと思う。

「滝との出会い」の次に大きな影響があったこととして思い当たったのは、ちょうど10年前の2013年、30歳の時に体験した「坐禅修行」のことだ。


スピな流れがやってくる20代後半

前回も書いたが、私の場合、スピリチュアルな気づきのスイッチがかなり段階的に細かく設定されていたタイプだったようだ。

2008年あたりからさまざまな「あちら側から誘われるような」出来事が頻繁に起きるようになった。

明らかにソウルメイトとわかるような人がいきなり目の前に現れたり、やや強引とも思えるセレンディピティの連続で旅に出ることになったり… 人との強い縁や運命的な流れというものが直感的にわかるようになった。ただ、20代のうちは若さもあって、単純に「私って運がいいのかも」とか「人生ってこれだから面白いな」とノリで楽しむような感じだった気がする。

特に、仕事相手(スピリチュアルとは対極にあるような金融・ビジネス業界の人)にスピリチュアルな話題を唐突に切り出される、ということがしばしば起きていた。アカシックレコードのこと、前世のこと、龍のこと… 宗教やネットワークビジネスの勧誘など別に意図があるならまだわかるのだが、どうもそうしたことはなく、ただ話をされるだけ。当時は「そういう世界があるんですねぇ(どうしてわざわざいま私に話すんだろう?)」とノンビリ受け止めていた。まだ自分自身と関係があるとは思っていなかったのだ。

(そのうちの一人にあとから聞いたところ「坂崎さんにしゃべるように、なぜか龍から言われていた」という)

2013年の坐禅も、そのようなご縁、仕事でよくお世話になっていた(実際はかなりスピリチュアルな)方からの紹介だった。

飯高転石老師との出会い

ある日、彼が「坂崎さん、大丈夫ですか? 余計なお世話かもしれませんが、顔色が悪いのでちょっと心配です」と連絡をくださった。

どうやら私から不穏なオーラが出ていたらしい。この頃、仕事でもプライベートでも明確なストレス要因はなかったはずだったが、言われてみればどうにもやる気が起きなかった。エネルギーが枯渇している状態。

東日本大震災以来、人間のエゴや資本主義社会そのものに対する疑念を抱くようになっていたせいかもしれない。そんな私の心の奥にある不安定さを、彼は見抜いてくれていたのだろう。「きっと坐禅がいいですよ」と、とても自然な流れで、彼が最も尊敬しているという仏教者を紹介してもらった。

飯高転石老師という方だ。

お寺とは違い、師から悟りを開いたと認められて印可を受け、無宗派で出家在家にこだわらない自身の禅堂「ダルマサンガ」を主宰している。道場は滋賀県・朽木と千葉県・大多喜にあり、そこでは「摂心」と呼ばれる修行がメインで行われる。これは一定期間泊まり込みでひたすら坐禅をし続けるというもの。

紹介していただいてすぐウェブサイトをチェックしてみたところ、直近での摂心会が千葉で翌週に開催される予定だと知る。そして、そこがたまたま出張がキャンセルになった空白期間とピッタリはまっていたのだ。

信頼している方からのご紹介、さらにタイミングもバッチリ。これは「さっさと行けということだろうな」と、迷うことなく参禅を決めた。当時、千葉の道場はスタートしたばかりで参禅者が少なかったというのも、集団が苦手でそれだけでストレスを感じる私にとってはかなり幸運な機会だったと思う(参禅者は私と男性の二人だけだった)。

ここで過ごした4日間が、その後に大きな影響を及ぼす転機になった。

それでも人間として生きる意味がある

修行の基本的な流れは、食事の時間を除いて朝から晩まで、40分間の坐禅をひたすら繰り返していくというもの。そのほか、お昼に老師からの法話があり、夜には老師と一対一で対話できる時間がある。

また、摂心には各自が参禅に集中できるようにいくつか作法や規則があって、禁止されているのが、会話、読書、メモ、携帯電話など。参禅者同士、目もあわせてはいけない。外界の刺激を徹底的に絶つ必要がある。

実際に坐ってみると、最初のうちはやはり慣れない。払っても払っても湧き続ける雑念と足のしびれ、眠さとの戦いだった。しかし、続けていくうちに徐々に坐ることに違和感がなくなってくる。静けさが不思議と心地よい。

そして、二日目になると自分の意識も少しずつ変わりはじめてくる。

たとえば、こんなことが起きた。

足元でアリたちが行列をつくっているのをぼんやり眺めながら…(休憩時間はやることがないので、縁側に座って外の景色を眺めたりしていた)

「ああ、アリたちは自然とそのまま調和して生きている。それなのにどうして人間は自然の秩序を乱すばかりなのだろう」と思ったり。

あるいは、就寝前、暗い部屋の天井に「G」(道場は山の中の古民家なので当たり前)がサササと移動しているのを見つけたときに…

「おお、G先輩、さすがだな。忍者でもあの素早い動きはできない。それに引き換え、人間は何を偉そうに生きているんだろう」と思ったり。

アリや「G」に本気で敬意を払い、逆に人間を極限まで卑下している自分がいた。なんだか人間として生きていることに、ほとほと嫌気が差してきてしまったのだ。 人間はいったい、何のために生きているのだろう、と。

そして、翌日の老師からの法話は、そんな私の心中をまるごと見透かしたようなものだった(こちらからは何も話していない)。

「それでも人間として生きる意味がある。そこと向き合いなさい」

人間として生きる意味…。

そのとき、老師は答えを教えてくれたわけではない。

しかし、そのとき私の意識にパッと飛び込んできたことがあった。

「ゲームとして遊びきればいいんだ」

地球にとっては確かに調和を乱す存在かもしれない。だけど人間は調和のためだけに生きるわけではない。人間だからこそできることがある。それは遊ぶということ。人間として生まれたからには遊びきるべきなんだ。

「ああ、そうか、ゲームをしているんだった…」

深い腹落ちとともに、気づけば涙が溢れ出てきていた。

球体と突起のイメージ

もう一つ、私にとっての大きな気づき。

摂心最終日、坐禅中だったか、休憩中だったか… どのタイミングかは記憶が定かではないが、脳裏に湧いてきた一つのイメージがあった。

真っ暗な空間に青く輝く、大きな大きな球体。

近づいてみると、突起が無数にある。

突起は枝分かれしていたり、突起同士が絡んだりしている。

突起は元に戻ったり、また生えたりしている。

…? これはなんだろう?

最初は意味がわからなかったのだが、ふとひらめいた。

突起は私たちだ。 そして「おおもと」は全て一つにつながっている。私たちのもとは、大きな大きな球体。誰もが同じ球体から生まれている。私たちはそれぞれ一時的に突起として出ているだけなんだ、と。

このビジョンはなぜか強く印象に残っていて、その後もしばらく、私の拠りどころとして意識の中に置かれ続けていた。このイメージを思い返すと、いつも安心できて、寂しさや怒りの感情が遠のいていくような感じがあった。

いま考えれば、これはいわゆる魂の仕組みを象徴的に表そうとしたものだったと思う。漠然としたものではあったが、本で読んだり、話を聞いたりするのではなく、私だけの強烈な体感として納得できたことにこそ、重要な意味があった気がする。

滝ガール、誕生のきっかけ

こうして、二つの大きな気づきをもらった、4日間の摂心。

私にとって、この摂心の意味はそれだけではなかった。

老師は摂心中はほとんどトランス状態というか…あちら側とずっとつながっている「人を超えた存在」という印象だったのだが、摂心の終了後はうって変わって、いたって普通の60代の気さくなおじさんという感じでお昼をご一緒してくださる。

そのときにいろいろとおしゃべりしたのだが、老師は、私の「滝が好き」という話に強く関心を示してくださったのだ。

老師曰く、坂崎さんの坐禅は初心者のものには見えなかった、それはどうしてか、よくわかった。あなたが、いつも滝と向き合ってきたからではないか、と。

老師はふむふむと感慨深げに頷きながら、滝は天と地を結ぶエネルギーそのものなのだ、ということを説明してくださった。滝と禅のつながりについては、当時の私はまだいまいちピンときておらず… ただ、老師の言葉にはとても説得力があり、私が滝に惹かれてきたことにも意味があるのだと思えるようになった。

また、そのとき老師に「坂崎さんは、ブログなどで滝のことを発信していないのですか?」と尋ねられた。やっていないのです、と答えると、「ぜひやったほうがいい」と。老師が強く勧めたその理由については詳しくは聞かなかったが、そのアドバイスはなぜか私の心にスッと入ってきた。坐禅を経て、自分自身の軸となる部分もハッキリと浮かび上がっていたのだと思う。

そろそろ、滝のことを発信していこう。

老師の言葉を素直に受け取った私は、急ピッチで準備を開始。Wordpressを独学で学び、その翌月にウェブサイト「Takigirl.net」をオープンした。

当時も周りの人からは「滝ガール」と呼ばれていたが、自称してみたのはこれがはじめてだ。前回のnoteで「滝がすべてのはじまり」と書いた。滝に出会って10年のタイミングでこのウェブサイトを立ち上げたことが、その後さまざまな出会いを生み、たくさんの気づきをもたらすことになる。

扉を閉めて 寂しさと対峙する

坐禅修行を終えての帰途は、驚くほど心身が軽く、エネルギーに満ちていたことをよく覚えている。夕方のラッシュアワーで超混雑の東京駅を歩きながら、これまではイライラせずにはいられなかったはずなのに、この時は「みんな、もともとは“一緒”なんだもんな」と穏やかな気持ちで人波を眺めている自分がいた。

ただ、同時に不思議な切なさも感じていた。

それは、「もう、戻らない」という気持ち。これまで過ごしていた世界と、これから生きていく世界の間には、明確な「」のようなものがあり、この修行を経て、私はその扉を通り抜けた。そして、その「扉のカギを自分で閉めた」という感覚があったのだ。

「友だち、いなくなっちゃうかも…」。当時の日記に綴っていた。いままで感じたことのない、寂しさだった気がする。

かつてない穏やかな気持ちを味わいながらも、一方では、そこはかとない寂しさと対峙する。このギャップを噛み締めることは、30歳の私にとって必要なステップだったのだと思う。

とはいえ、このあと10年も、まだまだ足掻くことになるのだが…  

この摂心が私が私に還るための大きな出来事であったことは間違いなく、あらためてそこに導いてくれた存在に感謝したいと思っている。
***

2013年7月、坐禅修行を経て滝について発信することを決めた時の私


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