見出し画像

魂には嘘がつけない レイキ伝授で起きた変化

私の人生の大きな転機となった「レイキ」のことについて、引き続き書いていく。

2013年にレイキヒーリングを受けてから7年のブランクを経て、2020年の秋。いよいよレイキのアチューンメント(伝授)を受けることになった。

前回はこちら。

過去の話なので、なぜいまさら…という気持ちもなくはないのだが、実際にnoteにして公開してみると、知り合いのなかでも意外な方からの意外な反応があったりするのが興味深い。こうしたテーマの話題を、内に留めておくだけでなく、外に出したい気持ちになっている人は実は多いのだろうという気がしている。まさに、風の時代らしいなと思う。


レイキのアチューンメント

さて、前回も書いたが、私がお伺いしたレイキサロンはここ。

アチューンメントとは宇宙からのエネルギーを受け取るための「回路を開く」ものだ。もともとの回路がインターネットのADSLにたとえるなら、光回線の工事をする、みたいなイメージだろうか。交信スピードが上がり、データ通信量が増える。それによって、見えないエネルギーの受容体が活性化し、スピリチュアル的な感覚が目覚めていくことになる。

伝授はファーストディグリー、セカンドディグリー、サードディグリーと段階があり、それぞれ少し間隔を空けて受ける。いずれも横になっている間にティーチャーが手をかざしながら回路を開いてくれるだけなので、自分自身が気合いを入れて修行なり特訓なりをしなくてもいいという… ある意味ではお手軽なところが面白い。

そもそものレイキの歴史や仕組み、伝授の経緯などについては、このnoteでは割愛する(専門家ではないので、うまく体系化して説明できる気がしない)。ここではレイキを身に付けたことによって私にどのような変化があったか、どんな意味があったかということを、あくまでも個人的な体験談として記しておこうと思う。

手から何かが出ている

アチューンメント後の変化をどの程度体感できるかというのは人により個人差があるようだが、私の場合はファーストディグリーの伝授後にわかりやすく「手から何かエネルギーが出ている」感覚が得られていた。特に、私は左手のほうが感覚が強く、手のひらの中心部分が常にピリピリ、ジンジンと痺れたようになっており、そこに右手を近づけてみるとモワモワとした何かがあることが感触としてハッキリわかる

帰宅するなり、夫にも「手から何かが出るようになったんだけど…」と報告。私の手から出ているエネルギーは彼にもすぐにわかったようで、「わ、何これ?」と驚いていた。夫はスピリチュアルな事柄に対してそれなりに警戒心があったはずなのだが、これで彼自身もにわかに関心を持ったようだった。

ファーストディグリーの伝授後は、手のひらピリピリのほかにも、いわゆる「好転反応」のようなだるさ強い眠気に襲われることが頻繁に起きるようになった(自宅のソファでコーヒーを飲んでいる途中になんの前触れもなく眠ってしまい、盛大にこぼしたこともある)。眉間のあたりがムズムズしたり目を閉じた時に青というか藍色の光が見えるようになったり、というのもわかりやすい変化だった。

このように明確に身体に変化があったわけなので、何事も疑り深い私も、さすがに「レイキについては信じるか…」という感じだった。これらの症状について、何も知らなかったとしたら「脳の病気かも?」と疑ったのかもしれないが、明らかにレイキをきっかけに起きはじめたことなので受け入れることができていたように思う。

幾何学模様の不思議体験

ファーストディグリーの三週間後にセカンドディグリーを、その三週間後にサードディグリーを受けたのだが、伝授の体験としてはセカンドが最も印象的だった。

セカンドの伝授中、TAKEさんに手を当ててもらった途端、閉じているはずのまぶたの裏にパーっとカラフルな幾何学模様が展開しはじめたからだ(寝入るほどの時間もなかったので、夢ではなかったはず)。

その光はディズニーランドのエレクトリカルパレードのようなネオン的な鮮やかさで、万華鏡の模様のように虹色の幾何学模様が中心から次々に生まれてはクルクルと回転し、変化していった

その様子はあまりに美しく… うっとりと眺めているうち(目を閉じているから「眺める」というのもおかしな話なのだが)、伝授の時間は終わっていた。かなりあっという間に感じたけれど、伝授時間は一時間近くあったはずなので、時間感覚も少しバグっていたのかもしれない。

あとから調べたら、まぶたの裏に映る光は「丹光(たんこう)」と呼ばれるものだったらしく、サードアイが活性化すると見えるようになるとのこと。ファースト伝授の時点では藍色の光がモヤモヤと見えるようになっていたが、セカンド伝授時にさらに強力なエネルギーが流れたことでカラフルな幾何学模様となったのだろうか。

幾何学模様が何を表していたのかというと、いまだによくわからない。ただ、その時の私にとっては、この「不思議体験を受け入れる」ということに意味があった。

何しろ、あの美しさは感動的だった。

魂の本分に還るとき

TAKEさんのサロンでは各回のアチューンメントの際に、オリジナルのスピリチュアルリーディングもセットで提供されている。「その人の魂の本質」についてさまざまな角度からTAKEさんがレイキを使ってリーディングしてくれるというものだが、これも私にとって気づきの宝庫だった。

私の魂が何を大切にしているか、どんな時にストレスを感じるか、今世で果たすべき使命… など。ここでTAKEさんから伝えてもらったことは「やっぱりそれでいいんですよね」という、このとき私が大きくライフシフトしようとしていた方向性とまさに合致する内容だった。

特に、最後。魂の「今世の使命」について。

このように言われた。

「神と対話すること、神と対話させること」

「神」という言葉に、宗教嫌いだった私はピクッと反応したものの、妙にしっくりきてはいた。かなり抽象的な表現だが、だからこそ本質を突いている気がする。ここでいう「神」とは、宗教上のものとは関係なくて、自然や宇宙の摂理、何らかの「おおもと」、根源そのもの、ということだろう。

つまり、スピリチュアルを主軸に生きよ、というメッセージだ。自分自身の生き方においても、他者との関わりにおいても。

それまでの私は「お金」や「情報」を扱う業界、スピリチュアルとは対極ともいえる超現実的な世界で働いていた。社会に何かしら貢献できるよう願って自分なりには努力していたし、経済的には充実していたものの、どうにも違和感が拭えなくなってきて会社を辞めたのがまさにこの頃だった。

リーディングのメッセージを聞き、やはりそもそもの私のお役目はこちらでよかったのだと、ここでハッキリと自覚できた気がする。

長年にわたり滝と向き合い続けていたり、はたまたホロスコープにいきなり目覚めたり…不思議な導きがあったことをこのnoteでも綴ってきている。

神と対話し、神と対話させる。

これが私の魂の本分なのだとしたら、選んだ道は間違いなさそうだ。

やっと、還ってくることができたという安堵があった。そして、この軸を持ってこの先を生きていけばいいのだと、静かに覚悟が決まった気がする。

ヒーリングよりも大切なこと

現在、私自身のレイキの付き合い方はというと、けっこうあっさりした感じなのかもしれない。たとえば、誰かが火傷や打撲など怪我をした時に患部をヒーリングしたり、自分でご飯を食べすぎてお腹が苦しい時なんかにも手を当てたり… その都度、効果はちゃんと感じられている。

とはいえ、毎日習った作法に則って練習している、というわけではない。レイキは意識的に使えば使うほどパワーは強まっていきそうだが、いまはそこまでのモチベーションは持っていないのが正直なところだ。

もともとはエンパス体質の自分を守るためにレイキを学んでみようと思ったわけだが、その頃と比べたら自分自身もかなり元気になってきているし、浄化を必要とするようなシチュエーションもそこまで多くない。傷ついた誰かを「癒す」こともやれる範囲でやれたらいいと思うが、私自身がいまレイキヒーラーとして研鑽に邁進していくべきかというと、それは微妙に目的が違うような気がしている(レイキを他者に伝授するためのティーチャー資格も取得していない)。

振り返ってみると、私にとってのレイキは、自分を守るための技法でも、他者を癒すための技法でもなかった。より私自身が魂の本分に沿った人生を進んでいくように、方向転換を強く促すためのスイッチであり、ブースターだったのだと思う。宇宙エネルギーの回路を開いてもらったことによって、自分の本来の魂が歩むべき道に、ほのかなあかりが灯ったような感じだった。

とにかくこれでもう…自分に嘘がつけなくなった

こういう状態になれたことこそ、ヒーリングよりも大切なレイキの効果だった。

ちなみに私のセッションにはいま、サブメニュー的にレイキヒーリングのコースも用意している。ピンときて見つけてくださった方がレイキの感覚をお試しでも体感してくれるなら、まずはそれでいいのかなと思っている(実際にそれがきっかけとなって本格的にレイキのアチューンメントを受けにいかれた、という方もいらっしゃったので)。

私が変化したら、周りも変化する

自分の魂の本音に嘘がつけなくなったことにより、それまでやっていたことがどうしてもできなくなったり、人付き合いにも変化が生じたり。当時はずいぶん悩みもしたし、いまもまだ時折、過去への執着が捨てきれていないせいで戸惑うことがある。ただ、長期的に見れば、これを機にさまざまなことがスムーズに動きはじめたように思う。

私が変化したら、周りも変化する、というのが実感としてわかった。

実家の家族やパートナーとの関係も目に見えて改善してきたし、移住の話がとんとんと進んだし、仕事の方向性もだんだん定まってきた。あと、地味に嬉しかったのが、体重が8㎏も落ちたことだ。それまでは無意識のストレスで太っていたということか。ダイエットも何もしないまま、するすると減っていったので拍子抜けするほどだった。

いずれも具体的にこういう努力をした、というわけではなくて、ごく自然に、自動的にそうなっていった、という感じの変化だ。たとえるなら漢方薬のような効き目。じわじわと、しかし確実に変わっていった。レイキのおかげかどうかというと、もちろん因果関係はわからないのだが、私としては大きな影響をもたらしたものだと感じている。


…と、ここまでがレイキと私のストーリー。長かった!

ここからいよいよスピリチュアルの道を探究していくことになるが、またその先の出会いについては、追って書いていこうと思う。

***

レイキ発祥の地
京都の鞍馬山にもお参りへ













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?