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出産と 自分の本質で生きるということ

noteの更新が少し空いてしまった。

というのも… 先日、はじめての子どもを出産して、ちょうどきょうで三週間になったところで、さすがにバタバタしていたのだった。

4290gのビッグな男児が誕生した。想像以上に大きく育ちすぎていたので自然分娩が難しく緊急帝王切開となったものの、産後の経過は母子ともに順調なほうではないかと思う。

自分が「母」になった実感があるのかというと、まだよくわかっていない。目の前にいるプニプニ&ズッシリの赤ちゃんはとてもかわいく感じるし、夫ともども人並みに親バカではあるのだが、この人と私は親子なのだよなあとあらためて考えると、どこか夢でも見ているような、不思議な感覚になる。

とはいえ、現実に新生児はすでに日々育っていくし、昼夜問わずお世話をしているうちに本当にあっという間に時が経ってしまう気がしている。 …ので、少しでもいまの気持ちを整理したくて、noteを書いてみることにした。

なぜ子どもをお迎えしたいと思ったのかと、出産して彼と出会ったときの気持ちのこと。まずは向き合っておきたかった。


不可逆の選択に迷っていた頃

41歳での出産。年齢的には遅いと思うが、これが私のタイミングだったのだと、いまならよくわかる。「子どもをお迎えしたい」と思えるようになるまでに、私の場合はいくつもの浄化プロセスが必要だったからだ。

出産というライフイベントは不可逆な選択であり、出産するしない、どちらかを選んだら引き返すことはできないし、両方の人生を体験することはできない。そして、この選択には年齢のリミットがあるし、出産したいと選択したとしても、それが叶うとも限らない。

以前のnoteにも書いたが、私は30代半ばに自身の根本的な生き方自体に迷子になってしまい、カウンセリングをお願いしていたことがある。その迷いの要因のひとつとして、「子どものことを決めねばならない」というリミットへの焦りがあったことは確かだった。当時も一緒に住んでいるパートナー(現在の夫)はいたので「子どもができたらこの袋小路から脱出できるかも?」とも考えたりしたこともある。

しかしそもそも、私はいわゆる「子ども」が好きなわけではなかった。それはきっと、自分が子どもの頃から「子どもである自分が嫌で、早く大人になりたかったから」だと思う。幼稚園の頃もお遊戯を「バカにするな」とボイコットしたり「みんなの騒ぐ声があまりにもうるさい」とシクシク泣いてしまったり… 自分も子どものくせに、子どもらしいものを極端に嫌っていた。

その苦手意識自体はカウンセリングでのインナーチャイルドヒーリングを繰り返すことによってかなり緩和されたのだが、だからといって積極的に自分が子どもを産みたいという気持ちにはならなかった。一方で、子どもを持たない人生を送っていくんだという覚悟もその時点ではできず… 迷いはそのままペンディングになっていたように思う。

自分の軸をつくることが先

それからは「子どものこと」に対して直接向き合うのではなく、自分自身と向き合うことに専念することにした。遠回りかもしれないし、その間に年を重ねることで妊娠も難しくなるかもしれないけど、自分の軸をつくることが先のように感じられたからだ。

自分の魂の本質とは何なのか、その本質を生かすならどのように生きていくべきなのか、そのための仕事や人付き合い、住む場所、セルフケアの仕方… ひとつひとつこんがらがった紐を解くように、数年かけて、自分の内面と向き合っていった(その過程を、このnoteで綴ってきているところだ)。

そうしているうち、不思議なことに少しずつだが「子どものいる未来」がチラチラと見えはじめたのだった。「見えはじめた」というのは… 例えば、自分でなかなか現実感のある夢を見たり、「見える人」からそういう未来を指摘されたり、ということが増えてくるようになったのだ。「高原のような場所で大きなお腹の私が佇んでいる」とか「小さな子どもと夫と三人で食卓を囲んでいる」とか…。

おそらくきっかけとして大きかったのは、二年前。山梨県北杜市、豊かな自然に包まれた八ヶ岳の麓のいまの住まいのための土地を購入したことだったと思う。ゲームにたとえるなら、土地を買ったことで「フラグが立った」という感じなのかもしれない。子どものことはまだ夫婦でも何も相談していなかったにもかかわらず、私の中ではその時期を境に子どもがいる未来のほうがなぜかリアルに感じることもあった。

それから家を建て、引っ越すまでに一年。実際に移住してみると、私にとってはこの上なくストレスフリーで、「しっくり」くる暮らしだった。東京にいた頃は週一回の鍼治療がなくては暮らしていけないほどだったのに、体調もすっかり改善していた。

この場所でならば「自分が自分として生きながら子育てができるかもしれない」と思えたし、むしろ逆にいえば「子どもがいようといまいと、自分は自分の生き方をすればいい」とも思えていたような気がする。

そして、新しい生活が落ち着いた頃に、彼がお腹にやってきてくれたのだ。

お腹の中からのメッセージ

幸運なことに妊娠期間中は大きなトラブルもなかったので、のんびりとマタニティライフを過ごせていた。ところが、お腹もかなり大きくなってきた頃になって「このまま出産に突入してはいけない、いまやっておくべきことがある」という感覚になりはじめた。

それはまるで、お腹の中から子どもが問いかけてくるような感じだった。

「あなたがあなたらしく私と向き合っていくためにも、まずはあなたのスタンスをはっきりさせておいたらどうですか。そこ、まだ揺らいでますよね」と…。

人からどう見られるかを過剰に意識して、勝手に期待に応えようとしてしまうところ。無理をしてまでも最善を尽くそうとしてしまうところ。私の悪い癖だった。もし、このままの状態で「母」という社会的な役割が私に付加されたとしたら、確かにまたこの癖が暴走してしまうかもしれなかった。

他者がどう受け取ろうとも、自分のスタンスを正直に表明しておきたい。そのために、このnoteを書きはじめた。妊娠9ヶ月のことだった。背中を押してくれたのは、ポコポコと腹を蹴る赤ちゃんだった気がする。

出産当日も「穏やかな理想のお産をしなくては」という私のエゴを、赤ちゃんはガツンと壊してきてくれた。入院から48時間、激しい腰痛と長い陣痛と闘ったあげくの緊急帝王切開だったので、望んでいた穏やかなお産とはほど遠いものになった。でも、手術台で元気な産声が聞こえてきた瞬間に「ああ、そうか、これでよかった」とストンと納得した。どんな形であれ、本人は生まれたいように生まれてくるということ。「彼自身がこの日、この時間、この方法をベストなタイミングとして選んだのだな」と思えたのだ(このあたりはホロスコープに親しんでいる人としての感覚かもしれない)。

変わるけど、変わらない

妊娠中、出産時もそうだったように、思い通りにいかないことも含めて、これから私は彼にいつも学びをもらっていくのだろう。それは親子というごく近しい関係性だからこそ、受け取っていけるものだと思う。

ただ、出産を経てもいきなり自分自身が「変わった」という感じはしていない。このnoteの最初に「母」になった実感がよくわからない、と書いたのだが、それはつまり、いわゆる私がイメージしてきたような母性に満ちた「典型的な母親像」に自分が当てはまる気がしないということだった。

もちろん、生活としてはすでにガラリと変わっているし、これから長らく子どものための時間を中心に過ごしていくことになる(生活の変化自体は自分でも意外なほど受け入れられている)。一方で、自分の本質で生きるという意味においてはこれからも変わらないし、変われないままでいいのだとも思えているのだ。

変わるけど、変わらないでいい。この感覚は、いまの私にとって大切な拠りどころであり、静かな安心感につながっている気がする。

「未来で待っています」

ちなみに先に、「子どものいる未来」がチラチラと見えていた、と書いたのだが、それが具体的にどんな未来なのかというのは、自分でよくわかっていなかった。見えてくるビジョンは断片的なシチュエーションでしかなく、その子がどんな子で、親子がどういう関係性になるか、という肝心な部分はボカされている感じがしていた。

ちょうど一年前の夏の夜、唐突に不思議な声が聞こえたことがある。エコーがかかったような、男性とも女性ともつかないような声で「未来で待っています」と…。夢を見ていたのかもしれないが、それにしては妙に意識がはっきりしていたのでよく覚えていた。いま思えば、それは子どもの魂の声だったのかもしれない。

あとになって、その声の主に「どんな未来ですか?」と聞けばよかったと思ったのだが、それはたぶん教えてくれなかったはずだ。どんな未来かはお楽しみに、と。

私は私で、彼は彼で、お互いに揺るがない本質を生きていった時、私たちでオリジナルの未来をつくっていけるということなのだろう。

実際に彼が生まれてきたいまも、私たちがどんな経験をし、どんな変化をするのか、その未来はまだ全く想像がつかない。

でも、なんとなく… この地球の美しさを愛でたい、楽しみたい、というところでは思いを共有できていくのではないかと感じている。縁あってこの場所に来たからこそ、出会うことができた私たちだ。豊かな自然のリズムを感じながら、未来に続く日々を重ねていきたい。

***

いつもの滝には出産一週間前まで出かけていた


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