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宗教と私 怖れを乗り越えるまで

先日、中学高校時代の友人が、最初に書いたnoteを読んで感想をくれた。

「なんだか涙が出ちゃったよ」と。続けて彼女がくれたのは、私にとって宝物のような言葉たちだ。いつも胸の中にしまっておいて、時折取り出しては眺めたくなるような。思いがけない、ありがたいプレゼントだった。

さて、その彼女と対話していたなかで、ふと思い出して、いま書いておきたくなったテーマがあった。

「宗教」のことだ。

多くの日本人と同様、私自身も家族もいわゆる「無宗教」と自認してきたが、このテーマについてはやはり表立って言及することをなるべく避けてきたように思う。そもそも宗教という言葉の定義もかなり広いし、人間にとってあまりに壮大なテーマであり、いろんな意味で取扱注意、デリケートすぎる。

ただ、どんな人にも信仰の自由があっていいように、私にも私の経験に基づく思いが存在しているし、それは私にとってもかなり重要なことだった。それに、私なりの宗教との向き合い方がわかってきたいまなら、落ち着いて振り返ることができる気もしている。

宗教の是非や日本人の宗教観などを論じたいわけではなく、これは私の個人的な宗教にまつわる経験と、ささやかな気づきについてのことだ。誰に向けるでもなく、まずは自分のためにも少しだけ記しておこうと思い立った。

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宗教嫌いだった学生時代

冒頭の友人によると、私がスピリチュアル系の仕事をはじめたと聞いた時、少し意外に思っていたようだ。

彼女はそのこと自体を訝しんでいるというわけではなく、私のことだから何か紆余曲折があった上でのことだろうとポジティブに理解してくれていた。では、なぜ意外だったのかというと、私は学生時代に強度の「宗教嫌い」だったからだという。そのことを彼女はよく覚えていた。

(ちなみに今の私は「スピリチュアル=宗教」とは考えていないが、まずそう連想するのは自然なことでもあると思う)

私たちは中学、高校とカトリック系の女子校に通っていた。校長先生もシスターだし、先生にも生徒たちにも信者が一定数いた。

当時の私は、何かとキリスト教とそれにまつわるあれこれに対しての不満をしばしば口にしていたらしい。彼女(信者ではない)いわく「基本的に何かや誰かに対して怒るとか強い主張をしない人だったから、すごく印象に残っている。先生と何か口論もしていた気がする。この人、なんでカトリックの学校に来たんだろうと思っていた(笑)」と。

正直、その学校を選んだ一番の理由は「制服がかわいかったから」なのだが…  彼女にそう指摘されたことで、徐々に記憶が蘇ってくる。

確かに、私にしては異様に過敏で反抗的だった気がしてきた。10代の頃の話とはいえ、思い返すとヒヤヒヤするエピソードが多い。

なかでも、特に強い印象を残していたのが、ある老齢の外国人のシスター先生だ。

名前はもう覚えていないが、私はその人の担当する英語の授業を、心底疎ましく思っていた。全般的に教育者として不親切だと感じていたからだ。もちろん相性も大いにあるのだろうと思うが、最も苦手な先生だった。

だからといって表立って反抗的な態度をとった記憶はなかった。ただ、おそらく彼女は私の何かが気に入らなかったのだろう、テストの点数とは関係なく、学期末に最低ランクの評価をつけられてしまったことがあった。

この時は憤慨するよりも、なぜか「恐怖」を感じたことを覚えている。

そのシスターの佇まい、話し方、眼光… いま思い返しても、やっぱりそのとき感じた怖さの感覚がちょっと蘇ってくる感じだった。

イエス様が怖かった

もっと遡ると、そもそも私の宗教嫌いは3歳からはじまっていた。

私が通っていた幼稚園も、たまたまカトリック系だった。園児たちは毎朝、登園時に必ず園庭にある「マリア様像」に一礼してお祈りをしなくてはならない決まりがあったのだが、当時私はこれがすごく嫌だった。お祈りが必要な理由を私が尋ねても、誰もちゃんと説明してくれなかったからだ。

園内か教会かのどこかしらで「十字架に磔になったイエス様」を見たのも、単純にかなり怖かった。幼少期の悪夢の定番になっていた記憶がある。それを「怖い」と言ってはいけない雰囲気も、そこはかとなく怖かった。みんなは怖くないのか、どうしてだろう、と。

先ほどのシスターの話もそうなのだが、当時の私の感情としては「嫌い」というよりは「怖い」だった。

この恐怖は、一種の「恐怖症」に近いものだった気がする。とはいえ、3歳より前に何かトラウマになるような経験があるわけでもないようだった。

なぜか拭いきれない怖れ

高校を卒業してからは宗教関連で何かを強制されるようなことは減り、身近に宗教に近しい人もいなかったため、その怖れをあからさまに感じるような機会は少なくなった。

旅行などで何らかの宗教に触れることがあったとしても、歴史的な側面に着目するようにして「文化を醸成するための重要なパーツ」と認識し、自分と対象に一線を引き、割りきって向き合うようにしていたように思う。

素晴らしい音楽や美術も、宗教というバックグラウンドがあったからこそ生まれているものだし、社会人であればグローバルな地政学を理解するために宗教の知識もある程度は必要になる。つまり「宗教に理解を示すのも大人の教養ですよね」と、できるだけ客観的に、クールに構えるようにしていたのだ。好奇心から南インドのアシュラムにも出かけたことがある。職業柄(雑誌編集者)もあって、何事も取材のような気持ちでいられていたのかもしれない。

趣味で滝をめぐるようになってからは、滝と信仰のつながりにも関心を持ちはじめ、「滝文化」としてそのこと自体はライトに楽しむようになった。地域の固有文化を理解したいという意味で、土地の宗教行事に参加することも多かった(滝行はしない主義だが、文化として触れるのは興味深かった)。

でもそれとは別で、現実社会で何らかの宗教を信仰をしている方たちに対峙するときには、常にやや緊張感を抱いていた気がする。

日本の葬式仏教的なものやクリスマスなどの形骸化した信仰についてはさほど気にならないのに、いわゆる「敬虔」な、本気で何かの宗教を信仰しているらしい方に相対すると、どうしても戸惑ってしまう。抑えていた恐怖症がほんのりと疼いてくるというか… これは、つい数年前まで、そうだった。

その方がどんなに素敵な方だとわかっていても、見えないところで決定的にわかり合えない深い川が流れているような感覚になり、少しだけ悲しかった。どうか自分の顔に変な曇りが出てしまっていませんように、傷つけてしまいませんように、と願っていた。

なぜか私の中に、拭いきれない恐怖がある。どうにかしたいとは思ってはいたものの…しかし、これといった理由がわからない。

それは、意外な手段で解消していくことになる。

過去生(前世)の癒しだ。

前回書いたのはインナーチャイルドの癒しのこと。この問題は私にとってはものすごく根深いようで、幼少期の記憶を振り返ることでは解決できなかった。そんなわけで、さらに過去生まで追いかけることになった。

過去世の宗教者たちを癒す

ここ数年でスピリチュアルの学びを進める過程において、私は「自分や他者の過去世を見る」というスキルを身につけることができていた(過去世のことについては、また別の機会にも書いていきたい)。

*追記* 書きました! こちら ↓

その練習をする過程でも自分の過去世のうちのいくつかを知ったが、それによると私の魂は宗教者として生きていた回数がかなり多かったということがわかったのだ。

ヨーロッパで修道士だった時もあるし、中国のお坊さんだった時もあるし、ネイティブアメリカンのシャーマンだった時もある。

そういう人生の時は、だいたい決まって最終的にはひとりで山にこもってしまっている。人間そのものが嫌になった、という感じ。その理由の多くが宗教的なものにあったらしい。私の過去世での宗教者たちは、みんな真面目すぎたがゆえに、宗教が包含してしまう負の側面(宗教に関連してあぶり出される人間の弱い面)に耐えられなかったのかもしれない。

人間そのものが嫌になる、というのは前回書いた坐禅修行の時にも浮かび上がってきた感覚だった。

ともあれ、そういう過去世が多いために、その記憶がもはや「恐怖症」レベルに魂に染み込んでしまっていたようだった。水が怖い、高いところが怖い、などの恐怖症も、よく過去世に原因があると言われている。

過去世は思い出してあげるだけでも、癒しに近づいていく

どうして私の過去世の人々が傷ついていたのか。そのわけを当時の感情込みでありありと感じることができたからだ(そのときは、いつも浄化の涙が出ていた)。彼らの感じた痛みに「そうだったんだ、つらかったね」と寄り添い、「それもまた、ひとつの学びだったのだ」と俯瞰的な視点で気づく。次第に、傷が少しずつ回復していく感覚があった。

そうしているうちに、今世で私が長年ずっと反射的に感じてきた宗教への怖れについてもやわらいできていることに気づいた。以来、宗教に帰依している方々に対しての微妙な違和感も感じることもなくなっていったように思う。これは、かなりホッとした。

「あなた自身の宗教をつくれ」

結局、宗教に対しての恐怖を手放すことができたのは「過去世の癒し」のおかげだったわけだが…

その少し前は、自力でどうにかできないものかと、何かに追い立てられるように宗教についての研究に没頭していた時期がある。「人間にとって宗教とはどんな意味があるのか」「日本人にとって宗教とは何なのか」「それぞれの宗教はどのような成り立ちでどんな定義を前提と置いているのか」

一人でそんな問いばかりと向き合っていた。2020年くらいのことだった。おそらくこの時はコロナ禍であまり外出もできず、会社も辞めていたので暇があったのだろう。

もしかすると、私の過去世の人たちもそうやって山の中で一人過ごしていたことがあるのかもしれない。

ただ、この研究を続けたとしても、先が見えない気もしていた。

心理学や宗教学、さまざまな本を読み漁っていたのだが、なかなかスッキリした気づきには至らずに、かえって膨大な情報量に混乱し、徒労感が積み上がっていく。これはもしかして遠回りではないだろうか、というような予感もあった(とはいえ、この時に出会った知識も知っておいてよかったことばかりなので、振り返ってこの時の学びは無駄ではなかったとも思う)。

そんなとき、友人と京都の鞍馬山に出かけたことがあった。神社仏閣めぐりをしていると、確かにパワー自体は強く感じるところが多かった。しかし体系としての宗教に思いを巡らせてみると、なんだか霧がかかり迷路に迷い込んでしまうように感じられていた。

自分でもそこにモヤモヤとしつつ旅をしていたら、ふとした瞬間に、一つのメッセージが送られてきたのだった(おそらく高次元の存在から、ホテルのトイレの中というタイミングで…)。

「あなた自身の宗教をつくれ」

言葉としてはシンプルだが、当時の私にとっては、まさに天啓という感じだった。それは、既存の宗教を研究するのではなく、自分の内面と向き合っていきなさいよ、という意味に受け取ることができた。間違っても「宗教団体を主宰しなさい」ということではないはずだ。

私には、この方法が合っているのかもしれない。過去に誰かが出した真理を求めながら疲弊するよりは、自分なりの納得を探求していった方がおそらく健やかだ。これまでの紆余曲折が、スッキリと強い一筋の光にまとまって道を示し出したような、そんなイメージが湧いてきた。

私にとって一番信じられるものは、私の中にすでにあるのだということ。そこと向き合うのに、師も仲間も経典も、本来は必要ない。

かつて、あるヒーラーさんから言われていたことが、やっとここにきて腹落ちしてきた感じだった。

絢子さんが「私がわかっている」ということを、どれだけ自分がそれを受け入れて、どれだけそれを周りに言えるか、それに従った行動をとるか、それが重要なんです。

「あなた自身の宗教をつくれ」

この言葉は、いまも私の深い部分を支えてくれている。宗教を「目に見えないものとどう向き合うか」と広義に捉えれば、それは私にとって生きる意味に直結しているからだ。「サトルフロウ」という個人事業の屋号もそういうところから名付けたし、これからやっていきたい仕事についても、こうしてnoteを書けていることも、この気づきのおかげなのだったと思う。

私は私が信じるものと、一人ゆっくりと向き合っていきたい。

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宗教に対する恐怖心が拭えたいまは、信仰の地のパワーも純粋に受けとることができている

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