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回復は怖い|これまで出来なかったことと直面するから

回復していない人は回復することが怖いです。一方で回復した人は、回復後の自分に自信があります。だから回復前に怯えていたことも、なんの支障もなく受け入れることができるでしょう。これが今回の結論です。

ソレア質問箱にいただいた質問です▽

回復することが怖いです。
心の問題で出来なかったことを、最初から諦めたことと直面する気がして。
結婚、子供を持つこと、好きな仕事、など。

ときどき朝、目覚めた時「これから確実に子供のいない人生で年をとっていくんだ…」と思って恐くなります。

せめて社会に居場所があれば良かったけど、誰でもできる仕事すらまともに続かなかった人生です。友人もいません。

楽になりたい、抑うつ感をどうにかしたい、寝たきりのように生きる人生を改善したい…と思うけど、治って普通の人のようになったら「普通の人が当たり前に持ってるものを自分は持ってない」と感じながら、その後の人生を生きるのが恐いです。

ソレア質問箱より

回復することが怖いという人へのメッセージがあるとしたら、

  • まず回復してみましょう☺

ということですね。信頼のおけるカウンセラーがあなたを回復へ、そして回復後のあなたへ道を示してくれるでしょう。カウンセラーはその羅針盤を持っていますが、そこを歩くのはあなた自身です。

カウンセラーは車椅子を押すようにあなたを導くわけではありません。しかし、道に迷わないように星の位置は示すことができます。そしてそこへたどり着こうと歩くのはあなたです。そしてもう1つ、

  • 回復するとは「普通の人になる」ということです。

普通というのは、何かを持っている、何かをもっていないという基準で推しはかれるものではありません。基準があるとしたら、「自由に選択できる」その力が身についてきたら、普通になったということです。

■「普通がいい」ことについて

普通の人になるのが怖いというのは次の2種類あるでしょう。この2つはどちらが欠けてもいけません。「普通」というのは、この2つを同時に含んでいるものなのです。

  • ➊普通になって、みんなと「同じ」になるのが怖い→みんなとは違っていたい。

  • ➋普通になって、みんなと「違っている」のが怖い→みんなと同じでいたい。

質問者さんの場合は➋のほうですね。幼少期の頃は違っている自分を肯定できていた(つまり➊です)のに、イヤイヤ期を過ぎて学童期に入る幼稚園の頃から、他人と同じものを持ちたがる傾向があります。

これは➋の「同じでいたい」という気持ちなので、健全です。同じようなランドセル、同じような筆箱、同じような弁当箱。なぜ同じものを持ちたがるのか?それはこの「同じでいたい」と気持ちが小学生のギャングエイジ(仲間意識で結ばれた集団)に発展していくからです。友だちや親友もこの「同じでいたい」気持ちが背景にあります。

しかしこの➋「同じでいたい」を成就させるためには、➊「違っていること」が十分に満たされることが必要です。この➊「みんなと違っている」ということは、母性と父性によってしっかりと支持された体験があることによって強化されます。

  • ➊「違っている」→➋「同じである」

この順番で自己肯定感や自信がアップしていきます。同じでないことに恐怖を覚えている質問者さんのような方は、➊が十分に足りていないともいえます。➊が足りないのは、健全な自己愛が育っていないことを意味します。

つまり母性や父性によって絶対的に無条件の承認を受けたこと経験が希薄である可能性があります。

以上は、「普通」というものを認めていく作業の話ですが、これとは真逆を取り扱ったのように思える、「普通がいい」という病(泉谷閑示)という本があります。

この本は現代人の「普通信仰」にメスを入れた良書です。ニーチェなどを引用しつつ、普通を目指すのではなく孤高を歩こう、そんなメッセージが伝わってきます。若い人たちには奮い立たせるものがあるでしょう。

普通へ向かうこと、それとは遠ざかること。この2つは違うものなのでしょうか。それは光と影という視点からみると、その2つが補完しあっていることに気がつきます。

■光と影は一対のもの~畏れということ

ものごとには2つの側面があります。裏もあれば表もある。表だけしか見えていないと裏の良さは理解できません。回復というのは、この表と裏の両面を見られるようになることです。ですから自分の裏が見えてもへっちゃらになります☺

光だけを見ていてもそれは薄っぺらな理解に過ぎません。結婚している、子どもがいる、好きな仕事をしている。これらは光として映るかもしれませんが、これは2次元の理解です。深みがないのです。

ここに影が登場してくると、3次元の深い理解につながっていくでしょう。結婚はしていないけれど、私のことをよく分かっている友だちがいる、などは3次元の理解につながります。そうやって3次元で理解するので、その陰影によって見えていなかったものまで見えることになります。そのような畏れ(おそれ)を感じたりはするでしょう。

つまり怖れではなく畏れなのです。畏怖ですね。偉大な、人智を越えたものに対して抱く畏れです。

ここで太極図の画像を張っておきます。これが両面を見るということです。

太極図-モノゴトの両面を見るということ
  • シンプルに言えば、光と影を活かす。

これができるようになれば回復です。ですから、回復については何も恐れることはありません。

おそらくあなたは回復することが恐いのではなく、もっと何か別なものが分かってしまうことが恐いのではないでしょうか。

ほんとうに恐いものが分かれば、恐さも半減するでしょう。同時に畏れが出てくるのです。

■普通の人になるために

人に認められたいという思いが減ると、自信が出てきます。なぜなら、人の目が気にならなくなって、人より劣っているという実感が減るからです。自分はフツーの人、「ただの人」と思えると、人と比べなくていいと思えるようになって安定し、安心感が増大します。

  • 自信がない→他の人と同じ

このように思考がシフトします。

このシフトによって頑張って目立つ必要もなくなり、自分を変える必要もなくなり、過剰な自己顕示欲も減少していきます。何者にならなくてもいいし、別に世界へ出ていく必要もなく、あなたの自然体で生きられますように☺

■ただの人は心地よい

普通の人とは「唯(ただ)の人」です。来年の書初めは「唯の人」はどうでしょう(笑)。

人よりズレたものを目指そうとしなければ、軽やかに生きている自分を発見するでしょう。自分に過剰な期待をしなくなります。

ただの人は心地よいです。いつもニコニコして、好きなように生きて、特別に何もしない。他人に優位性を示すこともなく、家でゴロゴロと本を読んで、ご飯を作って、昼寝して過ごす。出世する気も更々ありません。

自分が心地よく生きることが信条なので、変な劣等感がありません。

■雨にも負けず風にも負けず

理想は宮澤賢治の詩に書かれています。ここで描かれるデクノボーと呼ばれている人が「唯の人」です。

雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい

雨ニモマケズ(宮澤賢治, 1931)

■他の助けを求めるのもいいでしょう

あなたが愛着の問題を抱えている場合は、自分の物語を十分に話せる臨床心理士などの専門家に相談するとよいでしょう。もし、いまのカウンセラーがいまいちと感じるのなら、別のカウンセラーを探しましょう。あなたにとって良いカウンセラーはあなたの一生の財産になります。あなたのカウンセリングがうまくいきますように。

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