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スケッチ

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仙台でカメラマンを夢見る男性、北多川悠(キタガワユウ)は彼女の江美と二人暮らしをしている。 ある日原因不明の病で北多川は視力を失う。 彼が辿る運命とは。 とある楽曲をベースに紡…
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#優しさ

スケッチ⑮

「ーーそういうわけで、俺は流浪のギタリストになったわけ」
西野は、その一言をもってバンドメンバーに向けた自分史の説明を終えた。
しゃべりすぎて口が乾いたのだろう。
ほとんど語り終えるのと同時に横からぐびぐびと喉を鳴らす音が耳に届く。
会話に隙が生まれ、西野に習うように俺も手元のジンジャーエールに口をつけた。

営業後のVIVA OLAの店内は冷蔵機や空調の駆動音しか聴こえてこない。
老モーターの微

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スケッチ⑦

入り口から一番離れたバーカウンターの席に腰をかけ、グラスに注がれたジンジャーエールに口をつける。乾いた喉へ強烈な生姜の香りを纏った波が気泡と共にぶつかってきて俺は思わず瞼を閉じる。パチパチと弾ける泡が鼻先を湿らせた。本当なら美味さ故に込み上げてくる雄叫びをここで一声あげたいものだが、ダムを塞き止める様に俺はその思案を口に抑え込む。ここは美味い時に勢いで雄叫びをあげるような店じゃない。
黙ってグラス

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スケッチ⑥

スケッチ⑥

修平くんに渡されたお金をタクシーの運転手に支払うと、降り止まない雨の中市内に佇む某アパートの前に私は降り立った。
自分の住む中心地から少し外れた場所にある目の前のアパートは、近隣の木造の民家と並ぶと幾分か近代的に見えるデザインだった。たぶん持ち主が捗々しくない入居状況を改善する為に、外装部分のみリフォームをしたのだろう。少し浮ついた印象が私には際立って見えた。
改めて修平君に渡されたメモを見る。女

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スケッチ⑤

スケッチ⑤

冷たいフローリングに腰を降ろし、神谷に渡された雑巾の様に皺くちゃなリュックの中身を漁る。俺は指先に感じるなだらかな感触から、それが何なのかを理解した。
中学時代、いや、それより少し前に母親に与えられたポータブルCDプレイヤーだ。
黒一色で光沢のある見た目は異世界から転送されてきた未知の乗り物みたいな印象だった事を覚えている。
もう自分の目では見ることが叶わないそれを、俺は指先で触りながら物体の形状

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スケッチ④

スケッチ④

排他的なデザインの真っ白な空間で、私は目の前の先生の喉元を呆然と見つめていた。
隣には二枚のレントゲン写真が貼られており、全てを曝け出した肉体を青いライトが煌々と照らしている。
先生は呼吸する様な自然な口調で、悠くんの、彼の目が見えなくなったことを私に伝えた。
地下鉄の駅で突然意識を失った彼は、乗客のお婆さんの咄嗟の連絡で近隣の病院へ運び込まれた。
職場の電話でその事を知った私はタクシーに飛び乗る

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スケッチ③

スケッチ③

喫煙席のある店は絶対に予約しないと言っていたのに俺と神谷は煙たい店内で注文したビールの到着を待っていた。
「いやぁ悪い悪い。俺の知ってる店で煙草吸えない店、そういや無かったわ。」
苦笑して詫びながらも神谷は手早くポケットから取り出した煙草に火を付けた。悪びれないヤツだ。
「お前絶対そう思ってないだろ。まったく、今日は帰ったらすぐ着てるやつ洗濯しなきゃならないわ」
「あはは、すまんすまん。」
先日、

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スケッチ②

玄関脇に置かれた青空を凝縮した様な薄い花瓶には定期的に入れ替えられた花が活けられている。
この花には一日の中で感じた瑣末なストレスを、玄関で一度リセットする目的の為だと江美がいつか話していた。
市内で薬剤師として働いている江美はそんな習慣のせいか仕事先での愚痴を家の中でこぼすことは無かった。
不安を抱え重苦しい息遣いの客もいるだろう。何かの拍子に心無い言葉が自分に向けられることだってきっとあったは

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スケッチ

スケッチ

テーブルに優しくカップを置くと俺に微笑みかけた江美は昨日の洗い物の残りを片付けに台所へ戻った。
淹れてくれた暖かなコーヒーをゆっくりと飲みながら、昨夜買ってきたばかりの大判の写真集を眺める。
表紙には断崖からの海原がパノラマの様に撮影された白黒写真があり、下の方に SHUN TODO と鋭角な書体で綴られていた。
東堂瞬。もうずっとこの人の事を俺は追いかけている。今国内外を問わず様々な媒体で話題の

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