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『インセプション』の考察。主人公のトーテムはコマではない?

『インセプション』コブの本当のトーテムは、コマではない?

「嘘」の独特な取り扱いが、それを拒絶したり嫌悪したりしないという点で、ノーラン監督作品の素晴らしい特徴の1つである。

『インセプション』でも、監督は意図的に、観客に現実と非現実の間を往来させる。

観客は、作中のキャラクターたちと共に、夢の世界へと旅をする。物語・フィクション・夢……嘘へのダイブであり没入である。

クリストファー・ノーラン監督は
私の一番好きな映画監督。

ノーラン監督の独特な思考については、以前も、『MATRIX』との比較で書いたことがある。よかったらこちらも一緒にどうぞ。


現実と夢を見分ける道具として作中に登場する、トーテム。イカサマ・サイコロ、チェスの駒、ポーカー・チップなど。

上から コブ、アリアドネ、アーサー、イームス、モル

主人公コブの使用するトーテムは、回転するコマ。もともとは、亡き妻モルのトーテムだった。


『インセプション』のエンディングについて、今までに、多くの議論が交わされてきた。

その中に、コブのトーテムはコマではなく指輪であるという説がある。

彼は、夢の中では結婚指輪をしている。現実ではしていない。

このことから、指輪がコブの本来のトーテムで、妻の死後に、モルのトーテム=コマを使うようになったのではないかと。コマで二重に確認をしている?コマは、精神安定か何かのためにまわしているだけ?


問題のエンディングでコブは指輪をしていない。よって、彼は子供たちとの再会を(現実世界で)果たしたのだと。

夢ではまだ結婚指輪をしているのは、主人公が大切な人の死を受け入れられないこと・人が心の処理をしきれないことを表しているのだと思うのだが。

どうなのだろうか。もう少し追求してみよう。


ディカプリオ氏は、かつてインタビューに答え、僕も結末を知らないんだよと語った。また、あるポッドキャストで、ラストの解釈は見る人の目によるんだと言ったこともある。俳優も、自分が演じたキャラクターがどうなったのか、わからないままでいいと。わからないままがいいと。

ノーラン監督はというと、インタビューに応じた時、このように述べた。(2011年のこと)

「最後に回転するコマについて、最も重要な感情的なことは、コブがそれを見ていないということだ。彼は気にしていない。コブは子どもたちのもとに戻り、それが現実であろうと夢であろうと、それで十分なのだ」

なるほど。実に、ノーラン監督らしい見解だ。


僕の私の抱いているこの気持ちは、「ホンモノ」か。彼や彼女が「ホンモノ」だと表明する気持ちは、「ホンモノ」か。これらはとても楽しい問いだ。そして同時に、永遠に答えの出ない問いでもある。

私は個人的に、このような、輪郭のぼやけた話が好きだ。境界線のあいまいさであるとか、正誤の決められなさであるとか。そういったことに、とてもリアリティーを感じるからだ。ハッキリとした色と色の間にある、無数のグラデーション。それこそ、現実であると感じるからだ。

ウィリアム・ターナーの作品が好きだ。

産業革命以降の人間が認知する世界や自然
『雨、蒸気、速度ーーグレート・ウェスタン鉄道』
ウィリアム・ターナー 1844年

考察(考えること)は楽しいが、答えにたどり着かなくてもよい。物語に限った話でなく、人生とは、そんなものではないだろうか。ずっと途中経過のストーリー。


作中、指南役・建築家・偽造者・化学者などで構成されたチームが、ミッションに取り組む。

まるで映画の製作チームのようだ。

『インセプション』は、チーム・ワークの話でもある。

それでも、物語の本質は、主人公の旅なのだ。私たちのそれぞれの人生と同じく。

監督は『メメント』でも『インセプション』でも
主人公と自分には重なる部分があると語る。

結局、エンディングでコブが居るのは、現実か非現実かわからない。しかし、1つだけたしかなことがある。それは、「彼は彼の見たいものを見ている」ということだ。

物語の主人公は、妻を死なせてしまった自分・法から逃げ続ける自分・我が子を置き去りにした自分を許したがっている。そして、壮絶な旅を乗り越えた自分には、ハッピー・エンドがおとずれてほしいと願っている。

彼だけの願望ではない。観客の願望でもある。多くの人が、コマが倒れることの方を期待しただろう。この話における、ハッピーなエンディングとはどんなものか。主人公と一緒に2時間半の過酷な旅をした私たちは、すっかり、主人公に同調している。


ノーラン監督が『インセプション』で用意したのは、大勢が共感しやすい内容だった。過去のトラウマや罪悪感から解放されたい。努力が報われたい。……幸せになりたい。共感ランキング世界一の感情だろう。

どう意地を張っても、逆張りを試みても、人は「幸せ」になりたいだろう。私はそう思う。

数々の複雑なディテールの中心軸には、このように、いたってシンプルな感情が設置されていたのだ。

キャラクターたちの頭文字から得れるのは「夢」
眠って見る夢のことだけを指すのではない。
現実逃避の夢とその真逆の夢が両方描かれている。
「後悔を抱えて?」
「あなたの夢は私と一緒に年をとることだった」
「でも一緒に時を過ごせた」

イームス:「植え付けるのは単純で自然に育つものでないと」

コブ:「最も回復力のある寄生物はなにか。バクテリア?ウイルス?回虫?アイディアだ。感染力も強い。完全に形成され完全に理解されたアイディアは、脳に突き刺さる」

私はよく、クリストファー・ノーラン氏が私たちの心に突き刺そうとしてくれたものについて、考える。

自分の座標を確認する、トーテムというものがあるとして。それはコマでも指輪でもイカサマサイコロでもなく、自分自身の願望や熱意なのかもしれない。

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