可能なるコモンウェルス〈63〉

 入植以来の「現実的な政治経験」からタウンシップなる画期的な住民自治組織を成立せしめた歴史的事実が、アメリカ独立革命という「全く新しい政治経験」(※1)を、どれほど勇気づけ下支えするものとなっていたか、たしかに図りしえないものがあると言えるだろう。
 一方で、むしろ「そこにはいかなる支配も所有も成立してはいなかった」という、ある一側面からの認識が、このかつてなかった画期的政治経験の、その正当性を根拠づける「前提条件」として考えられているというのならば、しかしそれとは逆に、革命勃発のその時点においてでさえすでに、「アメリカの現実社会の『内部』」では、誰の目にも見える形で実際に「支配も所有も成立していたのだ」という、別の側面からの認識があるということも、やはり疑いえないところなのである。何よりジェファーソン自身が、たしかに事実として「奴隷の支配者であり、財産の所有者でもあった」わけなのだから。
 自らの「力」の及ぶ範囲における、確固とした「支配権と所有権」の維持と保持。まずもって「個人の関心が向く」こととは実際、このような事柄に尽きるものなのであり、「日常を持続させていくこととして、避けることのできない現実」だというのもたしかなところである。そんなわけで結局のところ「アメリカ国民」にしても、ジェファーソン自身が言う「時局の要請(ネセシティー・オブ・ザ・ケース)」にもとづいて、「その時代における現世的利益を、その時代において独占することを保証する制度」を、自らの意志と主体性をもって選択したのであった。そしてそれが「その時代の万人の利益を最大限保証する」ことを目的とした政治システム、すなわち「デモクラシー」として、前面に押し出されていくことになったのである。

 ところで一般に「民主制=デモクラシー」とは、「共和制に近しいもの」として考えられ、いやそればかりか、この両者があたかも「同じもの」であるかのように混同されていることさえあるのではないだろうか。しかし、実のところこの二つの政治システムが、本来的に全く異なる原理にもとづいているのだということについて、一般においては全く忘れられている。
 結論から言ってしまうと、「デモクラシー」とはむしろ「専制の派生」において成立しているものである。ただしここで注意が必要なのは、この「デモクラシーが専制の派生である」という原理自体は、「見方」として、あるいは「あり方」として、けっして「不当なこと」ではないということだ。しかし、一般にはそのように考えられていないのもたしかなところである。「デモクラシーは専制から生まれた」などと言えば、まるで「デモクラシーを冒涜している」かのように思われる。なぜなのか?それは、あたかも「専制に対する否定として、デモクラシーがある」かのように、一般には思われているからである。そこから「民主的であることの正当化」として、「共和政に対する近しさ」が強調されることになるわけなのだ。しかしむしろそのことの方が、どちらかといえば「不当なこと」になるのではないだろうか。言い方は悪いが、民主主義が共和制をいいようにダシに使おうと持ち出してきているだけ、のようにも思えてくる。
 また、そこからさらに話を戻して、「タウンシップ」についても言うならば、それは古代イオニアの「イソノミア」とは若干趣きを異にしていて、必ずしも「個人」が、その成立の原理として機能してはいなかっただろうと考えられる。むしろそこでは逆に、「何らかの集団があらかじめ前提されていた」のだ。なぜなら、そもそも「新大陸アメリカへの入植」とは何よりもまず、「そのような集団を最小単位として成立していた」のだから。逆に考えれば「新大陸に個人で入り込んだ者」というのは、おそらくほとんどいなかったことだろう。たとえいたとしても、はたしてそのような者が一体いつまで生き残れていたのか…。
 だから、そもそもは「個人で入り込んだ者」が大半であっただろう「イオニアの人々は出身地とのつながりを重視しなかった」(※2)のとは異なり、「タウンシップ」の人々はむしろ、「出身地の文化や伝統を入植地にそのまま持ち込んだ」というところが、実はかなり大きい要素だったのではないかと推察されるわけなのである。

〈つづく〉

◎引用・参照
※1 アレント「革命について」
※2 柄谷行人「哲学の起源」

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