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眉村ちあきのすべてを僕はまだ知らない

本来であれば今日は福岡DRUM Be-1で「CHIAKI MAYUMURA 2nd Tour 劇団オギャリズム」を観るはずだったのだけどコロっちゃった結果延期に。本来であればライブレポを挙げたかったけれどそれも叶わず、振替日程には行けなさそう、、けれども語りたい。メジャー2ndフルアルバム『劇団オギャリズム』についてのこと、そして映画『眉村ちあきのすべて(仮)』の事をね!


年明け1/8のリリースにして、既に2020年ベストアルバムの上位が約束された傑作『劇団オギャリズム』。昨年9月に放送されたNHK「前山田×体育のワンルーム☆ミュージック」でも曲作りのスピードに驚きの声が上がっていたが、本作も前作から8カ月足らずでのリリース。どこから飛び出すのか分からないアイデアを自分の手だけで完璧な形にするという、唯我独尊スタイルの楽曲制作は、彼女の本能が赴くままになされ、そしてこの変幻自在な13曲が産み落とされた。メロディはより洗練され、外向きな楽曲が増えた印象。


自身のあらゆる"できなさ"をチルくフロウする「DEKI☆NAI」や、リスナーを引っ張っていくショーマンシップを弾き語る「私についてこいよ」といったセルフブーストのような楽曲。亡くなった愛犬に向けたダンスポップ「スーパードッグ・レオン」、かつての恋人の家を横目に歩く感情をエイトビートに乗せた「あたかもガガ」といった自分の身近なものをテーマとする楽曲。手数は多いがどれもレペゼン自分という大前提がある。「おばあちゃんがサイドスロー」なんて奇曲でさえ、彼女の脳内から導き出された世界だ。 


繊細な心情描写を綴るネオアコ「緑のハイヒール」など、意図を持って作られたであろう巧緻なメッセージ性を携えた楽曲にもまた、売れ線という括りでまとめられない強烈な記名性がある。「夏のラーメンワルツ」ではRCサクセションの「スローバラード」をオマージュして何気ない愛の風景を叙情的に描き出し、アコギのストロークとピアノのまぶし方が美しい「チャーリー」では歌詞をレコーディング直前になって書き換えてまで、未来に生きる子どもたちに向けたメタ的な楽曲に仕上げるなど、技術面も躍進している。


終盤に収録された「顔面ファラウェイ」は出色の出来。ギターロック然とした幕開けからストレートに進行する、明らかにマスに向けて放たれた1曲。1000万回再生を目論んで作られたと歌詞からも分かるが、言葉のほとんどは実際に現場にやってくるファンに向けられた濃密な愛が滴る賛美歌である。個人的に推したいのは、独特の浮遊感を帯びた90s歌謡曲なトラックに、恋に染まる心象を明け透けに歌った「タイムスリッパー」。こういう名曲がリードでもなんでもなく急に5曲目に入ってるから本当に底が知れない。


その底知れなさで言えば、4月に全国公開となる、彼女を主演に据えた劇場映画「眉村ちあきのすべて(仮)」もとんでもなかった。2月14日に開催された「MUSIC LAB SHOWCASE」で先行上映されたものを観ることができたのだが、これがなかなかのクセモノ映画であった。元々は眉村のドキュメンタリーを、という発注を受けて進行し始めた作品だというが、彼女自身のアイデアがふんだんに盛り込まれた結果、超展開に次ぐ超展開、やれそうなことならなんでもやるという、特大のカルト映画に仕上がることになっていた。


本予告ではそのカルト部分がチラ見せされており、カメ止め的な見方をできないこともない作品ではあるため、そういう人は見ることを推奨しない予告映像である。しかし、このくらい見せたとて、この映画が到達する地点には一切及ばない。実際にあった出来事に、フィクショナルな要素を加えて作品化する手法は数あれど、そのアプローチでこのレベルのカオスに達した映画を未だかつて知らない。彼女の持つ、突飛で無茶なフラッシュアイデアが辿り着いた驚異の作劇。この映画観ても尚、すべてを知ることは出来ないと思う。だがそれでいい。そうでなくては、彼女を追う意味がなくなるからだ。


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