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地域のスポーツコミュニティを紹介します。
参加者を支えるのはボランティアスタッフ広野海岸公園parkrunは現在165回となりました。
ここまで支えてくださっているボランティアスタッフの皆様ありがとうございます。
これからも毎週回を重ねて地域のスポーツコミュニティを盛り上げて行きましょう!
昨年はprkrun Japan (事務局はオーストラリア)スポーツ庁のスポーツインライフアワード大賞も受賞して、生活の中にスポーツを身近に取り入れら
カフェレストランという選択
私は大学で海洋学部水産学科を学び卒業した。
漁師町に生まれて祖父が半農半漁だったりと海を身近に感じていたのも有り海洋学部に入ったのは漠然と海に関わる事を学ぼうと思ったからで、特に高い志があったわけでは無い。
同級生は水族館や水産関係の仕事、食品会社に就職する者が多かった。
世の中は就職氷河期、買い手市場でした。
私は当時就職に対し、どうしてもこの仕事をしたいと言う高い志があったわけでもなく。
今考
折れない心!アンプティサッカーと言う挑戦
アンプティーサッカー(切断者サッカー)と言うパラスポーツをご存じでしょうか?
生まれながらにして、手や足に先天性の障害を負った方や、人生の途中で事故等によって、手や足を切断せざるを得ない事になってしまった方々によるサッカーです。
障がい者スポーツに必要とされた専用器具を必要とせず、日常の生活やリハビリ医療目的で使用しているクラッチと呼ばれる杖で競技を行う為に、足に障がいを持つ人々にとって最も気軽
Dog SUP(ドッグサップ)への取り組み
SUP(サップ)と言うマリンスポーツをご存じでしょうか?
大きなサーフボードの上に乗ってパドルを使って水面を漕ぎ滑走するマリンスポーツです。
レース、ヨガ、釣り、サーフィンなどといろいろな楽しみ方ができるのですが、その中にご自分の愛犬と一緒にSUPを楽しめる【Dog SUP】がございます。
私はSUPのインストラクターでも有り、スクールも経営しております。
その中でドックサップのアクティビティー
よろしゅうおあがり❗️
思い出のメキシカンピラフ「よろしゅうおあがり!」
と言いながら彼はメキシカンピラフなるもの作り、私の賄いとして作ってくれた。
25〜27年前、修行時代に勤めていたカフェレストランの厨房での出来事。
彼の名前はうる覚えだが、確か「深井さん」だっと思う。
修行時代とは言え、その頃僕は既にその店の店長でした。
面接し採用したのも私であったと思うけど、そんな事は全く思い出せない。
ただ、あれから長
体を動かす!parkrun ボランティアという選択
parkrunというイベントが今日本で29ヶ所の公園で行われている。
日本に上陸してまだ3年位で、コロナ禍で緊急事態宣言やまん延防止が出たりと、キャンセル期間もあったりと、現在は感染予防のガイドラインを決めてみんなが気を遣いながら開催している状況です。
イギリス発祥のparkrun(パークラン)は世界23ヵ国2,300ヶ所以上の公園で毎週土曜日に5kmをウォーキング、ジョギング、ランニングそして
人に会いに行くと言う事・第二章
動けば変わる
飲食店経営を始めたが自分の思うようにお客さんの来店が無い。
常にお金が無いと言う呪縛に囚われる生活。
そんな中、ただお客様を待つ営業スタイルでは無く、お客様との対話を重視したい、店での主婦向けお料理教室を思いつき縁あって静岡市清水区に有る「由比漁港、桜海老を使った料理教室」を勉強の為に訪れる事になった。
車で長いバイパスを通り由比に向かう。
フロントガラスの向こうには、雪をかぶった
人に会いに行くという事・第一章
はじめに個人事業経営者としてのカフェレストランを16年間経営してきた。
その年月が長いのか、短いのかはその人の仕事への携わり方で違うだろう。私は大学を卒業してから海運貨物取扱事業を行う企業に就職して7年ほどサラリーマンとして働き、そのご転職。
(転職に至る経緯は又別に記して行こうと思う。)
28歳で飲食業界に飛び込んで14年間地方の飲食店を経営する会社を4社ほど、洋食を中心に「調理」「接客」「飲
人と人が「好き」で繋がる事で得られるもの(スポーツ編)
思いと準備地域のスポーツ共同体(コミュニティー)は作られるべくして作られる。中心となる人物の人一倍熱い思いと具体的なビジョンが必要である。
その人物の思いの熱量が人の心を動かし、具体的なプランニングを支えるビジョンが必要だ。
その想いを汲んでそこに居る一人一人が動き始める事で結束力が強いコミュニティーを形成して行く。
コミュニティーに集う人々の個々のベクトルが同じ方向に向くことで、更なる共感を呼び
僕が語るスポーツとの関わり方
球技スポーツからの始まり僕が物心ついた時き出会ったスポーツはソフトボールだった。時代は昭和1970年頃の話だ。小学生低学年の時に町内では男子はソフトボール、女子はキックボールと言う球技スポーツに否応なく関わりを持たされた。
いつから始まったかは定かでは無いが、先輩もそのまた先輩達も町内会の名の元にチームがあった。
親からは「みんなやるからあなたもやりなさい」と言われ、当然のように。
今考えれば劣