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僕が語るスポーツとの関わり方


球技スポーツからの始まり

僕が物心ついた時き出会ったスポーツはソフトボールだった。時代は昭和1970年頃の話だ。小学生低学年の時に町内では男子はソフトボール、女子はキックボールと言う球技スポーツに否応なく関わりを持たされた。
いつから始まったかは定かでは無いが、先輩もそのまた先輩達も町内会の名の元にチームがあった。
親からは「みんなやるからあなたもやりなさい」と言われ、当然のように。

今考えれば劣等感

低学年は玉拾いからだった。先輩達が大きく見えた。外野にボーっと突っ立って、先輩達が打ったボールが来たら追いかけて投げ返す。
私は幼年期、大人しく人見知りが激しく人と話すのが苦手な子でした。
只々毎週外野でボールを追いかけては投げ返していた。
そのうち同級生は内野の練習をする子がチラホラと出て来たが、僕は相変わらず外野だった。

進級して5年生になった頃、一人一人ポジションが与えられた。僕は外野でセンターかライトだったと思う。飛球を取るのが上手いからではなく、内野は上手な子で下手なのが外野だったからだ。
それでも下手なりに一生懸命にボールを追いかけて、そのうちに飛んで来るボールが怖く無くなって来た。父親も休みの日にはキャッチボールを一緒にしてくれたのを記憶している。子供心に嬉しさを感じ、暗くなるまでキャッチボールに付き合って貰った。段々と強く投げてくる父親のボールをしかりと胸の前で受け取れる様にいつの間にかなっていた。
でも相変わらず僕は外野で、同級生は内野。
今でさえ外野は守備の最終的な要で有り、イチローさんの様な花形選手もいるけど、その当時の僕は下手だから外野なんだと捻くれていたと思う。

劣等感が喜びに変わる

小学5年生のある日僕はファーストを守る様にコーチから言われた。先輩達が引退して人数的に繰り上がったからだ。
自信はなかったが、凄く誇らしく嬉しかったのを覚えてる。父親がファーストミットを買ってくれた。
メチャクチャ嬉しくてその夜は、新品の皮の匂いがするファーストミットを付けて寝た。
いつしか僕は下手なりに、練習を同級生よりもする様になった。学校から帰ると素振りの練習、夕飯を食べてから勉強もせずに疲れて帰って来たであろう父親にキャッチボールをねだった。

いつも外野でボールを追いかけていた小僧が、ファーストミットで外野ゴロをさばいた同級生からのボールを得意げに補給して、ファーストベースに向かって走ってくる走者をアウトにする喜びを感じるソフトボール少年になっていた。

六年生最後の大会では町内対抗戦に優勝して、小さな町内だが、チームメイトと一緒にパレードした事を薄っすらだが覚えてる。

町内を歩きながら、心の片隅に何か物足りなさを感じたままだった。僕は心からソフトボールを楽しめていたんだろうか?

中学生ではバレーボール

中学生になると、ソフトボールのチームメイトはみんな野球部に入った。
僕は何故か、まだ心の何処かに劣等感があったのだろうか、それとも野球では太刀打ち出来ないと思ったのかもしれない。
バレーボール部を選択した。
バレーボールの先輩達は背がスラリとしていて、中学一年坊主の僕にはとても眩しくて、カッコ良く写った。
「僕も先輩達の様になりたい」そんな思いでいたんだと思う。

オリンピックではミュンヘンで、横田や猫田選手が活躍していた。いつしか僕にとってスポーツは「あこがれ」に変わっていた。
中学三年生ではいつしか、バレーボール部の部長でキャプテンでエースアタッカーとなっていた。試合に行くと他校の女子選手から良くモテたのを恥ずかしながら記憶している。僕のチームメイトは今で言うイケメン少年が多く、試合会場では他校の女子部員に追いかけられていた。
人生最初で最後のモテ期はそこで賞味期限が切れた(笑)

僕は心の底からバレーボールを楽しめていたんだろうか?

高校生では誤魔化しは効かない

高校は私立のバレーボールでは全国大会常連に名を連ねる高校に入学した。
3年生は天皇と呼ばれ、一年は赤ちゃんと呼ばれた。
何度練習で頭を叩かれたかしれない。でも練習外では後輩思いの優しい先輩達だった。それだからこそ、続けられたんだと思う。
顧問の鬼監督は練習で、躊躇なくみんなにビンタを張っていた!
逃げると更に怒られた。
親が練習を見ていようが、それは当たり前のように行われた。今では考えられないだろうけど(笑)
文句を言う親は一人も居なくて、我々生徒も暴力とは認識していなかった。じゃあ、どう感じていたのかと言われれば答えに詰まるけど、それに耐える事が「強くなる」「他校に勝つ」事であると思っていたんだろうと思う。
試合に勝つ事が最大の喜びになっていたんだろうと思う。
今ではとんでもない事だと言われるだろうけど、本人達は本気でその様に思って学生生活を送っていたんだから仕方がない。

誤魔化しの効かない中で必死にボールに向かった高校時代。スポーツを楽しむというよりは認めてもらう為のスポーツだったんだと思う。

結局僕が三年生の時は全国大会にはあと一歩で行けなかった。
その時の鬼監督は僕たち夫婦の仲人です。


マリンスポーツとの出会い

大学に入ると、運動部には入らず帰宅部だった。通学距離が長く下宿せずに居たから、遅くまで練習するスポーツ部には入部しなかった。
とは言うものの正直のところは、高校生で燃え尽きた感じで激しい練習をするスポーツから離れたかったんだと思う。
大学2年で、マリンスポーツであるウィンドサーフィンなる物と出会う。
その当時日本でブームとなり、大学の近くの海にはウィンドサーフィンをする人達が沢山居て、海洋学部だった僕は自然と海との関わりが多くなり、マリンスポーツに憧れる様になっていた。
と言うのは表向きで、本音はかっこよくウィンドサーフィンを乗りこなして女の子のにモテたかったのだ。
青春真っ只中の単なる色ボケ大学生だった(笑)
海に通う様になったら、その当時西武百貨店がウィンドサーフィン人気でショップを作り社員でもあるインストラクターがおり、その方と知り合いになった。
肉体労働で貯めたバイト代は全てウィンドサーフィンの道具に変わっていた。
そして僕はウィンドサーフィンのインストラクターとして西武百貨店が運営するウィンドサーフィンスクールでバイトをする様になっていた。
生徒は殆どがビキニの女の子だった(色ボケ青年の幸せ時代)

そして念願かなって彼女が出来た‼️
それが今も結婚して36年間横にいる妻である...。西武百貨店のオモチャ売り場の女子社員だった。
ビンボー学生の僕を良くも相手にしてくれたと思う。

この頃からスポーツと言うものへの意識が変わって来た気がする。やらされてる感があるスポーツから、自分が心の底からやりたいと思えるスポーツへ

雪山とスキー本格的な出会い

その妻とは大学生から付き合い始め、社会人になってからあるきっかけで、スキーに行く事になった。しかもペンションにお泊まりして...。

妻はスキーを何回か経験していて、いわゆるパラレルターンができるレベル。
僕は高校の修学旅行でかじった程度で、ボーゲンもやっとこさのど素人だった。
ゲレンデに立つと足が震える程だった。2泊3日のスキー合宿さながらにリフトが動く朝からリフトが終了するギリギリまで滑って転んで練習した。
その甲斐あって、何とかボーゲンはマスター出来た。
それから暫くはスキーには行けず、社会人になって程なくしてウィンドサーフィンも辞めてしまった。

再びスキーとの再会

海運貨物取り扱い事業をする会社に就職して輸出入業務に就き一年位で結婚した。長女がお腹に出来たから(汗)
ウィンドサーフィンをしに神津島に行ったときに出来た子だ。
女の子だった。
いわゆる出来ちゃった結婚😅

2年後には次女が誕生、その頃から再びスキーに行くようになった。僕の父親は大学生の頃スキーには良く行っていたらしく、僕らがスキーに行き始めると、スキー未経験の母親と一緒にスキーを始めた。それからは毎週の様にスキーに行く様になり山梨県や長野県、群馬県のスキー場に日帰りや泊まりで行った。

いつしかお正月は毎年家族でスキー場で過ごす様にまでになっていた。
長野県の山田牧場スキー場だった。僕はそこで小学生達と一緒に初心者教室に入ってパラレルターンを覚え、そこそこの急斜面やコブを攻略出来るほどにスキー技術を習得する事が出来た。

指導者によってスポーツの楽しみ方が変わる事への気づき

その時小学生と一緒になって入校したスキースクールのインストラクターの教え方が僕には忘れられないほどに、いつも心の何処かにある。

   「スポーツは理屈無く楽しむ物」

とにかく笑いが絶えなく、小学生に混じって教えられても全く恥ずかしいと言う感覚は無く、むしろ僕が小学生になった気分だった。
それは僕が小学生の頃、チームメイトに負けじと劣等感の中で必死に覚えたソフトボールとは全く違う感覚だった。

それからスポーツはスキューバダイビングを経験し、ランニング、ノルディックウォーキング、SUPを経験した訳だが、今は僕が楽しいを心の底から味わって貰う為にスポーツと関わっている。

スポーツがくれたもの


今では飲食店のオーナーシェフの顔の他、スポーツインストラクターとして、SUP、ノルディックウォーキングなどを指導する事を仕事としている。
そこには山田牧場スキー場で小学生と一緒に学んだ、あの時の僕がいる。

僕にとっての【スポーツがくれたもの】それは

「スポーツは理屈無く楽しむ物」

と言うマインドである。
やらされてる感があるスポーツがあったからこそ、それに気づく事が出来たんだろうと思う。

小さな頃から、「憧れや」「好き」と言う事からスポーツと関わり、勝負師の世界に入って行く子供達もいる。スポーツでオリンピックを目指したり、プロの世界に入る者も大勢いる。
それはそれで、素晴らしいスポーツとの関わり方であると思う。

ただ、僕には当てはまらなかっただけだ。
みんなそれぞれにスポーツとの関わり方があって良いと思う。人それぞれいろんな物の考え方見方がある様に、それぞれにスポーツを楽しいと思える瞬間が有ると思う。

また何かの機会にダイビングや人生を変えたランニング、SUPなどの事は別の観点から書こうとと思う。

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