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武埜 山水
2023年2月24日 15:23
沙汰無きは、無事なる事なり、と宣いしは祖母なり。そう言われる通り、私は祖父母宅を訪れるのは稀になっていった。それはつまり我が郷里に近づき難いからに他ならない。あの通い慣れた街道を歩む時、或はあの感じ慣れた風を体に受ける時、著しいノスタルジーが私を包囲して、つまらぬセンチメントを喚起させるのだ。例えば私は、故郷にて何か後ろめたい事をした。そういう訳では決してない。何をするにも何も出来ぬ空虚な街に
2023年1月15日 15:31
2022年に作詩したお気に入りの作品。
2023年1月10日 21:19
二〇二二年に創りし俳句初富士や雲に紛れぬ其姿 一月二日冬空は何時の間にやら陽がのびて 一月四日街静か久方振りなる白化粧 一月六日木の枝やその身しなりし雪の後 晴れた日の残雪白き光哉晴れた日に残雪白木日陰哉 一月七日寒風が吹けば落ちたりパナマ帽冬空に浮かぶ真昼の青き月 一月十四日あの夏と変わらぬ月をただ一人あの夏と変わらず見つめる昼
2022年11月23日 18:07
#読書の秋2022 年の瀬に押し迫ってただでさへ慌ただしい日常に拍車がかかる。労働や勉学から帰るべき場所に帰って来た安堵。明日が始まるその前に今日を思い出す。そして思い出を書き記す。日記とは畢竟、その繰り返しである。進行する未来に従って積もり行く諸事。書いて記したその日々に自分たるものが存在して居たと再確認する作業。消えるだけの日々を可視化するという事に日記の最たる楽しみがあるというべきではなか
2022年10月29日 14:45
2022年11月13日 19:52
序章 流れ拙宅の近くに川がある。時として勢い急であるが平静は比較的穏やかな方であろう。幼少期よりその川は遊戯に適した場所であるため親しんでいる。今でこそ泳いだり飛び込んだりはしはしない、がそれでもその流れを眺めに行く事はしばしば。殊更に美景と感じているのではないが、とはいえ、見慣れた水の流れは私に心の平安を与えてくれる。そんな出自もあってか私は水辺をいつの間にか好む様になった。よしんば私がメ
2022年9月23日 00:42
毎日ぶらぶらそこらを散歩している僕は時としてアルバムを捲る様に昔日の日々を思い出すことによって暇を潰すことがある。その思い出のアルバムの中身は、例えば告白出来ずじまいで終わった七菜香という女性への恋慕や自分の命さへ差し出したかった沙希という女性との思い出がある。それが何だといえば何でもないのだが。兎角、人間には個人的な思い出というものは全くつきものであるし、思い出の中でのみ生きているという人間の