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うた

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気ままに書いた散文詩や、短編小説たち。 一話完結のものを集めました。気軽に読んでやってください。
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記事一覧

【掌編】サイカイ

【掌編】サイカイ

手紙には、「あなたはだれですか」と線の細い字で書かれていた。
わたしはだれだろう。

人と話さなくなってから、二千年が経った。
発音の仕方も忘れてしまった。
自分の声も、自分の容姿も、自分の名前すら忘れてしまった。忘れていたことすら忘れていたかもしれない。
ずっとこの白くて明るい部屋の中で暮らしていて、決して外には出られない。
誰かと連絡をとれるだなんて、思ったこともなかった。
でもこうして、わた

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【エッセイ】懐しい夏に

【エッセイ】懐しい夏に

ラムネの音が、夏でした。
この胸をきゅうと掴む夏の切なさは何なのでしょう。

これからお話するのは、社会人になって初めての1人旅行、出雲に行ったときのことです。
9月の出雲はまだまだ30℃を超える真夏日で、立っているだけでも全身から汗が滲んでくる暑さでした。歩いていたら言うまでもありません。

私はこの日、日御碕神社から日御碕灯台へと向かっていました。
左手には広々と海があり、浜辺に打ちよせる波の

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Monday in blue

Monday in blue

「《月曜日の博物館》?」
 最寄り駅から自宅までの寂れた道中、仕事帰りの遅い時間でもぽつりぽつりとしか電灯がない中で、その看板はまっさらで眩しく見えた。ついこの間まで工事のために白い仮囲いで覆われていたこの場所に、博物館が出来たらしい。
「どうしようかな。気になるけど……」
 目覚めるようなブルーの《月曜日の博物館》という凸文字と睨み合っていると、不意に博物館の扉が開いて中から女性が出て来た。背は

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雨彩

雨彩

「紫陽花をドライフラワーにしちゃいけないよ。そのまあるい花は、雨でできているから」
 雨傘を避けると、おじいさんがわたしを見下ろしていた。
「ドライフラワーってなに?」
 わたしが尋ねると、おじいさんは目を細めた。
「お花をミイラにしてしまうことさ、お嬢さん」
 ミイラってなに、と聞いたけれど、わたしの声は雷に打たれて流れていった。

 梅雨の頃になるといつも思い出すこの秘密の記憶は、セピア色に乾

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暗殺ティーポッド

暗殺ティーポッド

 朝、私が起きると、水色のペンキをこぼしたかのように雲一つない快晴でした。休日で晴れている日は散歩をすると決めているので、意気揚々と家を飛び出します。いつもの散歩コースにある神社では蚤の市が開かれていました。気になって立ち寄ってみると、骨董を並べている露店が目に留まりました。古い懐中時計やティーセット、宝飾品……。珍しい物はないのかしら、と雑然と置かれたアイテムの中を探していると

《 ティーポッ

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ショートショート『メメントモリ』

ショートショート『メメントモリ』

「え、嘘、お前って視えるヤツだったのか」

 ついうっかり口を滑らせた僕が悪いのは分かっているけど、よりにもよって一番バレたくない奴にバレてしまった。悪い奴ではないが、お調子者でお喋り。そんな奴。

「知らなかったなぁ……そういう第六感? みたいのがありそうには見えなかったもんだからさ。早く言ってくれよ、俺、視てもらいたい人がいてさ」

 第六感がありそうには見えないだなんて失礼だな……いや、失

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10ページの物語

10ページの物語

◇1ページわたしは、ぺーじのあるものがたりです。
あなたがぺーじをめくるたび、
わたしはとしをとります。

◇2ページわたしのじゅみょうは、10ぺーじ。
ものがたりとしては、けっしてながいじゅみょうではないようです。
けれど、
わたしにしかできないこともきっとあるのだと、
さくしゃはそういいました。

◇3ページさいきん、カタカナをおぼえました。
かんたんなかん字も、つかえるようになりました。

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深夜の散歩

深夜の散歩

「虎に変身できたことは、比較的幸せなことじゃないかしら」
と、すれ違いざまに女性がそう言ったように聞こえた。

なんだろう。聞き違いだろうか。

振り返ってみるが、先程の女性はもう、居なくなっていた。

ともあれ虎に変身ということは、きっと山月記の話をしていたんだろう。確かにカフカの「変身」なんかは虫になってしまうわけだから、それに比べれば幾分か幸せなのかもしれない。にしても虫と虎とは随分と対照的

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パレード

まだ、誰も僕を見つけてはいない。

極彩色の紙吹雪
ステキに陽気な音楽
溢れんばかりの歓声

ここが世界中のどこよりも
醜い闇を映し出す鏡であることを
僕は誰よりも知っている。

まだ、誰も僕を見つけてはいない。

キャンディをねだる子供たち
バルーンを配るピエロ
顔を赤らめた飲んだくれ達

喩え神様が読み飽きたシナリオでも
何も知らない哀れな役者は
台本通りの幸せを演じている。

まだ、誰も僕を

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夜を盗みに

何かが起こりそうな
冷たい夜の気配に誘われて目が覚める。

きっと二度と朝は来ないだろう。
これが最後の冒険になる。

深呼吸して、闇の音。
夜の街を流星の速さで疾走する。

出来損ないの私はきっと虎にはなれないだろう。
けれど、この夜を盗むことはできる。