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【エッセイ】懐しい夏に

ラムネの音が、夏でした。
この胸をきゅうと掴む夏の切なさは何なのでしょう。

これからお話するのは、社会人になって初めての1人旅行、出雲に行ったときのことです。
9月の出雲はまだまだ30℃を超える真夏日で、立っているだけでも全身から汗が滲んでくる暑さでした。歩いていたら言うまでもありません。

私はこの日、日御碕神社から日御碕灯台へと向かっていました。
左手には広々と海があり、浜辺に打ちよせる波の音が遠く聞こえ、右手には神社を囲む緑があり、短い命を謳歌する蝉の鳴き声が私の心まで震わせます。
少し進むと民宿やお土産やさんが並ぶようになり、風鈴の音がどこからともなく風の訪れを教えてくれます。
日本の夏は、切ない音で溢れています。

昭和の雰囲気が色濃く残るお土産やさんの前を通りかかると、氷水に浸けられた翠色のラムネがぷかぷかと心地よさそうに浮いているのが目に入りました。
「すみません、このラムネを1つください」
「はいよ、ありがとうね」
生ぬるい小銭と引き換えに手渡されたガラス瓶は、きゅっと冷たく感じました。
じりりと照りつける夏の日差しに向かって、私は瓶をかざしてみます。すぅーっと透き通る翠が目に鮮やかです。
親指に力を入れてラムネ玉を落とすと、夏が爽やかに溢れだしてきました。その甘いラムネの美味しいこと。
みるみる活力が湧いてきて、歩みも軽くなります。

夏を聴き、夏を味わいながら歩いていると、あっという間に灯台が見えてきました。
絵の具の青で塗ったような空へ向かい、ずんと伸びる巨大な蝋燭の如き白亜の灯台がはっと眩しくよく映えます。

灯台の中に入り、螺旋の階段をぐるりぐるりと上るたび、空になったガラス瓶からラムネ玉がカランカランと軽やかな応援をしてくれます。
「もう少し、あと少し」
外へ出ると、一陣の風が吹き抜けました。
心做しか涼しくて、ぼぅぼぅという風の音だけが聞こえてきます。

海はどこまでも穏やかで深く青く、その中心を太陽の光の道が悠々と通っていました。

私はうずくまって、この雄大な夏をずっと見つめました。

ずっとずっと、見つめていました。



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