いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP ③ part.14
みなさん、こんばんは。禧螺です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
テストも無事に終了して、現在は有料記事の発表をさっせていただいた準備に追われています。
蝶のマガジンは、今週中に実際に稼働出来そうです。
HSP記事と学問アウトプット系記事は、もう少し時間がかかりますが、自分のため、また見てくださるだろう誰かのために、よりよい記事を書いていきたいです。
自分でさえも自分がわからない、だからこそ、今の自分で自分を紐解いてみような試み
「いろいろなHSP本から感じる、いろいろなHSP」
の日です。
誰の目に触れなくとも、世界さんには必要とされている気がするので、私の思考や感情をこのまま綴っていきます。
もっと大きな視点をもって、様々なことに取り組んでいきたいものです。
それでは、参ります。
読み進めていく書籍は、
です。
「前回って、どんな話題だったっけ?」な方に向けて、前の記事を貼っておきます。
また「バックナンバーが見たいです!」な方に向けても、マガジンを貼り付けますので、好きな記事をご覧ください。
ナンバリングが続いていますが、原則1記事完結で読めるように書いていますので、よろしければご覧ください。
「HSP関連」の記事を収納しているマガジン↓
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はじめに
最初にお断りしておきます。
この記事は、「HSP」や「生きづらさ」に関連した本の、
レビューではありません。
この連載の構成は、
という
個人の主観、思考や感性に基づいて、紹介する本を、みなさんに
「感じたよ」「学んだよ」「ここの部分をいかしたいと思うよ」
という「表現」を、共有させていただく記事です。
ここで書かれたことだけを鵜呑みにせず、少しでも、自分の中で、
何か「ひっかかった」・「気になって仕方ない」
と感じられた時は、
ご自身で、その書籍をご覧いただくことを、強くおすすめします。
ですので、
という方は、申し訳ないですが、
・他のクリエイター様によるレビュー記事や、レビューサイト
・出版社のホームページ
で、お探しください。
以上の点をご検討いただいた上で、ご覧くださいますよう、
よろしくお願いいたします。
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【感想:第4章 「敏感な自分」とうまく付き合うには (2) 鈍感な世界に生きる敏感な人たち】
愛情とは、人からもらえるものであって、自分が自分にあげるなんてことは、してはいけないと思っていた。
自分自身に愛情、いや「すごい」とか「頑張ったね」なんて声をかけると、たちまち「ナルシスト」と言われる。
「頑張ったどうかは見ていた他の人が決めるものであって、自分でそんなことを言ってはいけない」と、幼い時に聴いたことがある。
内なる私は、この言葉をまだしっかりと覚えていて、その通りにしようと動く時がある。
このことを信じ過ぎた結果、頑張れない自分に酷く絶望して、死にかけたというのに。
きっと、人間の体感としては、ある程度時間をかけて言ってきていると思われるけれど、もっと大きな視点でみると、その語りはまだまだ浅いし、期間が短いのだと思う。
自分自身に愛情をかけることは、自分が自分でいるためには当たり前のことだし、なくてはならないものだ。
ただ残念なことに、社会や世間では、言葉としてはそう語りかけるのに、実態は全然違うことがある。
そうしたことを、はやりや流行のものとして、捉えて欲しくない。
人の命に関わることだ。
それなのに、今日もどこかの誰かの命は断たれているのか。
そう思うと目を背けたくなる。
自分自身に愛情をむけることは、自分なりに言い換えると、自分の見たくない自分も見つめることだと思う。
暴飲暴食な自分。
疲れやすくていつもくよくよする自分。
人に合わせることを辞められない自分。
愚痴を吐いてしまう自分。
すぐに「死にたい」「消えたい」を言ってしまう自分。
こうしたことを「認知の歪み」と捉えて、社会生活に馴染めるように改善していく方法もあるけれど、私はそれができなかった。
できなかったというよりは、したくなかった。
「歪み」も私。
愛すべき私。
今日を真剣に生きている自分を、端からの一方的な指摘で「歪んでいる」と言われるのは、まっぴらごめんだ。
そんな「歪んだ愛情」を、人から受け取って流す技術を身に着けないといけないならば、私は一人の時間が長くなっても、お互いが自分自身への愛情を認め、見守る関係になれる人を探す。
それが私流の「自分を守ること」だから。
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【学んだこと】
最近のSNSは、目を覆いたくなるような情報が容赦なく流れてきますね。
話題タグを「非表示にする」といった機能ができてくれないのだろうかと強く思うのですが、そのあたりは世論操作とかお金の流れが絡んでくるのでしょうか。
突き放した考え方になるかもしれないですが、社会や世間のいう「保障」よりも、親しい誰かの一言や、ちょっとした差し入れの方が、私には、よほどこころに優しいです。
今回紹介するのは一つの話題ですが、その一つが重要なことであり、HSPでなくても大事なことだとですので、この一記事に使おうと思いました。
それは
です。
サン博士も仰っていますが、HSP気質の強い傾向の方は、自分の感覚が一般とは違うことを他から指摘されると、自分自身もそのことを咎める方が多いです。
かく言う私も、自責が激しい傾向があるので、特にこのnote更新を始めてからは、意識して自分に愛情を向けることをしています。
言った相手はそんなに深く考えず、一般常識として発言された意図があるのかもしれません。
悪意も一切なく、ただただ思ったことを言われただけなのかもしれません。
ですが、その悪意ない一言で、そんなことをしなくてもいいのに「自分が知っていなかったのが悪いんだ、ダメなんだ」と、自分自身を追い詰めてしまう状況があるのも事実です。
こういった状況展開もあるので、誰かと話すこと、会話をすること、ひいては「誰かとやりとりすること」は、本当に難しいことだと思うのです。
私自身を例に挙げますが、集団生活の中で指摘されたこと・批評されたことは「全て自分が無知だったのが悪い・みんなと同じように出来なかったのが悪い」と思っていました。
そして何度も自分自身をいじめ抜き、罵り、自分は無価値で人に利用されて搾取されて、やっと存在価値が認められるものなのだと、長い時間をかけて刷り込んできたのです。
ある意味で、物理的に命を失うよりも、恐ろしいことかもしれません。
こうした思い込みを消していくのに、サン博士は、次の方法を提示してくださっています。
人にかける愛情を自分自身にかけることに、照れや抵抗を感じる方がいると思われます。
特に日本人は、周囲との和を大切にする傾向があるので「和を大切にする」の解釈を取り違えして、
自分の気持ちや考えを犠牲にすることを前提とした「自分自身に愛情をかけている」方が多いのではないでしょうか。
「和」が成り立つのは、自分が自分であるからであって、少しでも「違うんだけどな」と感じる時は、その環境が和に見えているだけか、あるいは和と見えるように必死に違うと見えてしまう部分を隠そうとしているのかもしれません。
長年の自責は、一朝一夕でどうにかなる問題ではありません。
そのクセを違う方向に持っていくのには、時間がかかります。
それでも、自分が自分自身に愛情をかけて、癒し励ましていけることは、どんなにお金をかけても、人脈があっても手に入らない、自分だけのものです。
それを以てして、世界を生きいくことになるので、自分自身へ愛情をあげることが、話題にもならないくらいに普遍的なことになればいいのに、と思います。
💟
【自分でどのようにいかすか】
そもそも「愛情」に関して、メディアでかなりイメージが形作られていることもあってか、口にすることもはばかられる環境があります。
また伝え方も、ラブストーリーやファミリーストーリーといった「自分以外の誰か」が絡んでくるものによって伝えられることが多いです。
それが悪いとは思いません。
ただ一方で「セルフラブ」を紹介してくれる何かが、もう少し増えてくれてもいいのではないかとは思います。
自分への愛情深い手紙を書くことを勧められていましたが、私の場合は手紙ではなく、手書きできるノートがこれにあたりました。
用途は、文字を書くことはもちろん、絵を書いたり、シールを貼ったり、コラージュを作ってみたりと、
自分が「こんな表現したい!」という表現をノートにかく……いや
「こんな表現したいんだ!」ノートを作っていました。
特にnoteを始めて間もない頃は、SNS上でのお知り合いもいませんでしたし、実生活でも人間関係を手放した時だったので、無我夢中になって、ノートを作成していました。
自分の内なる声、口に出来なかった声、表に出ることのなかった表現を、その当時で詰め込めるだけ詰め込んだものです。
書き終わったものは、自分の本棚に保管しています。
あの時の言葉が、今の私を助けてくれることがあるので、そういった意味で、
過去の私が今の私に向けて愛情を注いでくれているのかもしれません。
これをみなさんに紹介するために書いたのですが、私自身、このノートを近頃書いていなかったので、なんだかあのノートが恋しくなってきました。
私もHSP研究や創作を深めるためにも、ノートつくりを、再会してみようかと思います。
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みなさんからのスキを、表明していただけることに感謝です。
この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!
それでは、今日はここまでです。
みなさん、よき休夜の時間をお過ごしください。
クリエイターの活動費として、使わせていただきます。 また、日本を中心とした、伝統文化を守り後世にも残して参りたいですので、その保護活動費としても使わせていただきます。