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ソ連旅

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた

かつて、ソ連という世界一面積の広い国がありました。ザンネンながら30年前の1991年にこの世から消えてなくなりました。ソ連の遺産はだいたいロシアが受け継いだのですが、たとえばクリミア半島をめぐってウクライナと争いがおきたりしています。

ゴルバチョフさんがソ連共産党のトップになってから、ソ連は変わりました。東西冷戦が終わり、世界も変わりました。1989年にベルリンの壁が崩壊してから、ワクワクが止ま

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ソ連が消滅して30年がたちました。

ソ連が消滅して30年がたちました。

1991年12月25日。私はこたつに座ってミカンを食べながら、ソビエト連邦大統領を辞任することを告げるゴルバチョフさんの姿を、もの悲しい気持ちで見つめていました。これをもって、ソ連の赤い旗がクレムリンから降ろされ、そしてロシア共和国の三色旗が翻ったんでした。翌日、最高会議でソ連邦の消滅が確認されました。

そして2021年12月25日。もう一度あの日に出会うため、noteで振り返ってみます。

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グルジアは美味しい?【ソ連最後の夏⑧】

グルジアは美味しい?【ソ連最後の夏⑧】

ソ連最後の夏に訪れたグルジア(ジョージア)は、社会主義的なシステムと独創的な民族の文化が入り混じった国でした。そこで食べたり飲んだりした話です。

面白い味ですね食レポをする人に聞いたのですが、出された料理が口に合わない場合「面白い味ですね」と感想を言うんだそうです。私にとって人生初のグルジア料理は、「面白い味」でした。とにかく予想した味と異なるのです。

ポタージュかな?と思った白いシチューっぽ

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グルジアはすでにジョージアだった 【ソ連最後の夏⑦】

グルジアはすでにジョージアだった 【ソ連最後の夏⑦】

ソ連の旅は、中央アジアから今度はグルジア共和国に飛びます。ソ連の「連邦」という土台がいよいよ怪しくなったのが、ここグルジアから。民族のいきおいが増すグルジア共和国の首都、トビリシを訪れました。

Welcome to Georgia!空港の税関をくぐると「ジョージアへようこそ!」と英語の横断幕が出迎えてくれました。ジョージア?アメリカのジョージア州?とクビをひねったんでした。当時は冷戦で、ソ連はア

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた②ハバロフスク

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた②ハバロフスク

1991年の夏。ロシア極東のハバロフスクから私たちの「素晴らしきソ連旅行」は始まりました。新潟から飛行機でたったの2時間。そこで、社会主義国家の洗礼を受けることになるのです。

ロシアの「夜明け」ホテルファーストコンタクトは、小さな男の子。空港を出てすぐに駆け寄ってきました。「マイ・プレゼント」と言って、手のひらに乗せているのは、偉大なる指導者レーニンのバッチ。マッチ売りならぬバッチ売りの少年です

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた③ハバロフスク

観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた③ハバロフスク

旧ソ連時代、飛行機は広い国内を旅する「足」でした。国内のネットワークを一手に引き受けていたのが国営のアエロフロート。パイロットは軍出身で航空技術は超一流と評判です。しかし…ライバルのいない国営企業の悪いクセが出た模様です。

飛行機が飛びません18時発タシケント行きの便に乗るため、私たちはハバロフスクの空港にいました。時間を過ぎてもチェックインをする様子がないので、のんびりおしゃべりをしていました

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観光旅行をしていたら、ソ連がこわれた④タシケント

ウズベキスタンの首都タシケント。「石の町」という意味で、かつてシルクロード貿易の中継都市でした。ソ連時代は、連邦の中でも4番目に大きな都市で、地下鉄も建設されるほどです。夏は気温が40度にもなるというので、到着前は暑さにおびえていましたが、からっと晴れて、朝は気持ちがいいくらいでした。

タシケントのバザール古くから貿易の中継地だけあって、大きなバザールがあります。さらに、ソ連は都市に物資が集中し

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青の都は意外と青くない?【ソ連最後の夏⑤サマルカンド】

青の都は意外と青くない?【ソ連最後の夏⑤サマルカンド】

世界史の授業で知った憧れの「青の都」サマルカンド。チンギス・ハンに破壊されたものの、14世紀、ティムールによって再建されました。ティムールは軍事の天才で、中央アジア一帯を征服。サマルカンドを帝国の首都と定め、征服地から最高の技術と富を集めました。後継者によって都はさらに大きく青く成長しましたが、17世紀の終わりに1度衰退してしまいます。

意外と青くないネットでサマルカンドを検索すると、モスクの天

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砂の街ブハラで迷子になった【ソ連最後の旅⑥】

砂の街ブハラで迷子になった【ソ連最後の旅⑥】

サマルカンドだけでなく、ブハラというシルクロードの古い都に行けるということで、なんだか得した気分でした。ソ連という人工的な国に、イスラム文化が色濃く残る街。しかしというべきか、やはりというべきか。社会主義的な「ソ連時間」はここでも健在で、スケジュールが押しまくり、歴史的な建造物には、ほとんどたどり着けなかったというザンネンなお話。

↓のつづきです。

再び、飛行機が飛びません
ウズベキスタンの首

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ソ連最後の夏の旅⑥レニングラード

ソ連最後の夏の旅⑥レニングラード

レニングラードは革命の都。1917年の革命でロシア帝国が倒れ、ソ連が生まれました。そして1991年8月19日、私たちは、ソ連の観光旅行の途上で、まさかのクーデターに遭遇したのです。

4回目の革命?ゴルバチョフ失脚朝、バスに乗ると添乗員のキムラさんが新聞を読んでいました。プラウダ(真実)という名の真実が掲載されない新聞。私は「ゴルバチョフが逮捕でもされましたか?」と冗談を言って席につき、しばらくし

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ソ連最後の夏の旅⑦レニングラード

ソ連最後の夏の旅⑦レニングラード

ゴルバチョフが拘禁され、国家非常事態委員会によるクーデターが起こった、2日目。ソ連第2の都市レニングラードでは、「非常事態令」が出されました。もうなんか世界史的にすごいことが起っている中、私たちはワクワクしながらレニングラードの町を探検しました。

キャビア売りのトオルホテルに付属したレストランで朝食を取っていると、顔なじみになったウェイターがやってきました。あだ名はトオル。俳優の渡辺徹に似た風貌

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ソ連最後の夏の旅⑧レニングラード

ソ連最後の夏の旅⑧レニングラード

まさか、まさかが続いたレニングラードでしたが、事態は急転します。ただの観光旅行のはずが、どうしてこうなった。

外務省より「帰国せよ」朝食の席で。添乗員のキムラさんが緊張した顔でニュースを伝えました。
「昨晩、モスクワで市民が戦車にひかれ、殺されるという事件がありました。そして日本の外務省より通達が出されました。旅行者は、できるだけ早く帰国しろというものです」

予定ではその晩、夜行列車でモスクワ

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ソ連最後の夏の旅⑨モスクワ

ソ連最後の夏の旅⑨モスクワ

とうとうモスクワです。クーデター政権が倒れた翌日、赤の広場は大騒ぎでした。

夜行列車で祝勝会外務省から「帰国せよ」と言われたものの、エリツィンら「民主派」がヤナーエフら守旧派に勝利し、晴れてモスクワへ行けることになりました。ウラー。というわけで、夜行列車のコンパートメントで祝勝会。グルジアで買っていたワインが、ポン、ポンと開けられます。それ、お土産に買っていたやつ?いーの、いーのと振る舞われ、さ

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ソ連最後の夏の旅⑩モスクワ

ソ連最後の夏の旅⑩モスクワ

赤の広場での勝利集会を目の当たりにした晩、「さあ、今夜も赤の広場に行くか」とアップを始めましたが、通訳のターニャさんにストップをかけられました。街に人があふれている、まだ何かが起こりそうだから、と。そしてやっぱり深夜に事件が起こりました。まずは、その翌朝の話。

万国の労働者よ、団結せよ!そして…さわやかな朝です。私は昨晩「何か」があったかと、赤の広場の周辺をぶらぶら歩きました。ボリショイ劇場前に

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