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2005年の生活像

※ 以下の文章は、2000年~2001年に執筆したものです。

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☆ 2005年の生活像 ☆

★『推薦システム』の確立
日本が最先端を担う携帯電話・情報家電・カーナビ・ゲーム機・自家用ロボット等がネットワーク化される「ユビキタス・ネットワーク」。
それに伴って発展が見込まれる「インテリジェント・エージェント」。
情報の海をナビゲートしてくれる編集者が重要となる。
ネットワークが発達して情報が増えるほど、情報を選んだり捨てたりする人やソフトの価値が高まるであろう。
まさにリアル社会での「DJ」のような情報の抽出・編集を行なうソフトである。
2005年には、あらゆる情報に対する「推薦システム」が確立するであろう。

★『ハッピー・テクノロジー』への発展
単に効率的な便利さだけでなく、「ハッピー」にさせてくれるテクノロジーの発展。
この分野には、サイエンティストだけでなく、アーティストの存在が重要である。子供の感性も重要視されよう。
現在、「バイオ・アート」が注目されていて面白いが、今後は、その研究にはクリエイティビティがあるか?アーティスティックであるか?という視点が重要となろう。
もちろん、それはハッピーなのか?という視点が最重要である。
2005年には、アーティストとサイエンティストは言葉の意味として同類項となるであろう。

★『ふれあい』の追求
今までの視覚・聴覚だけに留まらず、五感に与える刺激全てがデジタル化され、インターネットを通じて体感できる。
人間の五感である、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を通じてバーチャルリアリティが達成されるであろう。
特に味覚は困難を極めると思われるが、ゲノム解析やナノテクノロジーの発展と共に達成出来うると考えられる。
又、ウェアラブルコンピュータの発展もこれに寄与すると考えられる。
2005年には、少なくとも視覚・聴覚は基より、触覚は達成され、嗅覚・味覚に関しては、出来うる可能性は見込まれる段階まで進むであろう。
視覚・聴覚だけでなく、インターネットを通じた真の「ふれあい」コミュニケーション形態の確立。
アナログな技術では決して達成することが出来なかった分野であり、デジタルだからこそ、インターネットだからこそ、インタラクティブだからこその分野である。
デジタルによって初めて感動を与えられる分野でもあるため、非常に期待したい。
又、人間どうしの直接的なコミュニケーションを取り戻す為には、「地域通貨」のような考え方も、2005年には、もっと検証が進み、発達していると考える。

★『美の世紀』への進化
「スピード、効率、便利さの時代」から「感性や情緒、風味や色合いの時代」へと進むであろう。
体感や第六感をもテリトリーに入り、視聴覚を補完する。
「面白い・美しい・楽しい」といった感性を刺激するコンテンツこそが素晴らしい。
当たり前の話だが、素晴らしいコンテンツこそが、対価を払うべきものである。
2005年には、21世紀が「美の世紀」だということが、理解され始めるであろう。

★『職人』『感性』そして『勘性』時代の到来
ロボット技術の発達により、家庭内は基より、仕事全般が必要最小限の人間によってまかなわれる。
能力が高い人だけが働くことが出来、そうでない人は働けない。この上ない合理化である。
しかし、言い換えれば、能力が低い人は働かなくても暮らせて、能力が高い人は働くことを強制される。どちらが幸せなのかは計り知れない。
又、家庭内に家事ロボットも普及し始め、更なる既婚率の低下が懸念される。
コンピュータが出来なくて、人間にしか出来ないことを追求する必要性が初めて本格的に問われる時代の到来である。
現代のビジネスシーンにおいても、個々人のコアコンピタンスを追求せよとの声が高いが、もっと大きなくくりで、人間にしかできないコアコンピタンスの追求である。
例えば、音楽を創造する感性、音楽をシーンに合わせてチョイスする感性、等が挙げられる。
2005年にはその重要性が今よりもっと説かれ、全世界の有識者で考え始めるであろう。
人間にしかできないコアコンピタンスの一つである「感性」(芸術性、等)や「勘性」(ビジネスセンスや判断能力、プロフェッショナルなリーダーシップ能力、等)の優れた「職人」を重んじる教育環境やそれを支持・支援する企業群と地域社会を創造する事の必要性も問われよう。ネットインフラや情報、はたまた知的財産の本来在るべき姿(共有形態)も更に検証が進むと考えられる。

★『不老不死』の可能性
ゲノム解析やナノテクノロジーの発展と共に、長寿が見込まれる事で「時間」、そして「人生」をもの価値観が変化する。
「何歳で死ぬ」というのが指定できるようになることも予想され、今までの常識にとらわれない倫理観・道徳心の確立が急務である。
2005年にはそれが現実味を帯びてくる時代であろう。

★『超高齢化社会』の到来
既婚率の低下・少子化・長寿化により、「超高齢化社会」が目の前である。お年寄りも生産活動に参加出来る社会の形成が急務である。
障害者に対する接し方も問われよう。「チャレンジド」のような働く障害者をサポートするプロジェクトも興味深い。
2005年からは、「働くお年寄り」「働く障害者」時代のスタートである。
それに伴って若者は感性の発達を急がねばならない。
「大人が子供に従う世」のスタートでもある。

★ 地球の『資源』と『環境問題』
地球の資源はあと何年で喰いつくされるのか?ゲノム解析やナノテクノロジーの発展と共にそれも解決へと近づいている。
但し、技術発展と人口増加、どちらが早いかは定かではない。これほど自然に逆らう社会は、自然からしっぺ返しを食らうのかも知れない。
2005年には、本質的な解決策が提唱されるであろう。
個人的には、結局は「誰もが何時にも環境に配慮する」というコンセンサスを形成する以外にはないと思うのだが。

★『エコノミー』と『エコロジー(社会貢献)』の融合
ビジネスに関しては、エコノミー(利益追求)とエコロジー(環境保護)の融合を達成したビジネスモデルの発展が期待されるところである。
企業が社会貢献を行なうだけでなく、企業がユーザーの社会貢献を促す仕組みを施したビジネスモデルがスタンダードとなろう。
超高齢化社会を支えるべく、税制だけないビジネス全般で社会貢献を促す仕組みの確立が急務である。
2005年には様々なモデルが具現化し、検証段階に進むであろう。

★『芸術の存在意義』
アーティスト自身も社会意義のある作品を提供し続け、また、社会や企業まして教育に至っては、アーティストや作品を尊重し保護するといったコンセンサスを形成する事が急務となろう。
芸術とはコミュニケーション手段の一つである。つまり、例えば、「音楽と言葉は同じ」だと言える。「どちらも想いを伝えるためにあるもの」なのではないだろうか?
本来想いを伝える為のツールである音楽が、単に売れる為だけのビジネスツールに成り下がってしまったが、本質を見つめ直す時期の到来である。創る側も、受ける側も。
2005年には、芸術が滅びかかっているか、人間の生活をサポートする大事なポジションを確立しているか、経済や政治の動向と共に変化するであろう。
個人的には、芸術が滅びた世の中には生きていたくない。

★『経済成長優先社会』からの脱皮
インターネットと言えど、インフラの整備が進めば、ブームが終わるのは当然である。
かつて、戦後に各国の現高齢世代が流通体系や生産体系を作り上げたのと同じ事だ。
この後は、コンテンツの検証や新たなる流通の検証が進み、必ず経済の伸びには陰りが見え、しいて言えば、経済の伸び率という事自体の必然性が問われてくるであろう。
なぜなら、もうこの上ないぐらい便利で裕福なのである。特に日本は、ほぼ万人にそれが確立している。
仮にこれから先、ほぼ万人にネットワークが確立され、情報共有が本格的に進み、全人類が本当に平等な情報を与えられ、平等な学習機会が与えられたとすれば、「情報」そのものの価値は激減し、「情報蓄積能力」ではなく、「情報処理能力」がフォーカスされていくであろう。そうなれば、それこそ経済的な格差からではない「能力の格差」が歴然と出てくる。
つまり、良く言えば「個性」、悪く言えば「能力差」が歴然と表れてくるのだ。
今後は、個々人の個性を伸ばす教育を進めるだけではなく、逆に自分の個性の無さを知る教育、「身の程を知る教育」の必然性が高まるのではないだろうか?
もちろん、誰もがチャンスを与えられる権利は持っている訳だが、「自分の個性を伸ばし、やりたい事や好きな事を見つけてそれに対して頑張り、自分にしか出来ない事をやろう!」なんていう教育は、あまりにも虚であり、理想論すぎる。
2005年には、社会の根本である教育をもう一度考え直し、「経済成長優先社会」からの脱皮をしなければ、人類の将来は暗いと言える。

★『純社会主義』の世界
もしもコンピュータが意志を持ったとしても、人間が支配されるという事はないだろう。
なぜなら、人間のように予測しずらい動きをするものとの共存は、非効率的であるからである。
そもそもコンピュータは、いかに効率的かを追求する為に設計されている為、もしも意志を持ったとすれば、まっ先に人間を殺すであろう。
コンピュータにしてみれば、人間と共存しても「いいコト」がないのだ。逆にポジティブな考え方をすれば、対人間という事をコンピュータは考えないのかもしれない。
ある意味では、コンピュータが支配するのではなく、制御するという表現の方が正しいのかもしれない。
「純社会主義」は、支配ではなく「制御」が目的だと定義する。とすると、それに一番向いているのは、コンピュータではないか?いつでも人間を殺すことができるコンピュータが、独裁的な意志を持つことなく、世の中を制御する。
もしかすると、これが一番いいのかもしれない。人間のエゴを封じ込める為には。
2005年には、これが考え方として大きな流れになろう。

★『宇宙』への挑戦
人類がはるか昔から夢見た他の星や宇宙空間での生活。
これが本当に幸せをもたらすかどうかは定かではないが、人口増加と資源の限界を考えると、これも一つの解決策になるやもしれない。
2005年ではまだかもしれないが、少なくとも宇宙旅行や宇宙空間での生活は現実味を帯びだしているであろう。
個人的には宇宙人とのコンタクトの可能性を見い出せればと希望する。

★『スタイリッシュ』な生活
上記の項目では、上辺だけではない、本質的な「人間としての生活」の変化と「社会」の変化にフォーカスした。
もっとも、特に日本人は、ニュースや情報に左右されやすい傾向が強いため、「ニュースになる出来事=生活への影響」と捉えられる。
様々な要因があったとしても、人間としては「スタイリッシュ」な生活を望みたい。
個人的には、それだけで十分幸せである。2005年には、その定義の方向性が確立するであろう。

2001年3月11日

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