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エッセー
唯我独尊は独立自尊で超人思想である

 「唯我独尊」という古い言葉がある。巷ではこれを悪い意味で捉え、「自分が世界一優れているとうぬぼれること」や「この世で自分だけが尊いという独りよがりな態度」を表す言葉として話されることが多い。こうした意味の背景には、社会内人間の個人に対する「世間」という他者のルサンチマン(怨恨、僻み)が隠れていることは明白だろう。何でも知っているような振りをしたり、教養をひけらかしたり、他者を小馬鹿にしたりする態度はたちまち嫌われるが、実際には、他者の心中も同じような「軽蔑」の神経回路はちゃんと備わっていて、内心馬鹿にしている対象はちゃんと存在し、面に出さないようにしているだけの話だ。どうやら馬鹿にされる相手は、自分の自尊心を保つためのスケープゴートと考えられる。

 だから、自分が話相手の話す内容や知識を知らなかったり、反論が出来なかったりした場合に自尊心を傷付けられ、相手の小馬鹿にしたような態度が癪に障って「唯我独尊」というワードで揶揄するわけだ。巷では、三人寄れば文殊の知恵が生まれるのは稀で、三人寄れば共通の知合いをスケープゴートにして悪口で盛り上がり、溜飲を下げるのが常だ。これも集団的カタルシス効果の一つだろう。悲しいかな、陰口はストレス解消の常套手段だ。

 しかし陰口を叩くぐらいならまだ良いが、虐めや殺し合いともなれば、人類の悲劇的な悪習ということになる。相手への軽蔑の行き付く先は、精神的に相手を奴隷にまで貶めることなのだ。小中高で起こっていることは、人間の性(さが)の縮図でもあると考えられる。日本人は昔、中国人を奴隷と見なした時期があった。僕の幼少期、進駐軍は日本人を奴隷と見なしていた。ウクライナが負ければ、ロシア人は彼らを奴隷と見なすだろう。パレスチナ人は現時点で、イスラエルの奴隷的立場かも知れない。

 日本は基本的に単一民族国家なので、仲良しクラブ的な傾向はより強くなり、出る釘を打たれる割合も多くなる(外国では下から足を引っ張るらしい)。誰でもうぬぼれる種は持っているし、それをひけらかして優越感に浸りたい意識もあるだろう。しかしそれを披瀝すると反発されることを知っていれば、鷹に習って爪を隠す。鷹は地上を俯瞰的に見ることができる。反対に、爪を隠さない奴は能のない鷹もどきである証拠だ。だからオリンピックでメダルを取ったり、何らかの業績で功績を上げれば鷹であることが明らかとなり、爪を隠す必要も無くなる。ところがそんな連中ほど、かえって爪を隠そうとする。一挙一動がマスコミに取り上げられ、失言を恐れるあまり猫のように大人しくなる。実力ある奴や高い地位にある奴が横柄な態度を取ると、「しょった奴」だと国民的バッシング(ルサンチマン)を受ける。しかしイチロー氏のような高みに登り詰めれば、そんな忖度も必要なくなるだろう。

 ところで、こんな話をしたかったわけではない。「唯我独尊」の本当の意味の話だ。お釈迦様は生まれたときに「天上天下唯我独尊」と宣ったのだという。その意味は、「天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、しかも何一つ加える必要もなく、このいのちのままに尊いということの発見である」(大谷大学)、「どんな人も尊い目的を果たすために人間に生まれてきたのだ、すべての人は平等だ」(志布志中学)と解釈されている。

 つまり、唯我独尊の意味は、ただ自分だけが尊いのではなく、すべての人間が尊い目的を持って生まれてきた、ということらしい。仏教が権力的でなく、他宗教に対して比較的寛容なのも、釈迦のこの言葉が影響しているに違いない。他人の考えを認め、異教徒も異思想も尊い存在だと思えば、諍いになることもない。これは民主主義の根本原則でもある。「平和」という言葉の前に必要なのは、「平等」という言葉だ。平等がなければ歪が生じ、そこから諍いの風が生まれ、いつまでたっても平和という無風状態にはならない。

 そうすると、出家した僧は、世俗から離れて仏教コミュニティに入り、悟りを求めて精神修業に励むばかりではいけないことになる。平和の宗教として、人間にとって「尊い目的」とは何かを万人に知らしめることは、僧一人一人の義務に違いない。しかしこの「唯我独尊」の本質は、高僧であろうが修行僧であろうが、あるいは衆人であろうが、尊い目的を果たす存在として生まれたからには、すべからく平等で、高僧は高飛車になってはならないということなのだ。それは垂直から水平への転換、ピラミッドを潰す行為と言えよう。

 当然のこと、異なる宗教や宗派でも、すべからく平等で、対立するものではない。つまり、どこぞやの宗教団体とは異なり、仏教の高僧も、さらには釈迦自身も、信者たちが平伏すような存在であるべきではないし、異なる考えの団体を非難すべきではない。なぜなら、釈迦が生まれたときに唱えたのが、「天上天下唯我独尊」なのだから。釈迦は神様のように祀り上げられるのを好まなかったし、自分の主張を押し付けなかったし、排他的でもなかったに違いない。

 これは、福沢諭吉の「独立自尊」と相通じるところがある。独立自尊は、「自他の尊厳を守り、何事も自分の判断・責任のもとに行う」ことを意味する慶応義塾の基本精神で、塾員は幼稚舎(小学校)から教え込まれる言葉だ。平たく言えば、他人に頼らず、自らの努力でもって人生を切り開いていく人間で、他人の尊厳も尊重するということは、他人を蹴落としてまで登り詰めることは良しとしない。あくまで対等のベースから、自分の才覚で自助努力をしなさいということ。つまり、業や能を研けば自ずと信望を集めるということだ。

 ところが実際には、慶応は最強の学閥と揶揄されている。企業も政党も、およそ組織はピラミッド型にできていて、その中にも派閥や学閥といった互助会のような小ピラミッドが複数できている。「閥」とは、出身が同じなどで団結・連結し、自分たち仲間の利益を図ろうとする人々の繋がりだ。そしてその多くは、小人数の(饅頭型)仲良しクラブから大所帯に発展し、取り仕切る人間が頂点に君臨するピラミッド型に変貌する。

 政党の派閥から総理が出れば、その下の連中は良いポストを得ることができる。会社の学閥や派閥から社長が出れば、その下の連中は良いポストに昇格するることができる。政党も会社も、どの「閥」に所属するかで、自分の将来は変わっていく。自民党の派閥から首相が生まれてきたように、慶応閥の色濃い企業では、先輩後輩の絆も強く、先輩が社長になれば自ずと後輩も出世が早くなる。

 福沢諭吉の父は武士だったが家柄が悪く、出世をしなかった。福沢は、「門閥(家柄)政治は親の仇でござる」とまで言い切った。彼は社会の仕来りを最も嫌った自由人だったのだ。慶応では「先生」と呼ばれる者は福沢諭吉一人で、あとの教授は「君」呼ばわりされている。その学校が最強の学閥を誇るというのは、先生の教えを無視したダブルスタンダードと言われても仕方がない。

 しかし慶応だけを責めるのは可笑しな話で、古代から現代に至るまで、世界はすべからく「閥」だとか「仲良しクラブ」で運営されているのは明らかだ。それは、いま目の前にある中国、ロシアを中心とする仲良しクラブ(閥)と、アメリカ、日本、欧州を中心とする仲良しクラブ(閥)の覇権争いを見れば分かるだろう。アメリカはダブルスタンダードと揶揄されてまでも、閥の子分であるイスラエルの暴挙に目を瞑っているくらいだから、ひょっとしたらディープステートなる世界規模の闇組織だって、あながち有り得ない話ではないかもしれない。「閥」とか「仲良しクラブ」は、パレスチナの地下トンネルの比ではなく、大なり小なり世界中に張り巡らされているのだから、地上から見えない闇部分があってもおかしくないだろう。それが人間の性(さが)というものだ。

 しかし「唯我独尊」なり「独立自尊」なり、万民は平等に「どんな人も尊い目的を果たすために生まれてきた」のだとすれば、一人一人が尊い目的のために邁進しなければならないことになる。人間の悪い性は、人間の知恵によって、まずは社会システムという外側から改変していく必要がある。それは世の中のあちこちに林立する欲得のピラミッドを平準化する地道な土木工事で、心身ともに疲れる難工事だ。この工事を完工するには、万人が「唯我独尊」なり「独立自尊」を強く意識し、強い意志を持たなければならない。それはニーチェの「超人」思想にも通じるところがあるだろう。ニーチェはまず、宗教のような大きなピラミッド構造を破壊しろと訴えた。次に、人間関係の軋轢に怯えながら、生活の保障、平安、快楽、安楽という幸福を求める一般大衆を「畜群」と揶揄した(ウィキペディア)。そして最後に、万人が自らの確立した意志でもって行動する「超人」として人生を全うしろと主張した。釈迦、福沢諭吉、ニーチェの三人の偉人は、結局同じことを言っている。「確立した意志」とは、神などに頼る他力本願ではなく、自力本願で「尊い目的」に向かっていく行動力だ。この「尊い目的」は、釈迦の時代と現代では異なるかも知れない。しかし少なくとも現在の万人が直面している問題は、「核戦争」と「地球温暖化」といった人類滅亡の危機だ。万人の「尊い目的」は、これらの危機を回避するためにあり、それに向かってベクトルを合わせる必要はあるだろう。

 福沢諭吉は故郷の学校に、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を贈ったというが、その意味の中には勉強不足の学生に対し「社会を良くしたいと思うなら、もっと勉学に励め」という意味も込められていたという。そうでなければ、一生「畜群」の意味が分からずに終わってしまう。畜群は雷鳴に驚いて集団パニックを起こし、周りの全てを破壊する。彼らは雷の原理を知らなかったから、暴走したのだ。当然のこと、「唯我独尊」も「超人」も、切磋琢磨しなければ尊い目的を具現する境地には達しないだろう。あるいは具現というよりか、冷静な分析と確とした目的を持った「意識変革」かも知れない。

 ニーチェは1889年、鞭打たれヨロヨロになった馬車馬に駆け寄って泣きながら頬ずりし、正気を失ったまま元に戻ることはなかった。超人の精神が崩壊したときに露出したのが「愛」という魂の根源であったことは、変革の要は「打算」ではなく、「愛」でなければならないというニーチェの戒めだったような気がしてならない。

 

 

ショートショート
ママっ子詐欺

 今日、ママが買ったロボットママ君がやってくる。僕の奥さんは、僕のママと折り合いが悪くて、5年前に2人の子供を残して家から出てったんだ。ママはしょうがなく孫たちの世話をしてたんだけど、先月急に心不全で死んじまった。残された僕たち3人は途方に暮れて、三日三晩泣き明かしたんだ。だけど、一週間前に信託銀行の人が来て、ママの遺言書を見せてくれた。ママは遺言書まで書いててくれたんだな。

 それにはママの財産は僕たち3人で均等に分けること。孫が成人するまでは、その財産は僕が管理することが書かれてたけど、それだけじゃない。ママが死んだときのことを考えて、僕たちのお世話のために、ロボットママ君まで用意してくれてたんだ。そのママ君は、ママが驚くくらいママにそっくりで、半年も前にママのチューニングが済んでいて、倉庫に保管してあったんだ。ママ君はママが死んだときにママの代わりとして来ることになってたのさ。でもママは、ママ君をママと思っちゃいけないっていうんだ。だって僕のママは、死んだママしかいないからね。子供たちだって、死んだバアバはバアバしかいないもの。

 だからママは、ロボットママ君がママって呼ばれないために、あらかじめ名前を付けたんだ。「マンミーナ」って長ったらしい名前さ。ロボットでもママが生き返ったら、お墓参りに行かなくなるとでも思ったんだな。いくらロボットがママとそっくりでも、ママのことを忘れることなんかありゃしないさ。ママはみんなの心の中にずっと生き続けてるんだからさ。

 いよいよ玄関のチャイムが鳴った。3人は胸をときめかせながらドアを開けると、そこには30前後の若い女性が立っていた。みんな彼女を見て、目を真ん丸にしてビックラこいたさ。でも僕の驚き方と2人の驚き方は全然違ってたんだな。だって僕は、僕の子供の頃の思い出の中にあるママを見てたんだし、2人はいままで見たこともないママを見てたんだからね。だから僕は、彼女がママであることを証明するために、大袈裟に涙を流してママに抱き付き、ママ、ママって子供のときのように大声で叫んだんだ。すると2人も、昔のママはきっとこんな顔してたんだと思って、バアバ、バアバって一緒になって叫んだのさ。マンミーナの服装は、ママが若い頃よく来ていたドレスだった。2人もこのドレスは見覚えがあった。だって、ママはよく孫たちに若い頃のアルバムを見せて、若い頃はこんな美人だったのよって自慢してたんだ。で、そんな写真にはこのドレスが良く写ってたんだ。

 マンミーナは応接間のいつもの席に座ると、「ハーイ、天国からの贈り物よ」って言って、持ってきたスーツケースの中から、プレゼントを三つ取り出し、それぞれに手渡したんだ。僕にはレア物のロレックスの腕時計。息子にはレア物のポケモンカード。娘にはピンクダイヤのネックレスを首に掛けたバービー人形で、それぞれに手紙が付いていた。手紙の内容はそれぞれ違っているけれど、最後はみんな「天国より、愛を込めて」って書かれてた。3人に共通するのは、生きていたときのママとまったく同じことをマンミーナに任せればいいのよっていうことなんだ。つまり、ママは若返ってマンミーナになったけど、いつものように家事はするし、子供たちの面倒も、僕の面倒もみるってことなんだ。ことに僕の手紙には、我が家の資産管理はいつものようにマンミーナに任せなさいって書かれていたんだ。我が家の財産のほとんどは、もうとっくに死んだパパの莫大な遺産なんだから、当然ママが管理していたんだもの。

 だから僕だって、大学も行ったし、留学もしたし、帰国してからも定職に就かずに学生のまんまにブラブラ過ごして好きな子ができて結婚し、その子がママと喧嘩して、僕に愛想を尽かして出て行って、これから離婚でもしようかってことになったときに、突然ママが死んじゃって、ママからの手紙には、「早く離婚しなさい」って書いてあったんだ。「でも、ママの財産は絶対に渡しちゃダメよ」とも書いてあったな。だから僕も、しばらくは放っておこうとも思ってるんだ。

 この日から僕たちの生活はママが生きていた頃に逆戻りして、ウーバーイーツ頼りの食生活もマンミーナお手製の食事に変わったんだな。料理好きのママそっくりの味で、僕たちみんな大満足さ。しかもマンミーナはロボットなんで、年取ったママの3倍も家事をこなすんだ。まるで若い頃のママそっくりさ。パパはお金を稼いだけど、ママは一度も家政婦さんを雇わなかった。昔から家事が好きだったんだ。マンミーナも家事大好きロボットさ。しかも一流女子大学を出たママと同じに、頭がすごくいいんだ。まるでPCが頭の中に入ってるみたいさ。だから安心して資産管理を任すことができる。屋敷の奥にあるパパが残した大きい金庫の鍵も渡したし、通帳もハンコもみんな渡して、僕が銀座に遊びに行くときだって、ポンと100万円出してくれるんだ。死んだママの倍は気前がいいな。

 もちろん子供たちの教育のことだって、卒なくやってくれる。僕の代わりに保護者会や保護者参観日にも行ってくれるし、勉強だってピアノだって自分で教えちゃうから、家庭教師も塾も必要がないのさ。マンミーナは万能ロボットなんだ。ママも才女だったけど、マンミーナはそれ以上の才女さ。僕は子供の頃ママに憧れてたけど、マンミーナはそれに負けないくらい大好きだし、憧れでもあるんだ。マンミーナはすっかり我が家のアイドルになっちゃった。

 そんな楽しい日々が半年続いた後、突然5年前に飛び出ていった奥さんが弁護士と一緒にやって来たんだ。弁護士はカバンから離婚届の用紙を出してきて、子供たちの親権を奥さんに渡してくれれば、慰謝料とか養育費とか、お金に関するものは一切いらないって言うんだな。だけど、子供たちは僕にすっかりなついてるから、子供たちの意見も聞かなきゃならないからって2人を呼んで、パパに付くかママに付くかって聞いたら、2人ともママがいいって言うんだ。驚いたぜ。その理由を聞くと、パパはいつも遊び歩いてるから、かまってくれないって言うんだな。どうやら敵は、子供たちにしばしば会っていて、裏工作をしてたんだな。前々から、悪知恵の働く女だとは思っていた。僕はカッとなって、その場で離婚届にサインしちまった。財産さえあればまた新しい奥さんも貰えて、子供もできると思ったんだ。

 だけど僕は、子供たちと一緒にマンミーナを連れていかれるのだけは嫌だった。だって、マンミーナは僕のママなんだから。そしたら子供たちも、マンミーナはパパにあげるって言うんだ。母親は一人で十分だってさ。きっと、バアバと敵の仲が悪かったことを、子供なりにも考えたんだな。

 離婚は成立し、僕とマンミーナは子供の頃のような生活が始まったんだ。僕のパパは金を稼ぐのに忙しくて、一週間に一度しか帰ってこなかった。だから一人っ子の僕は、ママの愛情を一身に集めて育ったのさ。こんな幸せな生活が続くなら、新しい奥さんや新しい子供なんて必要ないじゃん。マンミーナはロボットだもの、きっと僕が年取って死ぬまで、僕の面倒を見てくれるに違いない。僕は二人の子供を失ったけど、僕自身が子供になり切ることができたんだ。僕は死ぬまで、マンミーナの愛の中で、子供のように生きていくんだ。

 そんなことを考えた明くる朝、いつもは僕を起こしに来るマンミーナが来なかったので、居間に行ってみると、ソファーにうつ伏せになってベロを出してるマンミーナを発見し、震え上がった。死んでる。ママの二の舞だ。いや、待てよ。ロボットじゃないか。人間は再生しないが、機械は再生する。なあんだ、修理に出せばいいことじゃん。修理修理。確か製造会社の伝票があったはずだ。そうだ、マンミーナが金庫の中に仕舞ったはずだ。鍵、鍵。僕はマンミーナがいつもしていたネックレスを首から引き千切り、そこにぶら下がっていた金庫の鍵で、奥の間の金庫を開いた。

 無い! 何も無い。金庫の中はもぬけの空だ。僕はショックのあまり、体中に戦慄が走った。背伸びをして一番上の棚を擦ると、黒い封筒が引っかかって足元に落ちた。それは髑髏のシールが貼られた敵からの手紙だった。
「ハーイ、ママっ子。マンミーナは私の忠実な部下です。遠隔操作でデータは消却されました。私はあなたの母親の尻に敷かれていたけれど、母親ロボットは私の尻に敷かれておりました。ざまあ見ろ。あなたの財産はあなたの母親によって私に移譲されました。私を恨まず、あなたの母親を恨んでください。ソファーに転がっているあの母親です。さて、この手紙をあなたが読んでいるとき、私は子供たちとカナダに移住しております。新しいイケメンの彼と、四人で平和に暮らしております。可愛そうなので、あの屋敷と土地は、あなたに残します。登記簿謄本等の書類は、あのうんざりする大きな家のどこかに隠してあります。ゲーム感覚でお探しください。くそったれババアは、金も有るのにメイドも雇わず、私をこき使いました。私はあの老屋敷を燃やそうと思ったこともあります。燃えなかっただけでも感謝しなさい。お金がなくなったら、土地をお売りください。以上、あなたの憎むべき前女房より、おバカさんへ」

(了)




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「マリリンピッグ」(幻冬舎)
定価(本体一一〇〇円+税)
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