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404.「悩んでいる人はすべて自己中心的である」という言葉があった。

(18)負けない心

1.自分が自分に報酬を与える姿


ねえ、みんな~

coucouさんはね、みんなに聞きたい~

それはね、
 
自分をどこまで信じられるってこと?

自分をどこまで大切にできるってこと?

本当は自分のことを一番信じることができるはずなのに、

本当は自分が自分を決して裏切ったりしないはずなのに、

しかし、多くの人たちは自分を裏切ってしまう。

自分を裏切るって、自分が自分に対して約束したことを破ること、自分を信じることができないこと、自分に対して常に消極的で物事をマイナスに捉える人たちのことをいうんだ。

逆に、自分を信じられる者は、自分の未来に対して常に自分に希望を与え続けたり、決して諦めたり、努力を怠ったりせず、あらゆる物事をプラスとして捉えていることがわかる。

自分を信じるという事を別な言葉でいうなら、それは「情熱」「熱き心」といえるかもしれないね。
ここに本来の成功と失敗の秘密があるような気がするんだ。

このように、成功者(幸せな人)と呼ばれる人たちの共通点って、こんなところにもあるような気がする。

2.どうして自分に報酬(喜び)を与えられないの?


一体、何が勝ちで、何が負けというの?

負けることは、必ず負けなの?

勝ったことが、必ずしもそれが勝ちなの?

負けた悔しさよりも、負けた喜びもあるはずですだよ。

人生の中で負けて良かったこともかなりあるはずさ。
これってね、負け惜しみじゃあないよ。
coucouさんみたいな失敗者、脱落者が心から思えることなんだからね。

だから、勝たなくて良かったこともあるはずだよ。
このように、勝ち負けというのは考え方一つで変わるものなのさ。

 

失敗を恐れる者は失敗を招き、成功を望む者には成功しかない。
成功を望む者は失敗を恐れず、たとえ負けたとしても結果として成功をつかんでいる者が多いといわれている。
たとえ、その場を誰が見ても失敗に見えたとしても、長い目で見たら、それが成功の場合も数多くあるからね。

自分を心から励まし、自分を元気づけ、自己に報酬(喜び)を与えられる者と、自己に報酬を与えることのできない者とでは、このように決定的な差が生まれるんだ。

自分に自信のある者は失敗を恐れない。

自分に自信のない者は常に失敗を恐れてしまうのさ。

©NPО japan copyright association Hiroaki



3.失敗と成功と自己報酬力


人ってね、失敗するから自信をなくすのではなく、自信を失うと失敗のダメージが大きくなることなんだ。

自信のある者は失敗しても、それによって心理的な打撃を受けることが少ない。

では、自信は一体何から生まれ、育っていくのかというと、それは努力という積み重ねから起こるもので、その積み重ね(トレーニング)を怠ると自信を失ってしまうのさ。

これってね、丁度、スポーツと同じかもしれない。
スポーツ選手の自信の源は、日々のトレーニングにある。
この日々のトレーニングを怠ると不安になり、自信を失ってしまう。
でも、この日々のトレーニングによって、自信を持つことができるようになりベストを保ち、記録を更新することができるようになるんだ。

そして、その競技に敗れたとしても、失敗したとしても、心理的なダメージを受けることが少ない。

このように自信のある人って、前向き、楽天的、楽観的でもあり積極性が備わっている気がする。

その反面、自信のない人は物事全般的に悲観的で、消極的で、少しでもことが上手くいかなければ、そればかりに気をとられ、戦わずして「ああ、もうダメだ!」と簡単に諦めてしまう。

このように自信って、積み重ねという努力の習慣に支えられ、自信がある人は少しぐらい上手くいかなくても、それだけに気を捕らわれたりせず、何よりも可能性がわずかでもあるのなら、希望を持って、決して諦めたりしない、んだよね。

なによりも、上手くいくよう努力する。
それが本来の楽観主義といえるものかもね。

「成功の可能性はあるが、失敗の可能性もあるとき、自信のある者は、成功の可能性の方に注意し、努力する。自信のある者は、失敗より成功を信じる。そして、成功だけを信じるのだけでなく、それを目標として努力し続ける」coucouさんの体験的言葉より

©NPО japan copyright association Hiroaki



4.満足感・充実感・達成感を与える


人って、無意識のうちに、自分でも気がつかないうちに、他の何かの所為(せい)にしてしまう習慣がある。このような習慣はとても恐ろしいもの。
自分で気づかぬうちに、自分の思うことさえ習慣化してしまうからね。

だから、自分に報酬(喜び)を与えることはとても大切なことになるんだよ。

自分に報酬を与えられない人って、いつも不安。

毎夜、遊びに出かける者、毎日をただダラダラ生きる者、常に誰かがそばにいないと不安になる者、一人でいることが寂しくて耐えられない者、日々不安で仕方のない者、日々がつまらないと嘆く者、自分に報酬を与えられなくなると最終的には自己不在になってしまう恐れがあるんだ。

毎日が寂しい。でも、寂しくならないよう努力することができない。
その努力することを怠ると寂しくなり、その寂しさの原因も見えなくなってしまう。

そして、その寂しさを逃げとして他に求める、求めれば求めるほど寂しくなってしまう。自分も寂しい、友だちも寂しい、みんな寂しいといい、寂しい仲間の集まりができてしまう。なぜならお互いがその寂しさを理解できないから、そこが寂しさの逃げ場所になってしまうのさ。

coucouさんみたいな自分に喜びを与えられなくて、寂しさの達人がいうのだから間違いないと思うんだ。

すると、あるものより、ないもの、ないことばかり求め、結果何かの所為にしてしまう。こうなると、心の中で何かを避け続ける姿勢が自分に報酬を与えられなくなってしまうのさ。

©NPО japan copyright association Hiroaki

 

人から何も与えられない。

情報がない、情報が伝わってこない。

人から心配されない、何もしてもらえない。

相手に自分の気持ちが伝わらない、なかなかわかってもらえない。

相手が自分の思う通りに動かない、動いてくれない。

私の気持ちをわかってくれない、逢ってくれない、愛してくれない。

話を真剣に聞いてもらえない、自分の大変さや苦労をわかってくれない。

仕事が少なくなってきた、仕事がもらえない、お金がない、儲からない。

 

こうなると自分に報酬(喜びも幸せも)を与えられなくなる。

 

お金がなくて不平・不満をいう者は、お金さえあれば不平・不満はなくなると信じる。でもね、お金がなくて不平・不満をいう者は、お金があっても不平・不満はなくならない。なぜって、問題をすべてお金の所為にしているからさ。

そのため、お金がないから不幸だとお金の所為にし、お金があれば幸福になれると信じているため、自らはお金の所為にしていることにまったく気がつかないんだ。

丁度、子どもが言うことを聞かないからと、子どもの所為にし、子どもが言うことを聞けば解決すると、子どもの所為にし、子どもがいない人は、子どもがいないから寂しいと、子どもがいないことの所為にする。

品物が売れなければ、その品物の所為にするのと同じで、他の場所ではなぜか売れているのを知ると、場所の所為にする、店員の所為にするのと同じ意味合いといえる気がする。

 

「悩んでいる人はすべて自己中心的である」という名言がアメリカにあるけれど、自分に喜びを与える、自分に報酬を与える習慣づけのない人の共通点といえるかもね。

自分に報酬を与えることができると、満足感・充実感・達成感が起こり、それを習慣化すると自信が生まれる。

「悩んでいる人はすべて自己中心的である」という言葉のように、悩んだときから相手の考えていることがわからなくなり、悩んでいること自体が何かの所為にしてしまっていることに気づかねばならない気がする。

やっぱり、寂しさや苦しさ、悩みは、相手のことを考えられるようになると、その悩みは半減するのかもしれませんね。

このnoteの世界には、自分に報酬を与えられる何かがあるような気がしているcoucouさんなんだ。

©NPО japan copyright association Hiroaki



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coucouさんです。
みなさん、ごきげんよう~

無事に退院することができました~
みんな~
ありがとう~

※明日、明後日のcoucouさんの記事の「獄中手記」にて、みなさまにご報告申し上げます。本日までの作品は一週間前に作成したものです。
ご心配、ご迷惑、激励、応援に心から、感謝と御礼を申し上げます~



本日の、coucouさんの大好きな27番目(順不同)の
「ノートに神さま」のご紹介~

彼の名はマー君~
coucouさんはね、マー君さんと呼んでいる~

マー君さんの「娘のことを書いてみた」を読んだ。
淡々と、物静かに愛する娘さんのことが書きつづられていた。

でもね、その言葉一つ一つを深く考えながら読むと、
coucouさんは泣いてしまう。

マー君さんと同じような境地になれるかな、なりたいなあ~

coucouさんの娘も同じ年頃。
だから、合わせ鏡のように、つい、つい、想像してしまう。

マー君さんの「娘に渡せなかったノートから」も同じ、愛が無限に散りばめられて、優しい言葉が綴られている。

coucouさんも、そう、そうなんだと頷くのだけれど、
手紙を書く勇気がない。

でも、全部マー君さんが教えてくれる。

そう、マー君さんは、娘さんの神さま~
すべての娘を愛する父親の神さまかも。

だって、coucouさんは、言葉にも、文にも残せない、勇気のない父親なのだもの。

ただ、ただ、coucouさんがこの世からいなくなっても、幸せでいてほしいと心から願っている。

マー君さん、いつも素敵な父親代表の記事をありがとう~

応援も感謝しています~

ありがとう~

noteのお父さんたち、ぜひ読んでくださいね~

こんな優しいお父さんになりたいcoucouさん~


追伸:この世を去った、coucouさんの父の写真を見ていると、マー君みたいに左側に頭を傾けている。それって、少しだけ斜めに愛する人を見つめているときのような気がする。

マー君の言葉より

普通の人、というよりは普通以下、中の下くらいの人です。社会的にも、人間的にも、生活レベルもそれくらい。 クリエーターとかITの人ではありません。ただのオヤジです。還暦はクリアしています。 作り話のタイトルは『 』です。


 


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Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru


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