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娘のことを書いてみた

娘が5月に結婚した。
本人たちと、先方のご両親、僕と妻の6人で簡単に食事をし、その2日後、大安に入籍した。
このご時世なので、セレモニー等は行わないが、写真はあらためて撮影するらしい。
親としては、もちろん人並みに嬉しい。
ただ、もうずっと前から家を出ているので、前の晩に、
「お父さん、お母さん、おせわになりました」
そんな寂しさはない。

おめでとうございますと言って欲しいのではない。
結婚が全てではない。
親子の縁が切れるわけでもない。
今時、娘さんをください、あげます、そんな時代でもない。

娘は、幼い頃から誰にでも話しかける、どちらかといえば、あまり落ち着きのない性格だった。
幼稚園の入園式でも、先生の話を聞かずに後ろの子に話しかけたりしていた。
よく言えば、物怖じしない、明るい子だった。
当時の大阪ドームにジャイアンツが来て、そのチケットをたまたまいただいたことがあった。
家族3人で観戦したが、その時も、大きな声で、
「清原がんばれー」
と叫んで、周りの観客から拍手されていた。
親は恥ずかしかったけれど。

そんな明るく楽しい子供として育っていくんだなと思っていた。
そして、そんな子供を持った両親として、自分たちも生きて行くんだと思っていた。
毎年、年賀状には、家の前で3人で撮った写真を載せ続けるのだと思っていた。

その娘が不登校になった。
中学2年の途中から、学校に行かなくなった。
そして、家の中の決まった一角から動かなくなった。

学校にも何度も問い合わせたが、原因は分からない。
親しい友人にも尋ねてみたが、いわゆるイジメのような話も出てこない。
結局、何とか中学は卒業できた。
できたというよりも、そのような扱いになったということだろう。
そして、高校は通信制の高校に通うようになった。
通うと言っても、通信制のために通学することはほとんどなかったが。

ただ、この間、僕はほとんど何もしていない。
動いていたのは妻だ。
学校との連絡、教師との相談、そして高校の手続き。
何度も何度も、足を運んでいた。
娘を連れて、紹介されたカウンセラーに会いに行ったりもしていた。
雨の日も、風の日も。

僕はといえば、仕事にかこつけて、ほとんど何もしていない。
「娘を信じている」
そんな言葉で自分をごまかしながら、実際は妻に押し付けていた。
しかも、この時、妻も仕事をしていたのだ。
だから、僕は一生頭が上がらない。

ただ、「信じている」というのは、わずかながら本気でもあった。
僕自身が若い頃に心を病んだ経験から、大丈夫だという確信に近いものがあったのも事実だ。
ただ、ここから出て行きたいという気持ちが本人に湧いてくるまでは、そっとしておくしかないと。

そして、娘にもそんな時がやってきた。
ある時、いつも座り込んでいる部屋から出て、キッチンにふらっと入っていった。
あんなに頑なに、その一角から動こうとしなかった娘が。
最初は何があったのか分からなかった。
そして、そのことの重大性に気がつくと、妻と手を取り合って喜んだ。
娘には気づかれないように、声を顰めて。
「動いたね」

さらには、ある友人と携帯電話で話をするようになった。
妻によると、中学時代の友人に、手紙を書いたらしい。
そして、その友人から返信が来たというのだ。
見るともなく見ていると、少しずつ笑顔が混じっている。
妻は、その友人には何度も会っているらしいが、僕は直接話をしたことがない。
いつか、その友人にはお礼を言わなければならないと思っている。

この頃のことを娘に聞いたことはない。
正直なところ、まだ怖くて聞けない。
どんな変化が自分の中であったのか。
どうして手紙を書こうと思ったのか。
これを聞くのは、たぶん、もっと後のことになるだろう。
何年か、何十年か。

さて、それからは、トントン拍子だ。
やりたい仕事も決まり、そのために行くべき学校も、自分で調べてきた。
これも妻によると、自分でその職場に行き、ここで働くためにはどうすればいいか尋ねてきたというのだ。

高校卒業後は、その学校に進学した。
そして、希望通り、その会社に就職した。
やりたいこともわからないままに、進学し、就職する若者が多い中で、我が娘ながら頭の下がる思いだった。
その年頃の僕など、とても足元にも及ばない建設的な人生だ。

就職後は、主に東京で働き、今もその会社で働き続けている。
まもなく10年になる。
肩書きもついたらしい。
そして、先日、家庭を持った。
もう慣れはしたが、人並みに、ふっと寂しくなる夜も経験させてもらっている。
自分の功績でもないのに、聞かれると、娘は先日結婚しましたと、つい胸を張ってしまう。
「信じる」という言い訳以外は、何もしていないにもかかわらず。

我が家の問題など、書いても仕方のないことだ。
ただ、同じようなことで悩んでおられる方は多いのではないだろうか。
もちろん、そんな方にとって参考になるような話ではない。
全てが、このように行くわけでもない。
ただ、こんなこともあると思っていただければいい。
それが、少しの希望になればいい。

信じるだけではだめだ。
幸い我が家の場合には、行動してくれる妻がいた。
ただ、信じていただけの僕の功績も、ゼロではないと思っている。

単なる親バカの、我が子自慢じゃないかと言われるかもしれない。
確かにそうかもしれない。
他に、自慢できるものなどないので。

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