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娘の前で泣いてしまってわかった私の過去の失敗

私は自他ともに認める「良い子」だった。
嘘じゃない。小学2年生の終わりに、担任の先生から表彰されたのだ。

先生は通知表と一緒に一人ひとりにA5サイズの手作りの賞状を手渡した。私がもらった賞状には、紙いっぱいに描かれた白黒のドラえもんの上部に横書きで「良い子で賞」と書かれていた。

子どもたちは自分の席に着いたままそれぞれ歓喜の声をもらしていた。私は両手で賞状を持ち、大きく開いているドラえもんの口を凝視した。

「良い子で賞」。

どういうこと? 頭の中の過去の情報を必死で遡る。そういえば、ある日突然先生がクラス全員にアンケートをとったことがあった。それは、「元気な子」、「挨拶ができる子」とか「困っている人を助けている人」など多くの項目があり、該当すると思われるクラスの子の名前を書くというものだった。

他にどんな賞があったのかは知らない。意味なんてものもなく、先生はただ最後に一人ひとりのよい所を褒めたかっただけなのかもしれない。けれど、私はこの「良い子で賞」がとんでもなくすごいものに思え胸がドキドキした。

もともと「良い子」気質があったと思う。勧善懲悪の昔話やタイムボカンシリーズが好きだった。いつだって正義が勝つ。だけど、罪を憎んで人を憎まず。人情は大切にしたい。優しさと弱さの境目が曖昧だけど、誰かのためになら強くなれた。

私にとって「良い子で賞」は、孫悟空の頭にはめられた緊箍児(きんこじ)のように常に私の言動を監視するものではなく、身分を隠して人を助け世を直す水戸黄門の印籠のようだった。みんなが私を見ていて、称えてくれている、そう証明するものだった。

だから、まさか、良い子でいることに弊害があると思わなかった。

私は努めて良い子でいたせいで、大切な青春時代を台無しにしてしまったようだ。それに気付いたのは、「良い子で賞」をもらった随分あと、母親になってからのことである。


あれは、海外駐在生活から帰国した年の梅雨の日だった。

国際試合も開催されるような大きなプールで行われた水泳教室に、当時小学4年生の娘を連れて行った。受講生は100人ほどもいて、レベルごとにグループ分けされ、それぞれ指導者がついてレッスンが行われた。ところが、更衣室まで見送った娘の姿が見当たらない。

イベント主催者に全グループを確認してもらったが、娘はどこにもいなかった。レッスン開始からすでに1時間が過ぎていた。娘は小3まで英語環境で育ったため、日常生活であまり使われない日本語の理解に不安があった。更衣室からプールまでの道のりで迷子になったのだろうか。怖くなって引き返したが、私の姿が見えず外に飛び出してしまったのだろうか。大きな建物に激しく打ち付ける雨の音が私の不安を煽った。

「館内放送をしてほしい」という私の願いは、他の利用者に迷惑がかかるとの理由で受け入れられず、私は独りで館内を探し回った。大人の私ですらどこをどう走っているのかわからないほど大きな建物。娘を呼ぶ声が響き、その静けさに恐怖が増した。何往復しただろうか。異変に気付いた他の保護者が一人、二人と私に声を掛け、私のスマホの待ち受けに映る娘の写真を見て一緒に探してくれた。

2時間のレッスンが終わりに近づいた頃、イベント関係者に連れられ娘が私の前に現れた。水泳教室ではなく、同会場で行われていたシンクロナイズドスイミング教室にいたそうだ。

この時の安堵感はきっと一生忘れられない。胸の下から顔に向かって熱で温められた風船のようなものがふわっとあがってきて、そこで空気を抜かれたように一気に私の目、鼻、口から飛び出した。堰を切ったように、とはまさにこういうことなんだなと、涙と鼻水と嗚咽を押し殺しながら、冷静さを取り戻した。

帰り道は、娘も私も無口だった。子どもたちに涙を見せることはなかった私。鬼の目にも涙。娘にはそんな風に見えたのかもしれない。今にも壊れてしまいそうな脆い母を見たのだろう。

あの日以来、娘は、外出するたびに携帯メールで「今電車に乗ったよ」「乗り換えしま~す」「もうすぐ着く」など、絶やさず送ってくる。要らないと言っても送ってくる。それは中3になった今でも続いている。

ある日、いつものように「もうすぐ着くよコール」をして帰宅した娘に「夕食の準備で忙しいんだから、かけてこないで!」と冷たく言った。
すると娘は
「私がどこにいるかわからないと心配でしょ?」
とニヤリとし、側にいた姉に向かって
「お母さん、私がいなくなったと思って号泣したんだよ」
と嬉しそうに言った。

彼女があの時見てしまったのは鬼の涙だけでなく、だだ漏れになっていた私の娘への愛も見たのだ。娘は私がどんな顔をして探し回っていたかを知らない。だが、私の涙がその光景を想像させただろう。以来、娘は私の愛を疑うことがない。どんなにきつく叱っても傷つかないし、凹まない。


大失敗だった。娘の前で泣いてしまったことが、ではない。良い子でいるために自分の感情を閉じ込めて誰にも見せてこなかったことが、大失敗だったのだ。かつてなぜだかわからずモヤモヤしていたことが、次から次へとクリアになっていく。

小3の時、ある女の子を守るために強い男の子と喧嘩した。理由なんて覚えていないが、弱い者いじめだった。取っ組み合いになり、私の一蹴りが彼の股間に命中し泣かせてしまった。この一件で、私は男子にも怖がられる強い女子となってしまった。本当はとても怖かったのに。

中学の卒業式の日。泣いた私に「びしばし。は泣かないタイプだと思ってた」と親友にドン引きされた。情に厚く涙もろい私なのに。

高校の体育祭。男女8人ずつの応援合戦を志願した女子が一人多いと勘ぐった私は、看板作成係に立候補した。体育祭は揉めることなく大成功に終わった。でも、本当は私も応援合戦がしたかった。

親友4人で高校の卒業旅行に行った。でも実はその後、私を除く3人と同級生男子3人で別の卒業旅行に行っていた、ということを少し前に知った。誤解のないように言うが、彼女らは今でも親友だ。彼女らは、ただ、私がそういう誘いには乗らないタイプだと思っていたようなのだ。そんなこと言った覚えなどないのに。

表面化された優しさより、内面の我慢に私は自分の価値を見ていた。そして必ず人は見てくれている、気付いてくれていると信じていた。他人の気持ちなんてわかるはずがない。表現しない感情なんて理解されるわけがないのに。

**

4月に長男が20歳の誕生日を迎えた。
夕食後、家族が集まっている食卓で、息子が「20年間ありがとう」と、突然私に花束と手紙をくれた。

「おいおい、母さん泣くぞ。母さんはすぐ泣くんだからなぁ」
という夫の笑い声を背中に受けながら、私は花束と手紙をもって誰もいない部屋に飛び込んだ。

自分の気持ちを犠牲にしてまで誰かに優しくできることは、やっぱり強いことだと思う。だけど、犠牲にしていることを口にしなくてもわかってほしい、というのは間違っている。わかってほしいなら伝えなければならない。嬉しい気持ちも、悲しい気持ちも、辛い気もち、時にはどす黒い腹の内だって、見せたらいいんだ。見せて驚かれて呆れられて笑われて、そうやって心と心を交わすことができる。「良い子で賞」の印籠を見せて周りにひれ伏してもらっても、そこに友情を芽生えない。絆は築けないのだ。

一人、部屋にこもって息子からの手紙を読んで、夫が予想した通り、私は号泣した。今度またこんな手紙をもらうようなことがあったら、みんなの前で泣けるといいな、と鼻をすすりながら。

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