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志村真幸『熊楠と幽霊』 :〈曼陀羅〉的な、熊楠の宇宙

書評:志村真幸『熊楠と幽霊』(インターナショナル新書)

本書は、南方熊楠研究者による長編エッセイである。「研究書」や「評論書」とはせず、「エッセイ」としたのは、本書が肩ひじ張らないかたちで書かれた、読みやすい「熊楠論」であったからだ。

本書のユニークさは、これまで熊楠の超人性を強調して彼を神話化する傾向の書物が多かった中で、ほとんど初めて「でも、熊楠だって人の子だったんですよ」ということを強調した点にあろう。これは、外野から眺める「ファン」ではなく、息のかかる距離まで近づいた「研究者」ならではの、「愛のある熊楠論」だと言えるのではないだろうか。

『 ここまで読んできて、熊楠の体験や考え方を、いかにも異様だと感じたかもしれません。さすが熊楠は常人とは違うと思った読者もいるでしょう。しかし、かならずしも熊楠が特異で孤立した思考ばかりではなかったことに気づいた方も少なくないと思います。
(中略)
 熊楠はしばしば時代を先取りしていたとか、「一〇〇年早かった」などと評価されます。しかし、どんな人間も、そのひとの生きた時代の思潮や雰囲気と無縁には生きられません。その思考には、かならず時代性が反映されます。熊楠における魂の問題は、まさにそうでした。熊楠の直面した悩みは、当時の多くのひとびとが立ち向かった課題でもあったのです。』(P220~221)

本書においてなされているのは、言わば「科学的な解毒作業」である。
褒めるぶんには叱られることなど滅多にないからこそ、南方熊楠という「型破りなキャラクター」は、多くの人から愛され、絶賛され、神話化されていった。かく言う私も、そんな「信者」の一人だったわけだが、本書は、そうした読者の側の「願望」で、熊楠という人を、言わば「誉め殺し」にするべきではないと、柔らかい口調で諭している。「そんなことをしなくても、やはり南方熊楠という人は、十二分に偉大な人だったのだから」と。

私は、この年下の研究者の「諫言」を、素直に入れたいと思う。
本書著者が『南方熊楠の研究にとりくむようになったのは、いまからちょうど二〇年前の二〇〇一年二月のこと』(P228)だそうで、当時『大学院修士課程の一回生のとき』だったそうである。
一方、私が、南方熊楠の存在を知り、すっかりファンになったのは、次のような時期だった。

『 熊楠ブームは、その生前から何度か起きましたが、最大のもりあがりをみせたのが、生誕一二〇年にあたる一九八七年から没後五〇年の一九九一年にかけてでした。神坂次郎の『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』(一九八七年→一九九一年に新潮文庫)、津本陽『巨人伝』(一九八九年→一九九二年に文春文庫)といった評伝が書かれ、本格的な実証研究の幕開けとなった松居竜五『南方熊楠 一切智の夢』(朝日選書、一九九一年)の出版があり、テレビや雑誌での特集も相次ぎました。』(P200~201)

私の場合、最初に読んだ、神坂次郎の『縛られた巨人』に、すっかりやられてしまった。
この小説での熊楠は、前半生の奔放さと晩年の苦労が対比的に描かれており、タイトルの「縛られた巨人」というのも、熊楠という人の生涯が、決して奔放な明るさ一辺倒のものではなく、むしろ後半生においては「縛られた巨人」のごとくであった点を描いており、その好対照の「悲劇性」に、すっかりやられてしまったのである。

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そのあと、津本陽『巨人伝』や、本書でも紹介されている、水木しげる『猫楠 南方熊楠の生涯』、岸大武郎『てんぎゃん 南方熊楠伝』、山村基毅・内田春菊『クマグスのミナカテルラ』といったコミック作品も読んだ。

だが、『縛られた巨人』に次ぐインパクトを与えたのは、河出文庫から刊行された「南方熊楠コレクション」全5巻だ。これは、熊楠の文章をテーマ別に5巻に分けて収録し、それぞれに中沢新一による秀逸な解説がついたもので、私はこれで初めて熊楠の文章を読み、中沢の解説で、なんとかそれらを理解することができたのである。

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ちなみに、この解説文をまとめた上で加筆増補して単行本化したのが、中沢新一の『森のバロック』であり、中沢は同書で「読売文学賞」を受賞している。しかし、熊楠ブームから少し遅れて刊行された同書を、期待を膨らませて読んだ私は、正直なところ、思ったよりも面白くは感じなかった。はたしてこれは、「初読の衝撃」を欠いたからなのか、それは今も謎である。

私が南方熊楠に共感したのは、その自由な「越境性」にあったと思う。研究対象も、自身の社会的な立場も、世間的な「枠」にとらわれず、自由奔放に生きた熊楠に、私は憧れた。
神坂次郎の『縛られた巨人』にも描かれたとおり、晩年の熊楠は、愛児の知的障害の問題でとても苦労することになるのだが、幸か不幸か私は結婚もせず子供もいないから、そうした苦労も味わわずにかなり気楽に生きることができたし、ジャンルに縛られることなく、興味の赴くままにいろんな本を読みふける快楽に浸って生きてきた。
私がいろんなジャンルの本を読むのは、一つには「ジャンルに閉じこもって、その専門性を自慢するような、ケチなことはしたくない」という思いがあり「不可能は承知していても、それでもこの世界のあらゆることを知りたい、世界を把握したい」という願望があったからで、それを私は「一切智の夢」だと何度となく書いてきたのだが、これはお察しのとおり、前述の松居竜五の著作に教えられた言葉である。だがまた、その肝心の本は未読のまま、今も積読の山に埋もれさせているというのは、何としても無念なことだ。いろんなジャンルの本を読もうとすると、どうしても「ぜんぶ」は読めないのである。

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ちなみに、私は当時、南方熊楠関係の本を片っ端から買っていたが、最後はそれが不可能になる程、どんどんと新刊が刊行されていた。ブームのだいぶ前に刊行されていた『南方熊楠全集』も欲しかったが、何しろバブル経済期のこと、古書価も値崩れしておらず、高くて手が出ず、古書店のショーウインドーを虚しく眺めるしかなかったという思い出がある。
それでも、熊楠関連書をぜんぶで50冊以上は買っているはずだが、そのうち読めたのはせいぜい20数冊といったところだった。本書で紹介されている、真言僧・土宜法龍や、男色研究家の岩田準一との「往復書簡集」といったものも買っているし、ずっと後年の2016年に松居竜五が刊行した浩瀚な研究書『南方熊楠 複眼の学問構想』(慶応大学出版会刊・第15回角川財団学芸賞受賞)なども買ってあるが、これもいまだに手をつけかねている。

ただ、他のジャンルへの寄り道をしていたからこそ、今回、本書『熊楠と幽霊』を読んで「なるほど」と気づいた点もあった。
それは、熊楠の実家が「真言宗」であり、文通をしたのも真言僧の土宜法龍であったという事実は、南方熊楠の「世界観」からすると「いかにもなことだ」と思えた点である。

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本書での指摘はないが、熊楠の「超常的なものへの親しみや興味」は、多少とも「真言宗」の(空気の)影響があるのではないだろうか。
宗祖空海の数々の伝説や逸話を待つまでもなく、真言宗(真言密教)というのは「印を結び、真言(呪文)を唱える」ことで「超常的力を発揮する」といったところに、他宗では前景化されることの少ない特徴がある(ちなみに「南方熊楠コレクション」の解説者・中沢新一は、チベット仏教とはいうものの密教系の人であり、日本の仏教の中では真言宗に近い。空海を主人公としたサイキック・アクション時代小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を書いた夢枕獏も真言宗に好意的であり、中沢新一とその弟子を名乗る真言宗僧侶の宮崎信也の三人で、対談・鼎談本『ブッダの方舟』を刊行している)。
また、有名な「南方マンダラ」も、真言宗特有の図象的な「両界曼荼羅」の影響があったのではないか。
さらに言えば、熊楠の「稚児」趣味や「男色」への興味も、その背景として真言宗の「文化」があってのことなのではないだろうか。
(ちなみに、高橋睦郎には、華厳経に描かれた善財童子の物語を、男色曼荼羅的に描いた長編小説『善の遍歴』がある)

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今回、こうしたことに気づき得たのは、私が購入済みの熊楠関連本を後回しにして積読の山に埋もれさせてでも、あれこれ手を広げた読書ジャンルの一つとしての「宗教研究」があったればこそ。

かなり遠回りをしたけれども、その先で、また奇遇にも出会うことになるというのは、熊楠ファンらしいあり方だと、そう誇っていいのではないかと自負した次第である。

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初出:2021年3月3日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)
再録:2021年3月12日「アレクセイの花園」
  (2022年8月1日、閉鎖により閲覧不能)

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