小津安二郎監督 『長屋紳士録』 : 戦後の窮乏生活と不人情
小津安二郎の戦後復帰第1作である。
本作は、典型的な「人情噺」であり、チャールズ・チャップリンの『キッド』(1921年)を思わせる「孤児もの」とでも言えようか。よくあるパターンとはいえ、小津が『キッド』を意識しなかったというのはあり得ないだろうと思う。
ただ、サイレントの『キッド』にくらべれば、トーキーの本作『長屋紳士録』の方が、多少はストーリーに曲があり、登場人物も多い。「会話」劇が容易だからだ。
落語などにもありそうな「典型的な人情噺」であり、無難に「ホロリ」とさせ、その点で、決して悪い作品ではないのだが、一一しかしながら、特筆に値するほどのものは無い、とも言えるだろう。
だから、小津の戦後の作品の中でも、あまり注目されない、特に人気のあるわけではない作品のようなのだ。
一一終戦後まもなくで、街には戦争で親を失ったり親に捨てられたりして、やむなく自力で生きている「戦災孤児」があふれている。そんな中、長屋で一人暮らしの「おたね」のところに、大工の父親と一緒に東京へ出てきて、上野で父とはぐれたという(8歳前後の)少年「幸平」が、八卦見(占い師)の「田代」によって連れてこられる。
最初は、一日限りだとイヤイヤながら幸平を泊めてやったおたねだが、なりゆきでそのまま幸平の面倒をみているうちに情が移り、最後は積極的に「この子の親になってやろう」と決意する。ところが、そこへ実の父親が現れて、礼を言いつつ幸平と連れて帰っていく。一一大筋で、こんなお話である。
この映画を見て、今の人が引っかかるのは、「なぜ、迷い子か捨て子である幸平を、警察に委ねないのか?」ということだろうが、これはすでに書いたとおりで、街には「身寄りのない戦災孤児」が溢れていたからで、そんな子供を警察に連れて行っても、取り合ってはもらえなかったからだ。
だから、幸平の場合も、単に親とはぐれただけなのかもしれないが、捨てられた可能性も十分にあって、要は、すでに「孤児」かもしれないので、そんな子供を連れて帰ってくるような者など、普通はいない。
だが、この長屋に住む八卦見の「田代」が「上野から付いてきて困っている。自分も間借りの身で、大家は子供など住まわせられないと言うので、申し訳ないが面倒を見てやってくれんかな」と、おたねに幸平を押しつけたのだ。
普通に考えれば、自分で面倒も見られないのに、迷い子を連れて帰ってくるなよ、という話なのだが、そこは笠智衆の演じる「飄々とした好人物」の田代なので、彼は憎まれ役にはならない。
それどころか、一見したところは「怖そうなおばさん」だが、じつは情のあるおたねが、体よく幸平を押しつけられてしまうのである。
当初、長屋の面々が、幸平を押しつけ合うのは、無論、戦後の物資窮乏で、大人たちも自分の生活に汲々としていたからだ。「他人の子供の面倒まで見ている余裕はない。それに孤児なんていくらでもいるんだから、可哀想だなんて言っていたら、キリがない」ということだったのである。
そんなわけで、おたねも当初は幸平に対して辛く当たるのだが、その態度が徐々に軟化していくのは、やはり、おたねがもともと情のある人間だったから、ということなのであろう。
ところで、本作を制作した「松竹」のデータベースと、そのデータをそのまま流用した「映画.com」の「ストーリー」紹介は、次のようになっている。
まず、ここで引っかかるのは、
という紹介だ。
映画本編を見ているかぎり、おたねが『数年前夫を失い続いて一子をも失った』というような描写や説明は無かったと思う。
もしかすると見落としただけかもしれないが、しかし、本編を見るかぎり、おたねが幸平に「亡くした子の面影を見て、そのために情が移る」ということではなさそうなのだ。
というのも、おたねの家に遊びにくる、戦前からの友人である同年輩の女性「きく女」が、おたねと幸平の様子を見て「あんたはもう、あの子が可愛いんだよ」と指摘する場面があり、おたねが「そうかねえ」と答えると、その女友だちは「そうに決まっているわよ」と、いかにも小津調の返事をし、それに対しておたねは、まんざらでもでもない様子で、笑いながら「母性本能ってやつかねえ」というように返すのである。
つまり、このように言うのは、おたねが「子を持ったことがない」ということを示していると、そう考えるべきなのではないだろうか。
それに、映画本編には、
という描写も無い。「近所の子供」など描かれてはいないのだ。
では、どうして「松竹のデータベース」には『数年前夫を失い続いて一子をも失ったおたね』とか『近所のどの家庭を見ても』云々などと書かれているのかといえば、たぶんそれは「脚本などの段階では、そういう設定もあった」のだが、結局その設定は「使われなかった」というようなことなのではないだろうか。
というのも、この作品のテーマ的なものとして「戦後の窮乏生活ゆえに失われた人情」への批判ということがあるからだ。
それが、この物語の最後の最後で語られており、私はその「最後にセリフでテーマを語ってしまう」という曲のなさに、いささか鼻白んでしまったのではあるが、それは別にして、本作には、そういう「主張」が込められているというのは、間違いのないところなのである。
したがって、本作のポイントは、汲々として生活に余裕もなく、もともと子供が好きではなかったはずのおたねが、幸平と一週間ほど生活する中で情が移ってしまうという点が重要なのであり、言い換えれば「失った子供の面影を見て」という理由づけをしたのでは、一般的な意味での「人情の回復」の物語にはならないためである。
つまり、小津監督は、どこかの段階では、おたねの感情の変化の根拠としての『数年前夫を失い続いて一子をも失った』という設定を、かえって余計だと判断して削ったのではないかと思うのだ。
実際、「松竹のデータベース」にある、おたねが『昔通りの荒物屋を開いている。』というのも、はっきりと描かれているわけではない。おたねが何やら「挽き臼で粉を挽いている」という描写はあるのだが、それがそのまま「荒物屋」を意味する描写には見えないのだ。
また、八卦見の「田代」という名前は、「Wikipedia」にも「映画.com」にも書かれていることであり、本編中でも「タシロさん」と呼ばれているのに、なぜ「ストーリー」紹介では、その田代を「芸名」と思しき『占見登竜堂先生』などという呼称で紹介しているのかという疑問もある。
つまりこれも、脚本のどこかの段階、まだ「田代」にはなっていなかった段階では『占見登竜堂先生』という名前の「設定」だったのではないかと、そう考えられるわけだ。
そしてそこから推測し得るのは、「松竹のデータベース」は、「文字ベースの資料」に依拠したものであって、映画本編の「人物設定」を参照しないままだったのではないか、ということになるのである。
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さて、各種データの「矛盾」の謎についての解釈はこれくらいにして、作品の出来そのものに対する私の評価を語っておこう。
結論としては、「悪くはない、無難に感じの良い人情噺」だ、とでもいうことになろうか。
つまり、全体としては「わりと好き」だし、その点で「80点」くらいあげても良い作品だったのだが、いかんせん、前記のとおり、最後の最後で、いきなりテーマを演説させてしまったところで、かなりのマイナス評価になってしまった。
本編中では、おたねと女友達が「戦前、私たちが子供の頃は、子供はのんびりしたもんだった」とか「子供(※ 幸平のこと)が、自分を捨てたかもしれない(※ 大工の父)親のために、タバコの吸殻や釘を拾ったりするような世の中じゃあいけない」という会話が交わされ、それがラストの、おたねによる次のような趣旨のセリフ(演説)への伏線となっている。
「心の余裕を失っていたのは、何も子供ばかりじゃない。わたしら大人だって、自分の生活に汲々として、他人や孤児らを思いやる心を失っていた。人情を取り戻すべきは、わたしら大人の方だったんだ」
一一無論これは「正論」である。そのとおりだ。
だが、この物語は、「おたねと幸平の別れ」までは、ごく自然な「人情の機微」を描いており、そこが良かったのに、最後の最後で、こうした「社会的なアピール」を、しかも、庶民であるおたねの口から語らせてしまったのには、やはり無理があって、いかにも「興醒め」だったのだ。取って付けたような印象が、否めなかったのである。
つまり、こうした「主張」を語りたかったのであれば、それまでの物語構成において、それ相応に工夫しておくべきだった。
その上で、例えば最後のセリフを、おたねにではなく田代に言わせて、おたねには「そうだねえ、そうだねえ」と泣かせる一一くらいにしておけばよかったのではないだろうか。
そんなわけで本作は、全体としては「無難にまとまった人情噺」なのだが、最後に無理があって、その点で、瑕瑾の無い「傑作」とは呼びにくいものになってしまっている。
また、作品としての「クセのなさ」が、良かれ悪しかれ「小津らしさに欠ける」とも感じられる。
こんな作品なら、小津安二郎ではなくても良かったと、そんな物足りなさも残ったのだ。
本作のラストでは、幸平を失ったおたねが、別に子供をと思い立ち、「どこへ行けば、孤児がいるんだろう?」と田代に尋ね、田代が「そりゃあ、上野(公園)あたりだろう。西郷さんの(銅像が建っている)ところだよ」と紹介した後、場面が変わって、上野公園でたむろする大勢の孤児たちの様子が映される。そしてそれが、「西郷さんの銅像」に移ったところで、本作は「完」となるのだ。
さて、このラストシーンなのだが、普通に考えた場合、果たしておたねは「これだけ大勢いる孤児たちの中から、どのようにして子供を選ぶんだろう?」とか「選ばれた子は良いけれど、選ばれなかった子は哀れだ」とか「結局、おたねの子供に対する気持ちは、自分を慰めるための自己満足に過ぎないのではないか?」と、そんな疑問まで湧いてきてしまう。
本作のラストで「上野公園に子供を探しにきたおたね」の様子までは描かなかったのは、そんな絵では、いかにも「偽善的」に映る恐れがあったからではないだろうか。
ということは、おたねの最後の「演説」は、やはり、いささか「現実」から遊離した「綺麗事」にしかなっていなかった、ということなのではないか。
小津安二郎が「子供好き」だというのは、つとに知られているところだから、そんな小津が、孤児たちに同情を寄せていたというのは事実であろう。
また、小津が「戦後の不人情」について、批判的な感情を持っていたというのも、ごく常識的なそれとして、ことさらにそれを疑う必要もない。
だが、そうしたことについての描写が、本作においては、いささか「上滑りの綺麗事」に止まってしまったのは、こうした社会的な問題を「人情」レベルの問題に還元してしまい、「そうならざるを得なかった」という「社会的・時代的要因」に対する、「掘り下げが足りなかった」からではないだろうか。
小津安二郎という映画作家の「弱点」とは、そういう「社会」についての「洞察の弱さ」にあると考えれば、その後の作品が、ひたすら「社会からの退行」だと見ることも、決して間違いではないと、そうも言えるのではないだろうか。
(2024年9月28日)
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