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浅山太一 『内側から見る 創価学会と公明党』 : 学者と愛

書評:浅山太一『内側から見る 創価学会と公明党』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

言うまでもなく、社会学は学問であり、学問であるからには、科学的な客観性が必要。
宗教を研究対象とした宗教社会学にも、もちろん科学的な客観性が求められる。

しかし、宗教ほど科学的客観性から縁遠いものもない。また、さらに、宗教と完全に無縁な人もいない。

もちろん学者の端くれである以上、宗教社会学者は宗教を科学的な客観性を持って観察分析するように努力はするだろうし、そう出来ているつもりの人も少なくないだろう。
だが、宗教的な感情というものは、そう甘くはない。宗教的感情とは、極めて根深いものであり、本人の努力で制御するには限界がある。言い換えれば、完全に制御することなどできない。
だから、宗教を扱う学問には、常に一定の胡散臭さがつきまとう。

したがって、よりフェアであろうとする学者であれば、自分の立ち位置の偏りを可能な限り、読者に対して提示した上で、その客観性については、読者の判断に委ねるだろう。
作品がすべてであり、それを読んで判断してくれればいい、という決断である。

だが、そういう人ばかりではないのも事実だ。
古臭い学者としての権威と客観性に関する信用を、当たり前のように、読者の方に求めてくる者も少なくない。

キリスト教の神学書などを読んでいると、しばしば、そういう臆面もなさに行き当たって鼻白んでしまう。曰く「われわれほど謙虚な者はいない」。
彼らはその信仰において、そう臆面もなく語って恥じることを知らず、「それを自分で言うのか!?」という当たり前のツッコミが入ることさえ、想像もできないようである。

だが、無信仰の学者にもこの種の、臆面もない厚かましさがある。「私ほど客観的に対象に接する者はいない」と。
一度、自分自身を研究対象にした方がいいのではないかと薦めたくなってもしまおう。

以下の書評で扱った、宗教社会学の小著は、著者自身が、現役の創価学会員であると断った上での、創価学会についての批判的研究書である。

著者はなぜ、このような大変な仕事を見事にやりおおせたのか?
その理由は「学者としての科学的な客観性への矜持」などという、ありふれたものによって、ではない。

当然それもあろうが、それ以上に著者を駆動していたのは、信仰心をも超えた「隣人愛」であったと言えるだろう。
抽象的な信仰心ではなく、肌の温もりが伝わる身近な人々への素朴な情愛が、著者をしてこの困難な仕事に赴かせたのだ。

学問もまた、人柄を出ることはないのである。

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【書評】創価学会の中で愛を叫んだ者

すばらしい本である。
研究書を評していう言葉ではないかもしれないが、感動させられた。

著者は、現役創価学会員の社会学者である。
一方、私は、元創価学会員の創価学会批判者である。
だから、現役の創価学会員にどれだけ客観的な分析ができるものか、正直なところ多くは期待していなかった。しかし、信頼に値する宗教学者 島薗進が『画期的な著作』という推薦文を寄せていたので、一読の価値はあるかもしれないと思い、「それではお手並み拝見」と上から目線で読みはじめた。

本書の前半は、創価学会の歴史的事実の検討であり、どちらかと言えばわりと地味な内容である。しかし、存命中の創価学会員の大半が直接知らない時代の、主に戸田城聖第2代会長と池田大作第3代会長の発言を、きっちりと掘り起こしていて裨益されるところが多い。

私自身が創価学会員であったのは、両親とともに入会した1976年頃からイラク攻撃の2003年頃までの概ね30年弱の期間である。
本書でも紹介されているとおり、1976年と言えば、創価学会は「国立戒壇問題」や「言論問題」などで世間からの厳しい批判の洗礼を受けて、すでに「リベラル化」を済ませた後である。
つまり、私の経験した創価学会とは、「昔の雰囲気」を残してはいたものの、公式的にはリベラルな池田大作会長に率いられた「平和主義」の宗教団体だったのである。

そんな私が創価学会を去るきっかけとなったのは、上記のとおり、アメリカによる「イラク攻撃」と、それに対する自民公明の連立政権による支持、そしてイラク戦争だ。
「平和主義」の創価学会員である私にとって、公明党が戦争を支持するということは、公明党の裏切りでは済まされない問題であり、ましてその支持母体である創価学会や池田大作名誉会長(当時)が、そんな公明党を明確に批判しないという事態の意味するものは、「この信仰は、ぜんぶ嘘だった」ということに他ならなかったのである。
だから、当初の私は、公明党と公明党を支持する創価学会員を批判して「悔い改め」を要求したが、その思いも虚しく、すでに創価学会は引き返せないものに変わっていたことを知り、組織を去ったのである。

そんな私が、その後も創価学会を批判する際のロジックとは「創価学会は、本来、平和主義の宗教団体であったのに、イラク攻撃において公明党と創価学会は、その道を決定的に踏み外してしまった。しかし、正しい宗教が決定的に道を踏み外す道理はないのだから、創価学会はもともと(自己認識を)誤った宗教だったのだ」というものだった。

しかし、この批判の仕方が、著者の浅山に言わせれば、創価学会の歴史を正しく踏まえたものではなく、批判として不十分だと言うのだ。
と言うのも、創価学会は必ずしも最初から「リベラルな平和主義の宗教団体」だというわけではなく、それは戦後の日本社会の流れの中で、創価学会が形成していった一つの政治的スタンスであり「後づけの神話」でしかないので、それを自明の前提として創価学会を批判すると、それ以前の創価学会の本質を取り逃がすことになるからだ。

このあたりの事情は、私自身も薄々は気づいていた。しかし、ひとまず目の前の創価学会・公明党を批判する分には「創価学会は本来、平和主義」という建前で批判した方が簡単だ、という意識も確かにあった。
だが、このやり方は、創価学会をその根底から批判するには、不十分なものであることも明らかだろう。喩えて言えば、相手の言葉尻を捉えて逆ねじを食らわせるたぐいの批判は、痛快ではあろうが、本質的な批判にはならないのである。

このように、著者は、創価学会を真っ当に批判するための準備作業として、まず創価学会の本当の姿を、その歴史を再検討することであぶり出してみせる。
だが無論、著者の射程はそれに止まるものではない。
著者の創価学会批判は、最終第5章「創価学会は成仏しました」で、驚くべきクライマックスを描き出す。

「創価学会は、こんなところまで来ていたのか」と、長らく創価学会を批判して私でさえも慄然とさせられる、現在の創価学会の姿が描き出されているのだ。

それは、かつて池田大作という個人を突出したカリスマとして組織を統合して大発展した創価学会が、いまや桎梏と化しつつあるその存在(池田大作個人)を脱ぎ捨てて、組織自体が「本仏」となって、組織絶対主義体制を敷こうとしている姿である。
キリスト教に喩えて言えば、「聖書」でも「神」でも「イエス」でもなく、「教会」に従う者だけが救われるという「教会絶対主義」と同種の、怪物的な、組織絶対主義体制である。

それにしても、現役創価学会員である著者に、どうして、ここまで徹底した創価学会批判が出来たのだろうか?
また著者自身「あとがき」に『本書を書いたことが創価学会や公明党への批判(誹謗)だと一部の会内メンバーに捉えられること、これはもう絶対に避けられないことだというのはわかっている。しょうがない。』と、その創価学会内における立場の悪化を予想しながらも、まだ創価学会に止まっているのはなぜだろう?

これらの問いに対するハッキリとした回答を、著者は示していない。
ただ、その答は、私にはわかる。それは「身近な末端学会員に対する愛」だ。

著者は『学会員が傷ついているのをみると哀しいし、学会員が頑張っていると聞くとそれなりに元気が出る。』と書いているが、この「傷ついている学会員」という形象には、間違いなく「現今の創価学会・公明党を、善かれと思って批判しているにも関わらず、組織から裏切り者呼ばわりされて孤立し傷ついている学会員、そのために創価学会を去っていった人々」の姿が投影されているからだ。

どうして、真面目に創価学会の理想を信じ、創価学会のあるべき姿を示そうと、無私の批判を為した彼らが、後ろ指を指される形で組織の中で浮いてしまったり、創価学会組織を去っていかねばならなかったのか。「あんな真面目で、いい人たちが」と。

著者は、そのことに関して「怒り」ではなく、むしろ「痛み」と「哀しみ」を抱えたまま、今も創価学会の中に止まっている。本書前半の軽口めいた書き方も、この「痛み」と「哀しみ」の韜晦だったのだ。

一度は夢見た理想が、夢に過ぎなかったと知った今でも、心のどこかで「奇跡」を待つようにして、彼は創価学会のなかで止まっている。
「仲間を置去りにして、自分だけが出ていくには忍びない」と、彼は自らの立場を悪くすることを承知で、今も「創価学会の中で愛を叫んでいる」のである。


初出:2018年1月1日「Amazonレビュー」
   (同年10月15日、管理者により削除)

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