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ダンナのご飯、いつまで作るか問題

わが家にとって、老後夫婦だけの生活になる日はそう遠くない…
ここ数年わたしは、このダンナのご飯問題をよく考えるようになっている。
申し遅れたが、私はアラフィフの主婦である。
子供は独り立ちに向けて、すでにカウントダウンの段階。

「私のパートナーは料理やる人でーす!」という方はこの記事を読む意味はあまりないと思われます、あしからず(笑)


↓こちらの記事、ちょうど今回の内容にリンクしてるのでご紹介します!


夫が稼ぐ、妻が家を守る…でよかったが

私たちは、長らく典型的な昭和の夫婦の形をとってきた。
そして、いまだにあらかた現在進行系だ。

転勤のある夫と結婚した私は、同時に勤めていた会社を退職した。
ほどなくして子供を2人産み、家事育児に専念、転勤族の妻として、全国4か所に移り住んだ。

ふりかえると、定職を持てる状況にはなかった。
共働きをしなくとも生活はできたし、夫も、家事育児を分担してまで妻が働くことに、非効率として賛成しなかった。

だから「夫が稼いで、妻は家庭を守る」という形でバランスは保たれてきたのだが、子供の手が離れはじめたころ、このバランスは少しずつ崩れ始めている。


いちばん料理できないの、だーれだ?

この30年で、世の中は「男も家事や育児をやるべき」という方向へかなりシフトした。

ちょうどわが家の子育て期間、この社会の変化がドンピシャで重なっており、私は母親として、息子2人をポンコツ男子にしてはなるまいと、ことあるごとに家事を教えてきた。

とくに「料理」。
なぜなら料理は、洗濯や掃除よりも高いスキルが必要で、毎日必ず3回はやることになる家事だからだ。

それに、なによりも食事は健康を左右する。
母親としては、今後息子たちが結婚するか否かに関わらず、自分の健康は自分で管理できる自立した人間になってほしい

楽しく覚えられるよう、おはぎをコネたり、パン作り、スイーツにも挑戦した。美味しいものがゴールにあるから喜んでやってくれた。

中高校生になると、もっぱら母親まかせになったが、私がいない時は、冷蔵庫の食材を使って、自分の1食くらいは作れる男たちに育ってくれた。

次男にいたっては、3件の飲食店バイト経験から、さらにスキルアップしている。

こうなれば、仕事をいいわけに土日すら何もしてこなかった夫が、もはや最も料理ができないポンコツ男になっている


病気やケガのとき役たたずはマイッタ

少し前に、ねんざをした私は、買い物から家事全般までしばらく何もできない時期を過ごすことになった。
私はじょうぶな方だが、2年に1度はわりとヒドい風邪をひく。
そのときも、ほとんど夫は役に立たない。

そのたびに、「仕事しかしてこなかったから仕方ないか…」という諦めと、将来の「老後どうなるのだろう…」という大きな不安が襲う。

期待してもムダだから、頼みもしなくなる…
せいぜいプリンやゼリーを買い込んでもらうくらいだ。
子供でもできる。


子育て中はワンオペがむしろよかった

子供が小さいうちは、台所にチョロチョロされるほうが困る。
料理の最中には、夫が子供たちと遊んだり、その間に出かけてくれる役割があるから、妻のワンオペにも価値があった。

ところが、子供に手がかからなくなってからもワンオペ料理は続く。
子供たちが思春期になり、私が家政婦状態になっていても、今までの流れのまま、夫が料理に関わることはない。

いつしか、1日3回の食事の準備たびに、男3人は好きな時間を過ごし、「できたよー」と呼べば全員集合するという、おかしな状況になっていた。


長いワンオペ期間が技術格差を生んだ

夫の仕事も、かなり大変だと思う。
朝から夜8〜9時まで会社にいて、クタクタになって帰ってくる。
土日くらいゆっくりしたい、その気持ちが理解できないわけでもない。

土日すら、子供のスポーツの付き添いなど、家事以外にも役割があるから、共にゆっくり料理を作る余裕はなかった。
子供のスケジュールに合わせてサクサク用意しなければならない。
そうこうしているうちに、料理における夫婦間技術格差がハンパなくひらいてしまった。

何度か「たまには作って」とお願いしてみたが、今さら感、足手まとい感が否めなかった。
その大きすぎる開きを埋める気を、夫からは感じられなかったから、それ以上求めてはこなかった。


今だから見える、未来のヤバい構図

夫の言い分は、洗濯や植木の剪定、頼まれれば(ここからしておかしい)掃除もできるという。
重たいものも運べるのだとか(笑)

でも「料理だけは苦手、というか好きではない。できればやりたくない」
これが本音。
なら言わせてもらうが、私だって家事や育児が大好きというわけではない。
必要にせまられて日々やった結果、慣れて上手くなり速くなっただけだ。

このままだと、夫が定年した後は、3食を私が作ることになる。
しかしそれは何かが違う気がしている。

子供たちが今後結婚して、孫なるものに恵まれた際には、料理もしない夫が何も考えずに「孫は?孫はこないのか?」というに決まっている。
孫が来てうれしいのはきっと私も同じだが、大変なのは私1人だ。
想像するだけで、気が萎える…


理想の夫婦関係とは

老後は、結婚したときのように2人だけに戻る。
が、当時の2人ではないのはたしか。
できれば、互いをかけがえのない存在として大切に思い合って過ごしたい

妻に作ってもらわなければ、外食やできあえの惣菜、コンビニで済ませるようでは、自分の健康管理すらできない「ポンコツおじい」だ。

その行く末には、病に倒れた夫の介護をするのも妻の役割だというのか?
それは違う。

「やりたくないこと」として、妻にとて甘えていればいいわけではない。
妻が求める新たな夫婦像があるならば、それに近づこうと努力するのが理想の関係なのではないだろうか。


これからの課題

人生100年時代、完全な老後まではあと20年ほどもある。
しかし、この20年をどう過ごすのかでその後の夫婦関係は決まると思っている。

確かに、夫の会社勤め人生はまだ10年以上続く。
私の方は、子育てという役割がなくなり、パートで短時間働く程度だ。
責任の重さも、稼げる金も、拘束時間も雲泥の差であることはまちがいない。

ただ、ある日突然、定年して、夫婦が同じ条件で生活することになってから、「はい、家事分業です!」といわれても、夫には対応できないのだ。


教え込むなら今しかない

このまま、のらりくらりと逃げられてなるものか(笑)
私は妻として諦めたくない。
せっかく人生を共にしてきたひとだから、仲良く最期まで生きたい。

沢野まもるさんの記事にもあるように、私達夫婦はいま、
「献身的関係性型」。
だから、できれば「妥協的関係性型」に落とすのではなく「人格的関係性型」へ引き上げていきたい。

おかしいと感じ始めた今こそが、チャンス。
1日遅れるごとに、そのぶん技術も意識も格差は広がっていく。

さりとて、何からどう教えれば良いものか…
まずは、その目的からお伝えしなければなるまい。

目的は、料理ができるようになることそのものではない。
彼が料理を覚えるということは、互いが思いやって過ごすということの手段の1つなのだ。




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